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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(94)

 

「膝?」

 膝が決まったと綾香は言ったが、浩之には見えない技だった。しかし、少なくとも将子にはそれなりのダメージのある打撃が決まったのは間違いないようだった。

「そ、どんなに筋肉をつけても、弱い部分ってのはあるのよ。それを葵はうまく打ち抜いたから、すぐにダメージがきたってわけ。それに……」

 綾香はそこで言葉を止めたが、浩之には、もしそうであっても、葵が有利であるとはとても思えなかった。

 将子はそれでも葵の上になっているのだ。攻めるのに有利なのは、将子ではないだろうか?

 あれだけの身体だ。葵にとっては、むしろ未知の体験なのではないだろうか? 浩之は身長はともかく、体重は男としても重くない。綾香はむしろおかしなぐらい整った体型だし、坂下でさえ、縦に高いだけなのだ。

 倒れているので、打撃は当然使えないので、そうすぐに決まることはないとは言え、葵にとって不利であることにはかわりなかった。

「なあ、さすがに、ああなると葵ちゃんは逃げれないんじゃあ……」

「何言ってるのよ、むしろ、今有利なのは葵よ」

「へ?」

 浩之は間の抜けた声を出した。しかし、綾香の言葉を証明するように、確かに葵は将子の攻めを軽くしのいでいた。そう、どちらかと言えば軽く、という印象でだ。

 腰にまわされた脚を、何とか外そうと将子が右腕を伸ばすと、葵は残った左腕を取ろうとする。片腕を両腕で取られれば、腕力に差があっても勝てるものではない。将子は、脚を抜くのをあきらめて、今度は葵の腕を取ろうとするが、葵は今度は脚で距離を取って、それを拒む。

 倒れた相手にガードポジションを取られたときに取る行動は二つ。あきらめて立ち上がるが、足から身体を抜くかだ。

 あきらめて立てば、もう攻めることはできない。いきなりでもできなかった事が、相手が十分に反応するだけの暇を与えられたときに成功するわけがなかった。

 そして、相手のからまった脚を外すというのも、かなり骨の折れる作業ではあった。それさえできてしまえば、かなりの確立で勝てはするのだが、反対に言えば、そう簡単にできることではなかった。

 将子の腕力を持ってしても、それはかわらなかった。まず、将子は脚を使えない。腰に脚をまわされている以上、脚はほとんど役に立たない。

 そして、腕で外すのも難しい。

 葵も倒れている以上、打撃を打てないのだが、それでも片腕で脚を外そうとする将子のもう片方の腕を取ろうとしたり、またはスリーパーホールドを狙ってみたり、攻撃方法のバリエーションはまだあった。

 あまり長い時間をかけたとは言えない柔道であったが、それでも将子の邪魔をするだけの技はできた。腕力の差もあるし、まだ技術的につたない部分もあるので、将子に技を決めれるまでには達していないが、それでも十分だった。

 将子は上にはなっているが、攻めあぐねているのだ。だが、立ち上がるまでの決心はつかないのだろう。いや、立ち上がって逃げるという意識がないのかもしれない。

「でも、何でだ? 葵ちゃんの方が、普通に考えたら不利だろう」

「確かに、葵も組み技、しかも倒れたときの技なんて、まだまだ大したことはないんだけど……相撲だって、投げ以外は、実は組み技は怖くないのよ」

「……あ、なるほどな。そういや、相撲って、立ち技しかないんだな」

「やっと気づいたの?」

 相撲は知っての通り、足の裏以外が地面につくと負けとなる。当然、倒れてからの技などない。投げは強烈で、その体重を利用した威力で投げられれば、命の危険さえあるが、相手に倒られてしまうと、とたんに手が出なくなる。

 相撲の本能とでも言おうか、無意識で倒れるのを嫌がる部分もあるだろう。将子には、そういう部分はなかったが、やはり苦手なのは違いなかった。

 葵は、むしろ勝算を持って寝技に入ったのだ。ここになって、やっと浩之は、葵が故意に今の状況を作り上げたのを理解した。

「でも、反対に言えば、投げ技は怖い。受身も、上からのられたら、意味をなさないしね。だから、葵は打撃で相手を封じる方法を思いついたのよ」

「で、膝か? でも、そんなモーションは……」

「肩をすかされて、将子にひきつけられたでしょ、あの瞬間よ。後ろから、脇の裏に膝を入れたのよ。一歩間違えば、受け身もとれない方法だったし、実際葵は受け身に失敗してるけど、それでも、将子がのしかかってくるのは封じたのよ」

 肩をすかされた、あれは、葵にとっては賭けであったのだ。葵は、わざと肩をすかされ、将子に投げの機会を与えた。

 投げの理というものを理解している将子は、当然すかした方向に投げる。それには、背中や腰に背負う体勢にならなければならない。

 一瞬だけ、将子の背中が無防備になる。後頭部を殴るにはあまりにも距離が離れすぎていたが、狙える場所は、他にもあった。

 下わき腹の裏だ。ここは、あばらが短く、骨でガードされていない上、筋肉のつきにくい場所で、直に内臓にダメージを与えることができる。下手をすれば、その短いあばらが折れることもある。

「見えない後ろから、わき腹の裏に一撃。これは、経験なかったでしょうね。そもそも、投げを狙ったらそれを打撃の的にされるなんてこと、経験しようがないし」

 ボクシングでは反則になっている、危険な部位だった。葵はそこを狙ったのだ。そして、葵の狙いすました膝は、将子の動きを止めるには十分だった。

 結果、葵は下にはなったが、ダメージはほとんどうけなかったし、むしろ有利な状況で戦えるようになった。

 これだけでは勝てないとしても、確実にダメージを当てている。それは、次のための布石。

 ……しかし、本当にそうか?

 浩之は、少し疑問に思った。葵が何かを考えてこんな状況を作ったのはわかるが、それは、着実にダメージを当てて、自分はグラウンドで逃げ、ダメージを受けないようにする、という消極的な戦略を、葵が考えたことを、不思議に思った。

 そうまでしないと勝てない相手だと認識しているってんなら、わからないでもないんだけど、しかし、それでも、今の状況が、ただ逃げるためのもの?

 それは、何かおかしい気がした。自分にとって有利、少なくとも、負けることはまずないという状況をつくりあげているのは、ただの時間稼ぎということになる。何せ、葵もグラウンドでは、将子をしとめることができないのだから。

 そして、浩之のその想像の通り、葵は、違うことも狙っていたのだ。

 

続く

 

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