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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(97)

 

「まずは、最初の攻防の説明ね」

「いや、それはいいから、とりあえず葵ちゃんの作戦ってのを教えてくれ」

 にべもなく綾香の言葉を、浩之は断ち切った。何も、綾香の解説を聞きたいわけではないのだ。葵の作戦というものを知りたいがために、いちいちそんなことにつきあってやっているのだ。それを綾香は、さも暇つぶしを見つけたかのように喜んでやっている。そんなものには付き合えなかった。

「ちゃんと聞いときなさいよ、後学のために」

 もっとも、浩之がそう言ったところで、綾香が納得するなどとは浩之だって思ってはいないのだが、言わずにおれなかったのも確かだ。綾香はいいかもしれないが、浩之はかなりあせっているのだ。自分が作戦を知っても何になるわけではなかったが、それでも知っておきたいと思うのが人の心というものだ。

「そんなこと言うと、葵の作戦の方も解説しないわよ」

 綾香の意地悪というよりも、だだをこねるような、少し甘えるような声を聞いて、浩之は少したじろいだ。いかによく一緒にいて性格を知っていても、ここまでの美人、そしてそれだけではない相手にこんなことをされれば、たじろがない方がどうかしている。

 横で坂下がこんなとき、こんなところで何をのんきにちちくりあっているんだか、という顔で二人を見ているが、浩之も浩之なりに必死で、綾香は綾香なりに浩之を使って遊んでいるのだから、坂下の口ほどに物を言った目は無視された。

 いや、むしろ、まったく知らない部外者の方々にもそんな目で見られているような気がしたが、浩之は持ち前の無神経さと図太さと、そしておまけほどの葵に対する責任感のようなもので、何とか踏みとどまった。

「いいから、さっさと教えてくれよ」

 そうこうしている間にも、葵は段々と追い詰められていた。それはスピードでかく乱はできているが、時間が経てば疲労はますます増えるばかりだろうし、いつつかまるとも知れないのだ。しかも、将子ならば、逃げる葵をうまく追い詰めることさえ、しかねない。

 こんなところで綾香と遊んでいる暇はない、浩之としてはそう言いたい場面だった。もっとも、それ以外に何ができるかと言われれば、答えに窮しただろうが。

「もう、葵が私に頼らないのに、浩之が私におんぶにだっこじゃどうするのよ」

 ごもっともな意見ではあるが、言う人間が間違っている。通常、そういうことを言う人間は、もう少し相手をいじめたりからかって遊んだりしない人間が言うべきことであって、綾香が浩之に言うべき言葉では、ひいき目に見ても半分もない。

「後からいくらでもおんぶでもだっこでもしてやるから、さっさと教えろ。いや、教えてください」

「……もう、調子いいんだから」

 綾香は教える体勢に入ったのだが、実は浩之の言った言葉にかなり動揺してぽろっと承諾してしまったのは、綾香だけの秘密だった。それを隠せる辺りはさすが天才なのだろうが、やはりいかに綾香とは言え、攻めはともかく、色恋沙汰の守りに関して言えば、まだまだのようだった。

「まあ、そろそろなんじゃないの?」

「え?」

 綾香の言葉に、浩之は慌てて試合場に目をやる。横目でちらちら見ていたとは言え、実際に心配な葵から目をそらしていたのでは、一体何をしたかったのかわかったものではない。ここでは、とりあえず綾香とちちくりあうのが目的ではなかったはずだが。

 スパンッ

 浩之が試合場を見たその瞬間、葵のパンチが将子の腕をかいくぐって顔面を捉えていた。ただし、クリーンヒットではあった、その打撃音はあまりにも弱々しく、将子のその太い、本当に肉と骨でできているのか疑いたくなるような首から上をゆらせるとは思えない威力だった。

「?」

 浩之は、一瞬状況がつかめなかった。また葵が逃げているのを見ているからなのだが、正直おかしな感覚にとらわれたような気がした。だから、試しに状況を口に出して、綾香に聞いてみた。

「一応、当たったよな」

「見た通りよ。もちろん、あの程度じゃあ、相手が倒れるなんて葵だって思っていないだろうけど。今の限界があそこだったってことだけね。」

 何の、限界だ?

 浩之から見れば、もうとっくの昔に限界は通り越している。将子の前進を、止めるなど絶対に無理だし、葵のように、試合が始まってからずっとさばくなどという神業、できようがない。

 できようがないのだ、いかに葵が強かろうとも、そんな神業。相手との技量が格段に上ならばともかく、同じレベルの相手に、ほんの少し、時間で言えば三十秒ばかりだが、その間ずっと流しきる、そんなもの、人間ではない。ずっと攻めている将子も信じられないが、葵の防御だって、絶対に信じられなかった。

「……はあ?!」

 浩之は、すっきょんな声をあげていた。今やっと、その不自然きわまりない攻防に気づかされた。葵だからできる、などという話ではない。確実に、不可能のはずの行為だった。

 スパンッ

 まだ、バックミュージックのような、いや、それよりもよほどささやかな音で、葵の拳が将子を捉える。今回も、ダメージはまったくと言っていいほどなかったようだったが、反対に、将子も葵を捉まえれなかった。そう、葵が手を出しているにも関わらずだ。

「やっと、手が出せるところまで来たみたいね。まあ、かなり長かったのは、今回はかなり相手が強かったってところかな」

 綾香の勝ち誇ったような解説するにしても一番肝心の部分をぼかした説明では、浩之には当然何が起こっているのかわからなかった。聞いても、やはり何が起こっているのか理解できないかもしれなかったが、浩之は、今度こそ聞かずにはおれなかった。

「一体、何が……?」

「ほんと、にぶいわよねえ。ここまで来ないと気づかないの? 葵は、完全に将子の攻撃を見切っているのよ」

 それだって、丁寧に相手の攻撃をさばくのは至難の技なのだが、それぐらいの神業、葵になら期待してもいいと綾香は思っていた。その程度できずに、自分の前に立とうなど、それこそ片腹痛いとさえ思った。実に傲慢に、綾香は葵を信じた。

「……何でだ? 今まで、かなり苦戦させられる相手だったのに」

「それが、葵の作戦ってわけよ。もう、相手は完全に術中の中よ」

 策士、葵の策の全貌は、いたって、実にいたって簡単、単純、明快なものだった。

「疲労よ」

 

続く

 

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