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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(92)

 

 葵は、左にまわるようにしながら、将子との距離をつめる。ヒットアンドアウェイの基本的な動き方だ。

 しかし、さっきまでとは大きく違った。今さっきまでは、距離を取って様子を見ることを考えていたのだが、葵はすでに攻める気で、距離を縮めていた。

 しかし、簡単に攻めて攻めさせてくれる相手ではないことぐらい、葵は身にしみてわかっている。一撃離脱にも、危険は多い。

 それに、葵は一撃離脱をする気がなかった。つまり、距離を縮めて、将子と打ち合いをするつもりだったのだ。

 その気持ちは、すでに動きにも見て取れた。綾香の目が、葵の意思を感じ取って、スッと細くなる。

 葵をひいき目に見ている綾香でさえ、葵が距離を縮めて戦うのは得策ではない、と思っていた。そのために、一瞬警告しようとも思ったのだ。

 しかし、今は全てを葵本人にまかせることにしている。

「な、なあ、葵ちゃん、もしかして、打ち合うつもりなんじゃないか?」

 葵の動きが気になった浩之が、綾香に訊ねる。

「そうみたいね」

「そうみたいねって……さすがに、やばくねえか?」

 純粋にパワーだけなら、葵だってかなりのものではあるが、将子と比べると劣るのは確かだろうし、何より、体重が違う。

 葵でも、果たして将子の体重でのしかかられたときに、それを振りほどくだけの力があるだろうか?

 いや、それを今まで危惧して、葵ちゃんは長距離で戦ってたんじゃないのか?

 格闘の理というものを葵がわかっていないわけはないし、今まではそのとおりに動いてきた。それをやぶろうとする葵の無謀さに、浩之は冷や汗がたれる思いだった。

 しかし、浩之と違い、綾香はそれ以上は動じなかった。

「浩之、落ち着いて、葵を信じてやりなさいよ」

 浩之の声が葵に力を与えているとしても、今あせる必要はない。

「いや、そりゃ葵ちゃんのことだから、何か策があってのことなんだろうけど」

「そういうこと。葵も、バカじゃないわよ」

 格闘バカが格闘でバカをしたらそれこそお話にならないものね。綾香はそう心の中で思った。

 それに、すでに綾香には、葵のやろうとすることが見えていた。綾香なら、もっとうまい方法でやるかもしれないが、その差でしかない。いや、今の綾香なら、まったくの正攻法で将子を倒すこともできるのだし、あまり参考にもならないのかもしれないが。

 葵の前に出る気配を感じて、将子は腰を少し落として構える。どんな重い打撃でも、はじく自信がある証拠だった。

 そして、腰を落としたのには、もう一つ意味がある。

 ローキックを狙えば、そこに前に出てカウンターを入れるつもりだ。

 珍しいカウンターではない。相手の蹴りに合わせて前に出て、相手の蹴りの威力を殺し、さらに片足となり身動きの取れない相手を攻撃する。

 むしろ、将子のような出だしの速い選手ならば、それを主軸に作戦を練ってもいいと言える。しかも、さっきのぶちかましは上に逃げられたので、相手が動けない蹴りだけを狙うつもりのようだった。

 反対に、パンチは腕だけで受けるつもりということだ。

 逃げずに、前に出るという選択をするつもりなのだろう。悪くない、つかんでしまえば、勝ちがほぼ決まる。しかも、攻撃をした相手というのは、無防備になるのだ。相手の攻撃に耐えれる身体があるのなら、前に出て当然。

 打撃の対策、というより、打撃を殺す方法を、将子は兼ね備えていた。将子が仕切りをしなくとも、状況は葵にとってあまり有利とは言えない状況なのだ。

 じゃあ、葵ちゃんはどうするつもりなんだ?

 ここまでの不利な条件で、前に出る意味を、いまいち浩之はつかめなかった。もっとスピードでかく乱していい。まだ、試合は二ラウンド目なのだ。

 しかし、浩之の思いを無視して、葵は左の動きから、右に素早く動いた。

 どんなに待ち構えていたとしても、虚というものはできる。その一瞬をついた、完璧な動きだった。ほんの少しだが、将子の反応が遅れる。

 距離を縮めながら近づいてきた葵にとって、それはまさに一瞬の間合いだった。

 葵の身体が、将子の内側に入った。しかし、密着というには距離がある。そして、将子は、すでに自分を立て直していた。

 パンッ!

 マットと脚先が、平手で叩かれるような音を立て、葵はさらに左に飛んでいた。前まで葵がいた位置を、将子の掌打が打ち抜いた。

 攻撃を誘ったっ!

 素早い動きで、すでにかなりその動きに順応している将子に空を切らせたのだ。そして、葵は一瞬だけ攻撃する隙を手に入れる。

 ドンッ!!

 だが、葵の拳は、将子の右腹を叩いただけだった。いかにリバーブローが急所打ちの一つとは言え、将子の身体は筋肉の塊のようなものだ。それでダメージがあるとはとても思えない。これが、崩拳ならまだしも、それは単なるボディの一発だった。

 しかし、それで葵は将子を後ろに下がらせる。

 浩之は、そこで葵と将子との距離が近すぎたことを知った。あまりに近かったので、蹴りも出せず、顔面も狙えなかったのだ。将子にすっぽり隠れる葵のできる打撃は、ボディブローしかなかったのだ。

 将子は葵のボディブローを当然のように耐え、腕を振りぬいた。

 ブンッ!!

 その距離にもかかわらず、将子の打撃を、葵はダッキングしてかわす。しかし、それでさらに距離が縮まる。

 ドドッ!

 また鈍い音がした。葵のワンツーの、やはりボディブローが将子の胸板ならぬ腹板を叩いたのだ。

 今度は、将子は後ろにさがらなかった。そのかわりに、葵の腕をつかんだ。打撃では葵を捕まえ難いと判断して、すぐに組み技に変えたのだ。その動きはなめらかであり、まったく悪あがきをしている様子はなかった。

「逃げろっ!!」

 浩之はとっさに叫んでいた。葵の体重では、つかまれれば、不利どころの話ではない。負ける可能性はかなり濃かった。

 葵は、将子を振り切るように、開いた左腕をふるった。

 ズンッ!!

 さらに鈍い音を立てて、将子の右脇腹にパンチが入るが、もう、将子は微動だにしなかった。そのかわりに、もう片方の手をのばす。

 いかに葵にスピードがあろうとも、片腕をつかまれ、さらに攻撃した後では、逃げることなどできなかった。

 がっちりと、将子の両腕が、葵の腕をつかんでいた。

 

続く

 

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