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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(89)

 

 将子は、葵から大きく距離を取っていた。

 たった一度ぶちかましをかわされ、反撃を受けただけなのだが、それは将子にとってみれば、致命的な一回だった。

 ダメージの方は問題ないだろう。今も、その身体に似合わないほそ素早く動きながら、葵との距離を取っている。仕切りを取っていたさっきと比べれば、むしろ速くなっている。

 そう、すでに将子は仕切りを取っていない。将子の戦術の要ともなる仕切りだが、葵にそれを一度でも破られた限り、同じ動きをするには恐怖感がつきまとうだろう。

 葵は、将子のぶちかましをやぶってみせたのだが、葵の狙っていたのは、それでKOすることではなかった。この恐怖感こそが、葵の狙いだった。

 どんなに身体を鍛えようが、葵の蹴りが直撃すればKOは免れない。それは相手とてわかっているだろうが、それを心でわかっているのと、身体でわかっているのとは違う。

 将子は、一度ローを受けている。その痛みは、ダメージこそ残っていなくとも、将子の身体の中にちゃんときざまれているのだ。

 葵とてもちろん将子の大振りの張り手を受けてはいるが、ガードの上ということもあったし、何より葵はダメージを受けなれている。

 相撲取りは打たれ強くとも、脚に受けるダメージはあまりなく、それが意識せずとも心の中に残る。

 葵のキックのダメージをわからせた上で、蹴りがかすったのだ。しかも、そんなトリッキーな攻撃、反撃の仕方も思いつかないだろう。

 そうやって、積み重ねた恐怖が、将子に仕切りを取らせない。もう一度仕切りをしてぶちかましをかければ、もしかすると今度こそKOされるのではないかという恐怖が、将子に仕切りを取らせないのだ。

 葵とて、恐いのだ。将子に仕切りを取らせるのは。

 しかし、葵は粘り勝った。自分の恐怖を抑えて、相手に恐怖を感じさせることに成功したのだ。

 将子の構えは、それなりにさまにはなっている。左半身で、腕の位置が高く、引き気味になっている。相撲取りとしての弱点でもあると思われる脇の開きもなく、完全に打撃の攻撃に合った構えだ。

 やはり、将子さんは相撲だけをやっていたわけではないみたいだ。

 すり足だが、足運びも、見事なものだし、打撃を相手にする準備は全て整っていると言ってよかった。

 だが、それでも、葵としては仕切りをやられるよりも、よほどやりやすいと感じた。さまになっていればいるほど、それは葵の慣れ親しんだものなのだ。

 仕切りをやぶられたのなら、組み技に持っていけばいいのだ。正直、将子につかまったら、どうしようもないと葵は感じていた。相撲に倒れた相手への組み技がないとしても、パワーが違いすぎるのだ。

 それを考えると、今の状況はむしろ望むところだ。いかにパワーがあろうと、打たれ強かろうと、葵は打撃で綾香以外に負ける気はない。

 それに、脚が、近い。

 上半身を立てた将子の構えは、打撃には適しているが、反対に言えば、葵にとっては狙いやすい構えだった。少なくとも、さっきまで隠れていた脚が、かなり近くなっている。これならば、リーチの差があろうとも、かいくぐる必要もなくローを当てれる。

 もともと、ローのリーチは長いのだ。しかも、ローの打ち合いで、負けるとは思っていない。

 一発入れば、どうしてもぐらつくのだ。打たれ強さに関係ない、いや、打たれ強いからこそ、脚は相撲取りにとっての急所だ。

 確かに、スピードは速い。まだ捉えるのには時間がかかるだろうが、ローを集中して入れれば、じきにスピードが落ちる。そうすれば、勝てる。

 葵は、待たなかった。

 葵の小さな身体が、稲妻のようさスピードでジグザグに動きながら、将子との距離を縮める。

 将子には反応するだけのスペックはあったが、葵のスピードはそれをさらに超えていた。

 パシーンッ!!

 葵のローが、将子のふとももを強く叩いた。

 それと共に葵の脚に伝わる重さ。それは葵の動きを阻害するが、すでにそれを予想していた葵は、将子の動きを読んでいた。

 将子の猫手の掌打が、空を切った。

 脇をしめ、大振りにならないように、前に突き出しながらも、振りぬく動きを取り入れた、なかなか理にかなった打撃だった。パワーを活用しようとすれば、かなりいい部類に入る打撃だろう。

 しかし、それは葵を捉えるまでにはいかなかった。深追いをせずに、葵は距離をつめたスピードのまま、距離を取っていた。

 一度、葵は将子の脚を打っていた。それで、すでにその脚がどれだけ重いかをわかっていた。予想できていれば、次の動きにぐらいは反応できる。

 相手の脚が重いというのは、自分も蹴り足を止められ、スピードを落とすことになるが……反対に、相手はダメージを殺せてない。

 ローキックの防御方法は、受け流すことだ。はっきり言って、避けるのは至難の技であるので、それ以外の防御方法がないと言ってもいい。

 脚から体重を抜き、宙に浮かした状態にして相手の威力を受け流す。そうやってダメージを減らすしか、手がない。

 相手の脚が重かったということは、ほとんど受け流せていないということだ。葵のローキックのダメージを、全て受けていると言っていい。

 打撃用に鍛えた葵の脚は硬い。しかも、狙う場所は柔らかいふとももだ。同じ作用反作用が働くなら、将子はすでにさっきの一撃で脚に深刻なダメージを受けているはずだ。

 もっとも、将子の脚が重いことを知っていた葵は、スピードのみの、軽い、と言ってもダメージは十分だが、ローキックを打っているので、これ一撃、おそらく、次の二撃目でも、将子は倒れないだろう。

 しかし、そうすれば、葵は距離を取れる。二度ならいいだろう、しかし、三度、四度と打てば、将子が無事である保証はない。

 しかも、ダメージは蓄積する。一発当てるごとに、将子のスピードは落ちるだろう。そうなれば、もう葵の負ける要素はなくなる。

 どういわれたところで、もう勝負の大半は決まっていた。詰みの状況なのだ。葵と将子のスピードや、スペック、戦術を考えると、将子に勝つ見込みは、少なかった。

 まだ油断ができる状況ではないけれど、勝った。

 葵は冷静に今の状況を判断していた。将子が急に組み技を狙ってきたとしても、そう簡単には自分はつかまらない。

 葵は、フェイントを織り交ぜながら、将子との距離をつめる。今の状況がかなり自分に不利であるのを将子も自覚しているのだろう。さっきの勢いはどこへやら、葵から逃げるように距離を取ろうとしている。

 後ろに下がるスピードは、前に出るスピードよりも遅い。そのれっきとした事実を証明するかのように、葵は将子に向かって飛び出ていた。

 

続く

 

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