作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(105)

 

 相手の前進に合わせて、篠田選手は、何故か後ろに下がっていた。

 そこを、相手選手のパンチが空を切った。

「パンチ?」

 てっきりテコンドーだと思っていたので、葵は一瞬自分が読み違えたのかとも思った。てっきり、キックでいくものと思っていたのだ。

 しかし、それ自体は何らおかしなことではなかった。葵もそこまで詳しく調べたわけではないので知らなかったようであるが、テコンドーにもパンチはある。足技が目立つのは確かだが、拳を使ってはいけないというルールはないのだ。

 葵は、テコンドーの詳しいことまではわからなかったが、それでもエクストリームに出るほどの選手である以上、自分の格闘技以外の技を使ってもおかしくない、と自分を納得させた。

 しかしそれこそ、このエクストリームでは一番重要な心構えかもしれない。

 相手が何をしてくるかわからない、というのは誰しもわかっていることではあるが、一度使っている格闘技がわかってしまうと、かなり安心できる。何をやってくるのか予想できるようになるからだ。

 だが、それこそが間違いなのだ。確かにやっている格闘技がわかれば多くは動きを読める。しかし、もしそこで予想だにしなかった動きをされたら、どうなるだろうか?

 相手のことがわかっている、というのは、その多くではあっても、全部ではないのだ。

 相手の格闘技がわかったことは、参考にしかならない。その実力の全てを、それで判断するのは、あまりにも危険なことなのだ。

 その点を、篠田選手はわかっていたのだろう。キックだけなら、攻略は簡単だとよくわかってはいたのだろうが、それだけではない、ということも、理解していたということだ。

 よしんば、それで相手がキックだけなら、そこからでも攻めるのに遅くはない。正しい判断だ。

 うかつに入り込んで、パンチの直撃を受けるのを避けた分、篠田選手の方が葵より試合巧者ということだ。もっとも、葵とてそこまで鋭くもないパンチをそのまま受けるつもりなどないが……

「でも、あんな突きじゃあ、相手は倒せないよ」

 坂下の評価は厳しい。キックには見るものがあったが、パンチに関して言えば、相手選手のそれは、場を濁す程度の精度しかないように坂下には見えたのだ。

 葵の評価も同じ。ということは、やはりパンチは本業ではないということだ。キックとの精度があまりにも違う。

 今のは、単純に相手を下がらせる一手、と思って間違いないだろう。

 それでも、打撃専門でない相手を警戒させるには十分ということだ。もとより、相手の方もパンチで相手を倒せるなどと思っていないだろうし、何より、そんなことを狙わないだろう。

 ようは、蹴りを出せるだけの間があけばいいのだ。そのための間を、そのパンチは空けた。

 相手の身体が、次の瞬間に飛んでいた。

 大きく跳躍したかと思うと、そのまま、身体をひねって篠田選手の頭部を狙って右のキックを繰り出す。その動きは、かなりなめらかで、まるで羽を持って飛んでいるようであった。

 動き自体は美しい。しかし、それは、意味のある攻撃なのか、葵にはわからなかった。

 飛び回し蹴り?

 飛び技自体は、エクストリームでも見ないことはない。浩之も使っていた。しかし、振りも大きくついていたし、KOを狙うにはあまりにも正直過ぎる動きに見えた。

 相手の意表をつくのが飛び技の真価の一つだ。それが消えたとき、それは単なる隙の多い打撃技でしかなくなる。今回の飛び回し蹴りは、単なる隙の多い技だ。

 案の定、篠田選手はそれを軽くよける。

 シュパッドカッ!!

「っ!!」

 観客は、一瞬息を呑んだ。

 篠田選手は、確かに一撃目の飛び回し蹴りを避けていた。が、その次の瞬間には、さらにガードの上から飛び蹴りを食らって後ろに飛んでいた。

 一撃目の飛び蹴りが風を切る音の、すぐ後だった。まるで魔法のように、左脚が篠田選手のガードの上を叩いていた。とっさに後ろに飛んでいたのでダメージはほとんどないようであったが、もし相手を捕まえるためにもう一歩前に出ていたら、それもできなかっただろう。

 相手選手は、左の飛び蹴りをガードされたにも関わらず、バランスを崩すことなく、すとっと軽く着地していた。それは、まったく無理のない動きだ。

 二段の飛び回し蹴りだった。

 まず、勢いをつけた右の飛び回し蹴り、それを避けられた後にも、さらにまだ残っている前進の力を使いながら、一回転して、左脚の飛び後ろ回し蹴りだ。

 それは、綾香がたまに見せる技であったが、それに劣らないほどに安定した技であった。飛び技という不安定なものでは、綾香のような安定している方がおかしいというのに、それをこの選手はやってのけ、そしてそれで仕留めれなかったことを、悔しくも感じていないようであった。

 あれだけの大技、出して相手を仕留めれない、というのは、選手にとってはプレッシャーのはずだが、そういう風にはまったく見えない。葵がワンツーで相手の様子を見ているのと、何らかわらない。

 しかし、ここまでくれば、それも何ら不思議なことではないことに、葵も気付いていた。

 華麗な蹴り技に、観客達の歓声が大きくなる。見目は綺麗だが、それだけにとどまらないだけの技だった。選手達は、むしろそれに驚いているだろう。

「これが、テコンドー……」

 あまり注目している格闘技ではなかったが、ここまで見せられれば、葵も自分の考えを改めるのに躊躇しなかった。

 もっとも、ここまで蹴り技に特化した格闘技が、葵はテコンドーぐらいしか思いつかなかっただけで、実はまったく他の格闘技だった、という可能性も否定できないのだが、事実、相手の選手の使っている格闘技はテコンドーだった。

 蹴りに特化したということは、他の打撃ですることを、キックのみでまかなえるだけの技があるということだ。つまり、パンチに対するボクシングのようなものだ。

 キックでするボクシング。それを考えて、葵はそら恐ろしいものを感じた。ボクシングは、総合格闘の世界でも、決して侮れる相手ではないのだ。そのパンチが、筋力が腕の三倍あると言われる脚にかわったときの恐ろしさを考えると、背筋も凍る。

「やるねえ、まあ、ちょっと蹴りが軽い気もするけど」

 坂下の言う通り、飛び技にしては、それは威力は弱いだろう。だが、相手を打倒するには、それでも十分な威力を出せるのは間違いない。

 あの二段飛び回し蹴りは、葵のワンツー。

 そんな凶悪な選手が、今そこにいるのだ。

「えっと、あの選手の名前は?」

「ん? ええと、はい、冊子」

 坂下から受け取った冊子に目を通す。

「……水嶋清代選手」

 葵がその選手、水嶋選手の名前を見たのは、もちろん、この選手が次の相手となる可能性が出てきたからだ。それほどに、完成された蹴り技だったのだ。

 だが、まだ試合は決まったわけではない。そのどちらも、まったく決定打も出していないし、致命的なミスも見せていないのだ。

 まだ、試合は始まったばかりだった。

 

 

 緊迫した試合、しかし、緊迫しているのは、何も試合場だけではなかった。

 綾香は、何故か体育館の裏の、人気がない場所で、体躯の大きな者達にかこまれていた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む