作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(96)

 

 試合が始まる前だというのに、二人の息はすでにあがっていた。

 一分という時間は、二人の体力を回復させるには十分な時間ではなかった。ダメージはお互いに多くないようではあるものの、疲労までどうにかする術は持っていないということだ。

 一ラウンド三分三ラウンドという時間は、フルに戦うには辛い時間だ。お互いに、疲労を気にして試合中に攻めずに休めばどうかはわからないが、単純にそのまま手を出し合ったら、スタミナの持つ時間ではない。

 そういう意味では、二人はどちらかというと、序盤は手を出さなかったようにさえ思えるのだが、そのわりには酷く疲労しているようだった。

「葵ちゃんの体力は、もつと思ったんだが」

 練習の虫の葵は、その分スタミナがある。長い間休まずに動いても、かなりの時間もつし、回復も早い。ラッシュの練習を入れることがあるが、それはそういうときの体力を保持するためなのだ。

「相手に上にのられて、しかも相手の方が重いんだから、仕方ない話じゃないの」

 綾香はあっけらかんと評価した。もちろん、理由など浩之だって色々出せるが、それは別に不思議がっているのではなくて、葵の身を案じての発言であり、綾香の言葉で納得できるわけがなかった。

 最後の一ラウンドは、おそらく葵には酷く長く感じるはずだ。疲労をかかえたまま、一発のある将子の打撃を避けきらないといけないのだ。この際、ガードは意味をなさない。一撃うければ、それがガードの上だろうと何だろうと、スピードが落ちる。これ以上のダメージは、直に負けを意味すると言っていい。

 浩之の、贔屓目なしの審判では、葵と将子のポイントは同じに見える。ということは、贔屓していないはずがないので、葵の方が判定になったとき不利ということだ。

 もっとも、葵が判定を狙っているなどとは思わない。そんな練習も、今まで一度もやってきたことはなかった。葵のやってきた練習は、相手の技をよけ、外し、対処することと、打撃で相手を倒すことだけだ。それ以外の練習を、葵はしようとはしなかった。

 おそらく、それはただ勝つために間違っているようにも思えるが、反対に、それが一番近道なのかもしれない。

 判定で逃げさせてくれるほど甘い相手は、エクストリームには出ていない。浩之も戦ってそれをよく理解した。もし、そんな気持ちで試合にのぞめば、厳しい攻撃に押し切られるのは目に見えていた。

 性分か、作戦か。どちらにしろ、葵は正しい選択をしている。浩之は試合を経験して、再度そう思えた。

 心配なのは、今でもまったくかわらないが、浩之は思う。ここまで来れば、後は葵を、葵のやってきたこと、これからやること、そして決意を信じるだけだと。

「それでは、お互い位置について」

 まだ息を切らせる二人に、審判は無常にも合図する。身体をひきずるようにさえ見える二人だが、心なしか、顔が笑っているようにさえ見えた。少なくとも、苦しいという表情は、そこから見出せない。

 しかし、それも当然か。今二人は、十分に強い相手を前にしているのだ。格闘家、否、格闘バカとして、こんなに楽しいことはない。それを感じた浩之でさえ、嫌だと思うほど強い相手を目の前にしても、葵も将子も、格闘バカの顔を消すことはなかった。

「それでは、第三ラウンドを開始します。レディー……」

 二人が、同時に構える。はりつめた緊張は、もうすでにそこにはなかった。あるのは、むしろ燃えるような闘争心だけ。

「ファイトっ!!」

 ダンッ!!

 審判の合図と同時に、二人は飛び出していた。それこそ観客達が声を出す間もなく、二人の大きさの違う身体が交差する。

 パアンッ!!

 将子の掌打と、葵の拳がぶつかる。いや、これは葵が故意に打ち込んだのだ。ガードするには強すぎる、しかし、避けるには近づきすぎた状況で、葵は自分の拳をたたきつけた。いかに力がのっていようと、突き出される前の掌打には極端な威力はない。

 続く将子の右の掌打を、葵は相手の右に身体をずらしながら避ける。

 将子の脇ががら空きになるが、そこに葵が打撃を打ち込む暇はなかった。

 さらに連続の将子の左の掌打が、すぐにかえってきたのだ。葵は、それをさらに右にまわることで避けるしかなかった。が、将子の体を変えるスピードも速く、そのまま円をえがくように葵の身体を追撃する。

 円をえがくように後ろに逃げながら避けているので、葵は何とか将子の掌打をさばけているが、防戦一方になる。

 ローでも入れることができれば、将子の脚を止めることができるのだろうが、それには自分が脚を止めるしかなく、そうすれば、将子の掌打は避けることができても、体当たりまでは避けることができないだろう。相撲という、体当たりを職業とするような相手が前に出ているときに、その目の前で脚を止めるのは自殺行為だ。

「押さば押せ、引かば押せ、ってやつね。相撲がああなると、手がつけれないわよ」

 綾香はのんきにそんなことを言っているが、浩之はひやひやしながらその防御一方の葵を見ていた。作戦があるのかもしれないが、手を出せない状況では、それもままならないはずだ。

 相撲にとって、つっぱりの連打など、お手のものだ。普通は相手を殴り倒すためのものではないのだろうが、将子の掌打は、明らかに相手を押し出すための相撲のつっぱりとは違っていた。間違いなく、相手を打倒するために練りこまれたものだった。それが将子に、腕を上に逃がさずに、素早く引き戻している。そうすることによって、より相手に多くの衝撃がいくのだ。これは物理法則にのっとっている。ジャブに違いが、将子の前進する力と、その腕力がかさなれば、十分な必殺技だった。

 しかし、そんな浩之の心配をよそに、綾香の言葉は、そのまったく反対だった。

「葵の、作戦通り、ってところね」

「え? 葵ちゃんの、作戦なのか?」

 浩之が見てさえ、葵は必死に将子の攻撃をさばいているだけのように見えた。

「何、今回も説明が必要なの? 私、解説者じゃないんだけど」

「ああ、頼む」

 綾香の意地悪い言葉にも、浩之は素直にうなずいていた。浩之の認識では、それを作戦とはできなかったのだ。綾香も綾香で、妙にうれしそうにうんうんとうなずきながら、解説をはじめる。エクストリームの解説者として食べていけるほどの、完全な解説を。

「仕方ないわねえ、いい、まず、最初の攻防だけど……」

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む