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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(93)

 

 葵の二の腕を、将子はがっちりとつかんだ。

 相撲相手に組まれるのはまずい。素人でもそう思うだろう。浩之だって、そう思っていた。しかし、声が出なかった。今こそ応援して、葵がその危機を脱する助けを、少しでもするべきなのに。

 持っている場所は二の腕、身体に近い方なので、腕をひねって外すのは難しいだろう。いや、普通ならつかめる服なしのときに怖がる位置ではないのだ。だが、将子の大きな手と、その桁外れの握力は、それを可能にしていた。

 何より、距離が近すぎた。逃げるにも、後ろに逃げるしか手がない。

 一刻も早く、逃げなくては、やられる。浩之は、気を取り直して、再度葵を応援しようとした。

「逃げ……」

 だが、浩之はまたしても声が出なかった。その体勢で、後ろに逃げたときの恐ろしさを、全て言う前に感じ取ったのだ。

 あの身体に、のしかかられるような投げを食らったら……。

 柔道でもそうだが、動いていない相手を投げるというのは難しい。重心の崩れていない人間は、かなり重いのだ。

 しかし、相撲取りは、それでも無理やり相手を投げることができる。動いて重心が崩れた相手ならば、もっと簡単なはずだ。

 だから、葵が止まっていても、何ら状況はよくならないのだが、動くのはもっとまずい。しかも、後ろは最悪だ。

 体重をかけやすい、かけにくい、というなら、相手が後ろに、つまり自分が前に倒れるのは、むしろ理想的な状況だった。

 マットは極端に硬いとは言わないが、それでも十分危険だし、何より、将子の体重を全てかけられてのしかかられれば、骨は簡単に折れるだろう。受身を取ろうと、それだけはどうしようもない。

 頼みの綱は、葵ちゃんが柔道をやってるってことだけだが……。

 投げのコツも理解しているのなら、投げられ難いというのはあろう。それが相撲相手、しかも、筋力と体重で勝る者にどれだけ対抗できるか、浩之には希望は見えてこない。

 葵ちゃんが、勝ちを急いだ?

 飛び込みがあまりにも不用意すぎた。いや、むしろ、つかまれてもいいぐらいの勢いで懐に入っていた。打撃のスペシャリストではあるので、打撃に関しては飛び込んでも何とかなるとふんでいたとしても、つかまれれば不利は避けれないのを知っていながら、葵は飛び込んだというのだろうか?

 葵が力まかせにつかまれた腕でボディーを打つが、根元を押さえられた状態では、威力などあるわけがない。しかし、膝は使えない。ここで膝を使えば、絶対に投げられる。

 抵抗しても、もう駄目かも知れない。浩之は、冷静にそう考えてしまった自分を心の中で叱咤したが、葵が危機であることは真実だった。

 だが、葵は何とか肩をぶつけてすぐに投げには入らせなかった。投げるためには将子は葵の身体を引きこまなくてはいけないのだが、その瞬間に合わせるように、胸に肩をぶつけるのだ。どんなに打たれ強くても、一瞬息が止まる。それを利用して、何とか投げに入らせないようにしている。

「……なあ、綾香。葵ちゃんは……」

「いいから、見てなさいって」

 綾香に何か言ってもらおうとしたが、それを綾香は一蹴した。綾香の顔にはあせりはなかったが、目が鋭くなっているのを、浩之は見逃さなかった。

 将子は、それでもかまわずに、葵をひきつける。葵は、それに合わせて、肩を突き出す。

 が、葵の肩が空を切った。

 何のことはない、将子が体を入れ替えて避けたのだ。葵のタイミングがいかに完璧でも、三度もやれれば、タイミングが読める。それに合わせて、体を引いたのだ。

 苦肉の策であり、それしか方法がなかったとは言え、同じ技を将子に何度も見せた葵が浅はかだった、というには、あまりにも将子の流しはあざやかだった。前に出るだけではない。これが相撲の技術としての凄さだった。

 今度こそ、やばいっ!!

 浩之は声を出せなかった。そのかわり、身体中が総毛立った。

 その動体視力が捉えた葵の目が、獲物を狙う猛禽類の目を思わせたからだ。

 ドガッ!!

 それは、投げの音ではなかった。明らかに、打撃音、しかも、かなり重い音、が浩之の耳に届いた。

 それと同時に、葵の身体が、将子の腰を始点にして、綺麗に半回転してマットの上に後頭部から叩きつけられる。

 ズバンッ!!

 葵がマットの上に叩きつけられて、やっと投げ技本来の音がした。

 しかし、その投げは、単なる腰投げだった。葵は頭から落とされたが、将子は上にのしかかれたはずなのに、それをしていなかった。

 いや、のしかかれなかったんだ。

 肩膝を、ついて、将子は動けないようだった。しかし、葵も受身を失敗したのか、倒れたままほんの少しだが、動けないようだった。

 将子と葵の、次の動きは同時だった。

 倒れる葵の上に、将子がおおいかぶさる。しかし、葵はすでに動けるようになったのか、そのおおいかぶさる将子の胴体に、両足をからめる。

 将子は上の状態で、グラウンドに入ったが、葵は完全にガードポジションに入っていた。これが立ち上がることを意識しすぎていたら、倒れたまま後ろを取られていただろう。そこから立ち上がるのは無理と判断して、すっぱりと立ち技をあきらめたのだ。

 だが、ガードポジションとは言え、将子のような身体の大きな相手に上からのられているのは、かなり疲労が激しいだろうし、何より、疲労だけでなく、相手の攻めに耐えれるのか、浩之には心配だった。

 そんな浩之の心配を余所に、何故か将子はすぐには動かなかった。

「何だ、疲れてるのか?」

 疲労以外で、将子が動けない理由はなかった。葵のハイスピードについて動いていたのだ、疲れている可能性は高いが、それにしては、様子がおかしかった。

「それは、疲れないわけがないけど、それだけじゃないわよ。まだ、ダメージが抜けてないのよ」

「え?」

 葵のボディーを、確かに腹に受けていたが、その筋肉の塊のような身体に効くとは思えない。しかし、それぐらいしかダメージは……。

「あら、見えてなかったんだ」

 綾香はあきれてそう言ったが、思い出したように、ぽんと手を打った。

「そうね、考えてみれば、何を狙ってるかわからなかったら、何をしたのか、わからないか。あのね、葵の膝が決まったのよ」

「膝?」

 その筋肉の鎧を打つ抜くとなると、確かに膝ぐらいの威力はないと無理だろう。そういう意味では理にかなっているが……。

 しかし、葵が膝を打ったところを、浩之は見ていなかった。

 

続く

 

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