「あれ、もう帰って来たんだ?」
すぐに試合場に戻ってきた浩之と葵を見て、坂下は何か含むことがあるような言葉を言ってきた。もちろん、他意はない。ただ、せっかく浩之と二人きりの状況だったはずなのに、すぐに戻ってきたのは少し驚きだった。
「休憩は、ここでもできますから。それより、試合の方が気になって」
葵は苦笑しながら坂下の横についた。
「で、浩之は?」
一緒にいると思っていた浩之の姿はない。こんなかわいい後輩を置いてどこに消えたのかと坂下は思ったが、もともと浩之も神出鬼没なところがある。どこに消えてもおかしくはない。
「それが、何か心配そうな顔で、綾香さんを探しに」
「綾香を? まったく、浩之も……」
葵の気持ちを知っているのか知らないのか、知らぬふりをしているのか……そこまではあまりそういうことの経験のない坂下にはわからないが、もう少し気付いてやってもいいだろうに、とは思えた。
「でも、綾香を野放しにすることを考えると、まだましな行動か」
「そんな、野放しなんて。綾香さんは、そんな危ないことはしませんよ」
そんなわけがない。綾香はいつだって無茶苦茶だ。あれだけの才を、面白おかしく生きるのに使われた日には、まわりの者はたまったものではない。現に、浩之はかなり被害を受けているだろう。
私の知ったことじゃないけどね。あれも、本人が好んでやってるんだろうし。
浩之が綾香を選ぶことに、坂下は何も口出しすることはない。まともに幸せな生活が送れるとは到底思えないが、波乱万丈という意味では、かなりお似合いの二人だとさえ思う。
もちろん、葵が綾香と戦う気、浩之をかけて戦う気があるのなら、違った話にもなるのだろうが……。
「……どっちにしろ、私の口を出す話じゃないわね」
「え、何かいいました、好恵さん?」
「ううん、こっちの話よ。それより、次の試合の勝者が次の相手でしょ? よく試合を見とく必要があるんじゃない?」
「あ、はい、そうですね」
試合場の選手は、両方が葵の試合着と同じような、身体にぴったりとつく、水着のような服を着ている。女子にはこの手の服を着ている者はけっこう多い。
相手に衣服を持たせないためだ。それに、服が動きを邪魔することもある。一対一の格闘技戦を考えるのなら、当然そういう選択になるのが普通だ。
しかし、反対に言えば、試合着ではその選手が何の格闘技をしているのか判断できなくなってしまったということになる。
柔道をやっていない者が柔道着を着ることはない。空手をやっていない者が空手着を着ることもない。そうやって、ある程度姿を見るだけで判断できたものが、できないということなのだ。
「ああ、あっちの小柄な選手は、どうもアマレスの選手みたいだね。一試合目に、体格差のある相手を投げ飛ばしてたから。名前は……篠田逸香ね」
頼まれもしないのに、見た選手について坂下は葵に教えてやった。もっとも、別に坂下は綾香のように助言はしない、などと言って意地をはるつもりはなかった。
どうせ、自分が何か助言してやらずとも、葵ならば十分自分でどうにかすることをわかっていたからだ。それに、自分の教えられることは、いつもの練習で全て教えている。
「アマレスですか。一度は戦っておきたい相手ですね」
それだけを聞けば、増長にも聞こえることを葵は口にしたが、坂下は葵の真意をわかっている。
エクストリームで勝つことは、坂下が見ても並大抵の道ではない。
空手だけの戦いであれば、空手を鍛えればいいが、エクストリームのような異種格闘技戦では、組み合わせの良さ、悪さというのも重要になってくる。
つまり、自分の得意なことと、相手の得意なこととの相性だ。
もちろん、相性だけにはまかせられない。苦手な部分も、なるべく対策を練って、そなえておくべきだ。
そうして考えたとき、葵に足りないものは組み技。経験しておくべきは、組み技を使う選手、それも、組み技に特化した相手だ。アマレスは、それで言えば条件としてはこの上ない相手だ。
「エクストリームでは、アマレス経験者は多いですから。戦っておいて、損はないと思います」
「だったら、何で葵はアマレスをせずに、柔道にしたの?」
同じ組み技であるのなら、アマレスを練習してもよかっただろうに、葵は組み技の対策として、柔道を選んでいた。
「道場が近かったのもあるんですが……一番の理由は、決め手です」
「アマレスはそんなに詳しくはないんだけど、アマレスにはなくて、柔道にはあるものがあるってわけだ」
「はい、もちろん、その逆もまた真ですが、短時間で即効性のある効果を得たかったので、柔道を選びました。柔道には、投げ、締め、関節技、どれもそろってますから」
組み技で試合を決めるには、何かしら、相手をギブアップさせる方法がなくてはいけない。もちろん、対抗するには、ギブアップさせてくる技に対しての対抗手段を経験した方が効率がいい。
葵の選択は、まず間違っていない。葵にはあまり時間がなかったのだ。一通り経験しておくだけでも、十分意味があると考えれば、柔道を選んだのは、しごく当然のこと。
「なら、ちょうどいいわね。あっちの選手が勝つにしろ負けるにしろ、それなりに参考になりそうで」
相手の選手の方が、その動きから打撃系の選手だと読んだ坂下は、そう葵に言ってやった。葵ならば、相手選手が打撃系であることは気付いているだろうから、いらぬ世話かもしれないが。
「それでは、レディー」
審判の声と共に、試合場の二人が構える。
「ファイトッ!!」
小柄な篠田選手は、腰を落とし、さらに頭を落とし、完全なタックルの体勢に入っている。相手選手は、それを見ているにも関わらず、フットワークを使い出した。タックルをかけようとしている篠田選手に比べて、腰の位置はかなり高い。
こうもフワフワ浮いたような重心では、あまりいい動きはできそうにないのだが、それが見た目通りとは言い切れないのが、このエクストリームの怖さだ。
一番外見的には強そうに見えないだろう葵が自分のことをたなにあげてそう思うのも、仕方のないことだ。ここでは色々な選手が、常識を破ってくる、そういう場所なのだから。
タックルをしかけてくるのを待つか?
カウンターを考えるのが一番たやすいので、葵はそう作戦をねってみたが、しかし、それとは反対に、腰の浮いた相手選手は、一歩篠田選手に向かって歩を進めていた。
続く