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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(86)

 

「待て!!」

 審判の声で、葵はやっと息をついた。

 やっと、一ラウンドが終わったのだ。すでに、葵はへとへとだった。

 息を切らして、セコンドにつく浩之達のところに戻る。

「お疲れさん、葵ちゃん」

 浩之が、葵にドリンクを渡す。葵は、頭を一度下げて、ドリンクを受け取り、一口それを口に含んだ。

 疲労した身体と、乾いたのどに、ほのかに甘いスポーツドリンクはうれしかったが、まだ試合が終わったわけではないのだ。最小限、のどをしめらせる程度しか水分の補給はできない。

 あれからずっと、葵は将子から逃げ回っていたのだ。いや、自分も攻撃しているのだから、逃げ回るというのは正しくないのかもしれないが、とにかく葵には休む暇はなかった。止まれば、将子がつめてきたのだ。

 一気に相手との距離をつめるスピードはさすがに将子は速いが、葵がちゃんと動いて、その標的にならないように動けば、そう簡単に捉えれるものでもない。

 だから、葵は動いていたのだ。しかも、将子の脚に入れたダメージを単発で終わらせないために、手や脚を出し続けた。

 結果、葵もあまり危険なことはしなかったが、両方ともダメージを当てることはできなかったが、酷く疲労してしまった。

「はあっはあっはあっ……」

 まだ動悸がもとに戻らない。運動量は、いつもの練習と比べても少ないぐらいなのだが、まるでいつもの二倍は動いたような疲労が身体に残っていた。

「葵ちゃん、とりあえず、息を整えて」

 浩之に言われて、葵はうなずいて深呼吸を繰り返した。それぐらいでどうこうなるものではないのだが、二ラウンドが始まるまでに、なるべく疲労を消しておかねばならないのだ。

 これが、試合というものなのか。

 葵は、あまり試合の経験がない。この独特の疲労を感じることも少なかった。だから、思う以上に疲労している自分に戸惑ったりもしている。

 特に、将子の強力な一撃が来ると思うと気を抜けない。そういうプレッシャーが、運動量とは関係なく、葵を疲労させているのだ。

「だらしないな、葵」

 坂下は少しきつめに評価したが、百戦錬磨の坂下とは葵は違うのだ。実際に戦うことでのびてきた坂下は、葵よりもそういう経験を多く持てた、というだけだ。

「す、すみません」

「あやまらなくてもいいけど、どうなんだい? 二ラウンド目に、支障があるほど疲れているわけじゃないだろうね?」

「それは、大丈夫です」

 精神的にも疲れているが、葵だって並の練習をつんできたわけではないのだ。そう簡単にへたばってはやってられないし、何より、試合をして疲労をためないというのは、反対に無理な話だ。

 葵の言うのは、動くのに支障をきたさない、ということだ。この調子がニラウンド、三ラウンドと続くとなると、どうとは言えなくなるが、今ならまだまだ万全な力を出せる。息切れからの回復は、練習で何度も経験したことだ。できないわけがない。

 葵は、そっぽを向いている綾香の方を見た。しゃべると何かヒントを与えてしまうと思っているのか、葵には話しかけてこない。

 しかし、綾香との練習が、何度も今の試合で葵を助けているのも事実であり、綾香は言葉には出していないが、葵を助けているのだ。

 もちろん、綾香さんの言いたいこともわかります。これぐらい、私一人で超えて来いと言いたいんですね?

 しかし、葵は自分で考えても、そんなに強い人間ではない。それは、格闘技自体にはそれなりの自信を持つが、精神的にもろいのを、自分でもよくわかっている。助言が、技術的に何の役にたたなくとも、それで葵が持ち直すということもあるだろう。

 そこは、綾香もまだ葵のことを信じているわけではないのだろう。それが将子に、坂下や浩之が助言したり、はげましたりするのを、綾香は止めていない。もし綾香にその気があるのなら、浩之ぐらいに口を出させないようにするぐらいは簡単だったろう。

 浩之達に助言をもらって安心する自分がいるのも事実だが、綾香に無条件に信じられているのではない、と思うと、少しだけ葵でも悔しくなった。もっとも、それでもそう簡単に倒せる相手と戦っているわけではないのだから、背に腹は返られないのだが。

「……ふうっ」

 何とか葵は息を整えた。まだ疲労が完全に消えたわけではないが、試合には十分な体力に回復はしている。

 葵が回復するのに、ほとんどの時間を取られてしまったが、浩之はその短い時間で葵に聞いた。

「どうだい、葵ちゃん。戦ってみて」

「強いです。正直、まともにやっても、勝てないかもしれません」

 坂下のほほが、少し動いたような気がした。それは、自分と将子が同じレベルだと言われて、少しムッとしている所為なのかもしれない。

「仕切りかのぶちかましまでのスピードが桁違いです。しかも、そこから方向修正もある程度できるようですし、腕をふるだけでも、その腕力なら十分な脅威です。なめていたわけではないですが、予想以上の恐さがあります」

 葵は、冷静に将子の強さを分析していた。後はふところが異常に深いというのも嫌な話だ。そこらをさらに説明しようとした葵を、浩之は止めた。

「いや、見てるだけでも、相手の強さはわかるさ。それよりも、ちゃんと分析はできているみたいじゃないか」

「もちろんです」

 冷静な判断、というのは最低条件だ。それもなしに向かっていくなど、素人のすることで、葵は自分を素人とは思っていない。

「苦労はしてるみたいだが……いいことじゃないか」

「?」

 いいこと、と言った浩之に、葵は首をかしげた。

 下手をして避けれなければ、あごもくだけようかというぶちかましを受けるだろう。それをいいことと言う浩之の気持ちが、葵には一瞬理解できなかった。

 楽しい楽しくない、という部分では、間違いなく楽しい相手だが、辛いのも事実。それを、いいこととは言い切れない。

 浩之に何かを言いたげな葵を、浩之は手で制した。浩之とて、もっと葵から詳しく聞いて、作戦を練りたいところだが、そんな悠長にかまえている暇がないのだ。休憩はわずか一分、その間に葵に考えてやれることなどたかが知れている。

 だから、浩之は一番大切なことだけ、葵に言った。

「葵ちゃんは十分、相手の強さを分析できるほど冷静だ。なら、一ラウンドを消費したのは問題じゃない」

 確かに、葵は心の中で、勝つチャンスを見出すことなく一ラウンドを終わったことを悔いる気持ちはあった。それを、浩之は言われなくても、そして葵に自覚がなくとも、理解していた。

 同じ状況ならば、自分もやはり同じように思うからだ。

 しかし、全部が全部、浩之と同じではないのだ。何故なら、葵には、浩之と違って、実力が備わっているのだから。

「やっと身体があったまってきたところだろう? だったら、ニラウンドからは勝ちに行けるじゃないか」

「……は、はいっ!!」

 そんなにことは簡単ではない。でも、「勝ちに行ける」と言ってくれた浩之の気持ちが、葵には何より嬉しかった。

 浩之の目が、それだけ、自分を信じてくれていたから。

 そう、まだまだやれることはあるはずだ。手詰まりと思うには、まだまだ早い。

 ……違う、手詰まりと思うような状況ではない。

 だって、センパイが言うように、私はやっと身体があったまっただけなのだ。だったら、本当の試合は、今からだ。

 浩之の一番大切だと思うこと、これこそがそれだった。

 自分が、葵の勝ちを、信じてくれているということ。それが伝えなければ、浩之がここにいる意味などないのだから。

 それが、力になると信じて。浩之は、信じた。

 

続く

 

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