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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(101)

 

「ハイッ!!」

 葵の、勝利の気合いだった。

 今まで、どんなに打撃を受けても倒れなかった将子の身体が、前につんのめるように、ゆっくりと倒れた。他の何でもない、葵の、打撃によって。

 もう、起き上がってこない。葵の脚に伝わったものを、葵はよくわかっている。これで立ち上がってくるのは、人間以外のものか、さもなくば浩之か、どちらかでしかない。

 それほどまでに、「右」のハイキックは、完全に決まっていた。

 もう、いかなる将子であろうとも、闘志を身体に伝えることはできない。意識を、葵のキックが、完全に刈り取った、そのことを、葵自身が一番理解できた。

 追撃のない葵を見て、あわてて審判がカウントを取り出す。

「ワンッ、ツー……」

 他の観客とは違って、綾香も、浩之も無言だった。将子に立ち上がるなと思っているふしも、浩之には少しはあるのだが、綾香は、もうすでに将子を意識から消していた。

 坂下も、少しは驚きながらも、満足そうにうなずいている。坂下から見ても、この試合は終わったのだろう。それでも立ち上がる人間は、格闘の世界には多いが、今回は、それも許してもらえぬ一撃だった。

 入ったのは、右のハイキック。延髄に、完璧に入った。疲労があるとは言え、葵の渾身の右ハイキックが、いや、それをハイキックと言ってもいいのだろうか?

「スリー、フォー……」

 ピクリと、例えが悪いが、まるでゾンビのように将子の身体が震える。葵は、将子からは視線を外さなかったし、ましてや、構えももとかなかった。

 グググッと将子が、その大きな身体を腕の力で持ち上げる。

「ファイブ、シックス……」

 審判のカウントの音と、観客の、オオッ、という歓声が重なる。

「まじか、立ち上がるのか?」

 浩之ははらはらして見ていられなかった。それは、もしこのまま将子が立ち上がったとしても、もうすでに虫の息で、将子に勝機は、つまり葵が負けることは、ありえないだろう。

 後一撃だからと言って、振りの大きくなるような葵ではない。きっちり、今度こそ弱った相手を仕留めるだろう。葵の打撃は、その小さな身体に似合わず、ずしりと重いのだ。受けたダメージが、簡単に回復するものではない以上、葵の勝ちはすでに決定している。

 それでも、浩之を心配にさせるほど、将子という選手は強いのだ。浩之の常識、まかり間違っても、人間の常識を超えないものを、超えられるかもしれない。

「セブン、エイトッ……」

 だが、綾香は言ったように、すでに将子を見ていない。

 葵の勝ちだ。今度こそ、それは間違いない。一度であろうとも、綾香の読みを外させる将子の実力は、並ではなかったが、綾香だって、そして、葵だって、並などとうに超えているのだ。

 今でさえ、将子には意識はないだろう。それでも立ち上がろうとする、そのこと自体は敬服するが、残念ながら、今回、それは勝ちにつながらなかった。

 もう、綾香の中で、それは過去形だった。

 それでも、将子は膝をつき、立ち上がろうとする。この後、もし立てても、戦える身体ではないし、そんな身体で、葵の前に立って、五秒ももつわけがない。

「ナインッ」

 立ち上がる時間は、すでに残されていない。それでも立ち上がろうとした将子の身体だったが、しかし、そこまでだった。

 将子の膝が、折れる。そのまま、その巨体は、もう一度マットの上に倒れた。

「テンッ!!」

 ワッと、観客が沸きあがる。優勝候補の一角を、エクストリームチャンプに紹介された今日まで無名だった選手が倒したのだ。この会場にいる者はみな、彼女達の試合に注目していたのだ。

 勝敗は決した、それも、完璧なKOで。

「それまでっ!!」

 一瞬遅れて、審判の試合終了の合図がかかった。しかし、それを葵は待てなかった。

 葵の、疲労とダメージでぼろぼろの身体が、まるで風になったかのように、試合場の外に駆け出した。少しは予想、というより期待していた浩之だったが、予想したスピードを、はるかに上回っていた。

 ダンッ!!

「ぐふっ!!」

 すでに高校生レベルではない格闘少女に、思い切り体当たりをかまされて、浩之は情けない声をあげた。それでも何とか持ちこたえたのは、浩之の才能というよりは、むしろ意地だと言っていいだろう。

「センパイッ、やりましたっ、私、やりましたよっ!!」

 感極まった葵の取る行動と言えば、ほとんどは予測のつきそうなものなのだが、その予測さえ超える、葵の超タックルに、浩之はメロメロ、いや、ボロボロだった。

 しかし、そうなるとわかっていても、逃げるわけにはいかない。いや、男として、この状況、誰が逃げれようものか。

 思い切り勢いをつけた葵の抱きつきに、それでも苦しみながら鼻の下を伸ばす。男としては鏡、もちろん自分を写したもので理想ではない、と言えよう。

 横で見ていた綾香は、抱きつかれて無防備な、浩之のわき腹に、葵が放ったボディなど問題にならない危険度の抜き手を入れてやろうかとも思ったが、葵の技に免じて、もう少し待ってやることにした。

 実際、なかなか、やるじゃない。

 葵の蹴り上げた脚は、左だった。あの状況で、自分の一番信じれる技以外を使うのは、自殺行為にさえ思えた。が、それは一撃の必殺をこめながらも、実際には布石でしかなかった。

 前に出る将子は、蹴りをいなさずに、受け止めると葵は読んだ。

 であれば、受け止めれないほどの威力を込めるか、相手に受け止めさせないように、ガードをさせないようにする、方法はこれぐらいだろう。

 葵の打撃も、ガードをされてもそれすら無視することは、少なくとも将子相手には無理だ。だから、もう一個の方法を取った。

 いや、第三の方法に近いのかもしれない。葵は、左の蹴りを、受け止めさせたのだ。

 普通なら、これで相手は反対側に蹴り出されるだろう。しかし、将子の身体と腕力は並ではなく、なおかつ前進の力も加わって、蹴りの威力にも負けない前進力となった。

 葵は、それを狙った。

 左のハイキックを受け止めさせ、そこで自分の左脚を固定、そのまま、右脚で将子のガードのない反対側を蹴ったのだ。

 もちろん、両足は地面についていないが、将子という足場があれば、葵には十分だった。葵は、身体を浮かせた状態で、全身全霊の力を、その右脚に込めた。

 いかに将子でも、葵の渾身のハイキックを片腕で受け止めることはできず、そして、両腕を使って空いた反対からの右のキックを、避けることはできなかった。

 ガードしたと思った瞬間に、反対から来るキック。これはかわせないし、受けれない。

 結果、葵の渾身の右のキックは、将子をマットにしずめたのだ。

 綾香にも、もちろんできる。しかし、そんな練習をしてこなかったのに、今まであるものだけで下地を固め、この大舞台で、そんな技を使った葵はほめるに値すると綾香は思った。

 しかし、それとこれとは、違うということは、わからせておかねばならない。

 誰でもない、浩之に。

 綾香の、刃物と同じような抜き手が、浩之のわき腹に突き刺さっていた。

 「うげっ」と、あまりかっこよくない悲鳴か嗚咽かをあげて、浩之の身体がクの字に曲がるのを、綾香はにこやかな顔で見ていた。

「いつまで鼻のばしてだいてんのよ」

 綾香の突っ込みに、浩之はいつも通り、死の匂いを近くに感じた。

 

続く

 

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