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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(100)

 

 まだ身体から抜けない痛みを、歯を食いしばりながら耐え、葵は構えを取った。

 油断していたわけでは、もちろんない。

 そもそも、油断などという言葉は、葵と将子の間には入りようのないものだ。どちらも、相手を倒すのに必死なのだ。もっと余裕のある相手ならいざ知らず、油断できる相手では、お互いない。

 だから、これは私の油断じゃない。

 ほんの少しでも回復するために、将子からジリジリと距離を取りながら、葵は再確認していた。

 私が油断したんじゃない。将子さんが、自分が考えるよりも強かったというだけだ。

 細心の注意を払い、将子の動きを鈍らせ、決定打を入れることができるまで、無理やり弱らせたはずだった。実際、将子が今追撃してこないのは、自分の打撃と、そして疲労のせいで動けないからだ。

 もう三ラウンドも、大した時間は残っていないだろう。

 正確な時間は葵にはわからなかったが、例え時間がすでに残っていなくとも、このままこの試合は終わらない予感、いや、終わらせない決意があった。

 それは、将子だって同じはずだった。それが将子に、まだ目が終わりをつげていない。

 お互いの残りの力、時間、そういうものを考えると、攻防は後一度だろう。その一度に、この試合最大の力を込めねばならない。

 でも……将子さんを、倒せる?

 よしんば、相手の攻撃をかいくぐり、一撃を入れたとして、将子のその頑丈な身体を倒すことができるのか、不安になる。

 いや、ここまで来て、不安はない。冷静な判断だ。今一度、完全に葵の拳が入ったはずなのに、将子はまだ倒れていない。

 将子から見れば、会心の一撃が入ったのに、それでも立ち上がったのは葵なのだが、葵には、正直もう一度将子の打撃を受けて立ち上がる自信がなかった。

 将子は、おそらくあるだろう。どんな打撃を受けても、打ち返す自信が。

 だが、葵だって、この状況に何の作戦もなく追い込まれたわけではなかった。ちゃんと、それなりの作戦が、今でも現在進行形で動いていた。

 拳では、倒しきれない。でも、脚ならば。

 鍛えに鍛えた、葵にとって一番信頼できる、右のハイキック。

 この試合、葵はハイキックをほとんど見せていない。脚を高くあげれば、それだけ隙が生まれる、そこを将子に狙われるのを避けたのだが、それは不幸中の幸いとして、葵の手の中にあった。

 ほとんど見せていないハイキックならば、当てれるのでは?

 将子の怖さは、その学習能力である。一度目が効いたからと言って、二度目が通じる相手ではないのだ。普通の相手でも、それは対応されるのは仕方ないことだが、将子の場合、その順応が早過ぎる。

 しかし、これが一撃目となる、全力の右ハイキック、これならば、順応する間もなく……。

 ……無理だ、そんな甘い考えは、通じない。

 どんなに考えても、葵の右ハイキックは決まらない。仕切りのような格好ではなく、将子は腰をあげているのだ。距離は遠いし、単純に蹴りへの反応は、その構えの方が速い。

 だが、葵のその考えをわからないでもないだろうに、将子は、半身の構えから、正面に身体を向けた。

 腰を落とす将子に、ワッと試合会場が沸く。

 これぞ相撲、という格好で、将子は構えた。

 ここで、仕切り?!

 葵の頭は一瞬混乱したが、何か酷く納得できるものがあった。戦略的に見てどうこうではない。ここで、将子が仕切りを取るのは正しいのだ。

 今の将子の姿は、背中にオーラが見えそうだった。こんな状況だから、理にかなった行為を取るのではない。こんな状況だからこそ、理を超えた、自分のプライドにかけるのだ。

 例え、総合格闘の場所であろうとも、自分が一番信頼できるのは相撲。ならば、この極限の状態で行うのも、信じる相撲。

 それが理だ。そして、将子がその自分の理を取ったとき、さっきよりも数倍近い迫力が、葵を襲っていた。

 しかし、葵だって、今ここで気圧されて終わるには、少しばかり、強かった。

 私の、信じれるものは?

 考える間でもない、いや、考えるよりも、早く体は動く。左半身で、いつもの構え。

 空手が私の信じるもの?

 ううん、違う。それなら、私は今でもエクストリームなどには出ずに、空手の世界で生きていたはず。

 痛みは薄らいできていた。治っているわけではない。身体が一時的に痛みを忘れていっているだけだ。

 空手という枠には、囚われない。私の、今まで練習してきたもの、それが、私のプライド。

 将子が、仕切りのまま少しずつ距離を縮めてくる。葵も、自分が攻撃できる場所まで、少しずつ距離をつめる。

 ここで逃げれば、もしかすれば、試合は勝てるかもしれない。いや、一度ダウンを取られている葵にその目は薄いのだが、例え勝ちの確率が高かったとしても、葵は前に出ただろう。

 そのために、葵はここにいるのだから。

 この、一交差に、全てかける。

 その決意を胸に、葵の身体は、風のように動いた。

 それを待っていたとばかりに、将子の身体が、動いた。相手のカウンターを取る、レベルの高い動体視力と瞬発力。しかし、葵の目は、ここに来てそれをはっきりと捉えた。

 遠くから見ている浩之さえ目で捉えれないのではというほどのスピードだったが、葵の目はそれを確実に捉えていた。そして、今までやられてきたことを、将子に向かって慣行した。

 将子相手でも、腕と脚ならば、葵の脚の方が長い。そのタイミングさえ合えば、カウンターが取れる。

 ズバッ!!

 今まで将子が葵を苦しめてきた、カウンターのタイミングで、葵は将子の身体を捉えていた。

 蹴り上げた葵の左脚が、将子のガードの上を蹴っていた。だが、両腕でガードをした将子の身体は、それでは止まらない。体重さえあれば、それでもとめれたかもしれない。だが、葵の身体は軽すぎた。

 質量の、勝利。

 ッバン!!!!!!!

 将子がそう思ったかどうかはわからない。だが、葵の左ハイキックから、間をまったく置かずに、同じように、打撃音が響いた。

 ドッ

 葵の身体が、音とあまり間を置かずにマットの上に落ちる。受け身は取れなかった。しかし、今この場で、受け身など、何の意味があるだろうか?

 何故なら、葵はすぐに立ち上がったのだから。

 ドザッ

 葵よりも重い音を立てて、将子の身体が、マットの上に倒れた。

 スウッと葵は息を吸い込み、腕を前で十字に構えた。そして、勢いを持って腕を開く。

「ハイッ!!」

 葵の、勝利の気合いが、体育館に響いた。

 

続く

 

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