素足である足の裏が、こげるように熱くなる。
葵の急激な方向転換に、人よりも分厚くなった足の裏も、さすがに耐え切れなかったのだ。
しかし、その動きのおかげで、葵は将子の横を通り過ぎるのに成功した。
自分から手を出すのを完全にあきらめ、将子のふちかましの腕を、自分の腕で横にはじき、葵本人の身体を横にはじいたのだ。
そのまま、葵はつんのめるように将子の横を通り過ぎ、また足の裏に負担をかけ、急停止する。
その位置なら、まだ葵の脚は届く。将子の上体は前に突き出されており、守りも薄い。今なら、後ろ蹴りを入れることが可能だ。
しかし、一回戦の相手は、同じことをして負けているのだ。
だが、葵は左脚を後ろに蹴り出した。
が、一回戦と同じタイミングで、いや、それ以上のスピードで、将子はふりかえろうとしていた。
「危ないっ!」
浩之はとっさに叫んでいた。葵には、同じ動きでも、将子の一回戦の相手よりも速く動く自信があったのだろうが、それよりもさらに将子の動きは速かった。
いや、これは、葵ちゃんの動きが、読まれている?
あまりに手際よく振り向こうとしている将子をその動体視力で捉えながら、浩之はそう判断していた。葵のスピードはかなり速いのだ。それをとっさに反応するなど、ほぼ不可能。しかし、読んでいたのなら、将子ならできないことではない。
ブンッ!!
そして、待ってましたとばかりにふられた、ふりむきざまの将子の腕は、空を切った。将子は、あわててそこから逃げようとしたが、時すでに遅かった。
バシッ!!
将子の腕の変わりに、さっきまで将子の背中を狙っていたはずの葵の脚が、将子の左ふとももに入っていた。
がくんっと将子の腰が落ちる。渾身の振り下ろすようなローキックで、将子の脚にダメージが入った所為だ。
「よしっ!!」
浩之は叫んでいた。危険な状況、浩之がそう思ったところは、単に葵の作戦の内だったのだ。てっきり、浩之は葵が後ろ蹴りを決めれる、と思っているのだと思っていたのだが、葵にもそんな自信はなかったのだ。
葵は、確かに最初後ろ蹴りを繰り出した。だが、それはフェイントだったのだ。将子が後ろ蹴りを迎撃してくると葵は読んでいた。将子にはそれだけの腕力があり、打ち落とせば、将子に有利になるからだ。だが、やるとわかっていれば、葵にとっても対処はそう難しいものではなかった。
後ろ蹴りを放つと見せかけて、膝を曲げて将子の腕をやり過ごし、そこから、膝を伸ばす力で、将子のふとももに蹴りを入れたのだ。
いかに筋肉や脂肪で他の人間よりもダメージに強いとは言え、ローキックは効く。それが証拠に、腰が落ちている。
が、膝はつかなかった。それは、相撲取りとしての意地だったのだろか。それどころか、一歩、葵に近づいた。
「葵ちゃんっ!!」
浩之が何を言う間でもなく、葵もそのピンチに気付いていた。が、気付いていても、対処することができなかった。
「ふんっ!!」
バキッ!!
将子の気合いを込めた腕の振りを、葵は避けれなかった。確かに、ローキックは入っていたが、後ろ向きに脚を振り上げ、それを上から叩きつけるような格好になっていたので、葵のバランスは完全に崩れていたのだ。
それでも、ガードは間にあったが、葵の身体が一メートルほど跳ね飛ばされる。今度は、自分で身体を浮かしたわけではないにも関わらず、だ。
脚の踏み込みも、脚に当てたダメージのせいでろくに力を発揮できなかったにも関わらず、将子は腕力だけで葵を吹き飛ばしたのだ。
一方葵は、ガードはしたが、将子の腕を叩きつけられて、少なからずダメージを受けていた。ほんの少しの時間ではあるが、将子に完全に無防備な背中をさらしていた。
もし、葵が将子の脚を、前のダメージで止めていなかったら、勝負は決していただろう。反対に言えば、葵が将子の脚を蹴らなければ、そんな状況も起きなかったのだが。
葵を追撃したいだろう将子は、動かなかった。いや、脚のダメージが思うよりも重かったのだろう。
それに、葵も隙は確かにあったものの、その後は、将子の追撃を狙い打つために、わざとダメージを受けているように見せかけていたのだ。
それも将子はわかっているのか、すでに脚のダメージも、動けるほどには十分回復したにも関わらず、動かなかった。
のってくる気配がないのを察して、葵もまた将子の方を向く。
その、手の出ない攻防を、体育館の中で何人がわかっただろうか? 少なくとも、浩之にはまだ理解できなく、綾香には理解できていた。
葵もどうしてなかなか、したたかじゃない。
綾香は、一人うんうんとうなずいていた。
葵の弱点は、その経験不足だ。今まで試合という形式では、ほとんど猛者と戦うことなく、その上がり症の所為で負けている。
練習を繰り替えれば、強くはなる。それに間違いはないが、試合でしか得られないものというものは多く、下のレベルならまだしも、ここまで来れば、それは決定的な差となる。
例えば、こんな手を出さない、フェイントの応酬などは、練習では身につくものではない。反対に、ほとんど練習しかしたことのない葵はそれを実戦している。
それだけ必死、ってことにもなるかもしれないけどね。
この試合を見て、将子の実力は、綾香でも十分認めるほどである。葵では、待ち構えられると、手も足も出なくなるだろう。
将子から攻撃してくれないと、手の出しようがないのだ。葵はそこをわかって、何とか将子から手を出させようと、日ごろあまり使うことのない頭をフル稼働させているのだ。
練習で手に入らないものを、徐々に葵は身につけてきている。
綾香は嬉しくなった。強くなっていく後輩を見るのは楽しいものだし、強くなった後輩を、自分の手で、倒すと思うと、一人で興奮してしまうほどだ。
あまりいい趣味、どころか、正常な趣味とも思えないが、綾香の正直な気持ちだった。
葵、がんばって、強くなりなさいよ。この私と、戦えるぐらいに。
そんな綾香の、危険な香りに気付いたのか、横で浩之が酷く嫌そうな顔をしているようだったが、綾香は無視することにした。自分でも、多分物凄く恐い顔をしているのだろう、という自覚があったからでもある。
「なあ……綾香」
「しっ、また葵が動くわよ」
綾香は、浩之が何か色々言いたかったのだろうことを、一蹴して、試合に集中するふりをした。
浩之も、しぶしぶ、という顔で試合場に目を向ける。
綾香は、浩之が自分を見ていないのを確認して、自分では見えないが、おそらく物凄く楽しそうな顔をしていると自覚しながら、思っていた。
浩之も、もっと強くなりなさいよ。私が……
葵は、もう一度横に回り始めた。それに合わせて、将子も仕切りなおす。
……私が、食べてあげるから。
続く