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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(109)

 

「ッ!!」

 肩を襲った激痛に、将子の身体は、自分の意思に反して、その場に崩れた。何とか膝も手もつかなかったのは、相撲取りの意地だ。

 激痛を必死に堪え、綾香に反撃しようとするが、そのときにはすでに綾香は素早く距離を取って逃げていた。

 いや、距離を取ったのは、逃げたからではない。綾香がその気ならば、さっきの激痛に耐えている時間の間に、倒せたはずだ。

「へえ、凄いわねえ」

 綾香は、本当に感心したのか、しみじみと将子の身体を見る。

「相撲取りが、痛みぐらいで膝を屈するわけにはいかないんでね」

 そういう将子の顔にはあぶら汗が流れていた。肩を押さえて、無理をしているのが誰の目にも明らかだった。

「せ、先輩、大丈夫ですか?」

 あまりに将子が無理をしているように見えたので、怒られるのも覚悟で、後輩の一人が将子に尋ねる。

 それに、将子は苦々しく笑いながら答えた。

「あんまり大丈夫じゃないかもねえ。鎖骨、もってかれたよ」

「……鎖骨?」

「ああ、これは、ヒビは確実だな。驚きだよ、こんなに簡単に、人の骨にヒビを入れてくるんだからね」

 後輩達は絶句して、綾香に文句も言えなかった。相撲だろうが、他の格闘技だろうが、誰が好き好んで相手の骨を痛めようとするだろうか?

 しかも、これは単なる野試合なのだ。勝ったところで、何の利益もない。下手をして相手に怪我をおわせようものなら、傷害罪でつかまるかもしれない。

 だが、ヒビが入っていると聞いても、綾香は少しも驚かなかった。それどころか、さらに過激なことを口にする。

「驚いてるのは私の方よ。私はてっきり、折れるものと思ってたわ」

「鍛え方が違う、って言いたいんだけど、今回は単に生まれつきの骨の丈夫さが幸運だった、ってことだね」

 それでも、鎖骨にヒビを入れられた以上、将子はこれ以上戦えないだろう。相撲は前からぶつかるので、鎖骨は直に当たるし、別に他の格闘技でも、はっきり言って無理だ。

 綾香は、アッパーを避けさせ、そこで開いた肩を狙ったのだ。ラビットパンチと同じ、相手によけさせてからのコンビネーションである。

 上から振り下ろす肘を、さすがに将子も読めなかった。いや、読めてたとしても、先に将子の攻撃が入るはずであった。そこを綾香は、空いた片手で将子とのつっかえ棒として、ダメージを殺し、その間に、肘を叩き落した。

 鎖骨は前からの衝撃には強いが、上からの衝撃にはもろい。ましてや、綾香の肘だ。折れるなという方が無理であり、ヒビで済んでいるのは、幸運としか言い様がない。

「肘か、警戒してなかったよ」

「別に他の技でもよかったんだけど、ちょっとだけ、本気出してあげたんだし、記念にね」

 綾香とて、相手の骨にヒビを入れたのは生まれて初めてだったのだが、そこに恐怖はなかった。自分がかなり危険な人間なのだということを、綾香は再度確認した。

 何故なら、将子の鎖骨にヒビを入れてなお、まだ戦いたいと思っているのだ。

 さすがに無理よねえ?

 無理はできるだろうが、今度は本当に折れてしまいかねないし、こんなところで選手生命を縮めるのを強制するわけにもいかない。何より、やはり負傷した身体では、本気が出せないだろう。

 だが、将子はそれを簡単に裏切った。

「さあ、続きだ。まさか、ヒビぐらいで終了とはいわないだろ?」

「せ、先輩、さすがに無理っす!!」

 あわてて、後輩達が将子の無茶を止めようとしたが、将子はそれを片手でさえぎった。

「私がこれから、何年格闘の世界にいるか知らないけど、その間に、相手の鎖骨にヒビ入れさせて、それでも平気で戦おうって相手に、もう一度会えると思うかい?」

 綾香の顔を、挑発と思ったわけではないだろう。挑発されても、無理なものは無理なのだ。

 ……ああ、これも、そうだってわけね。

 自分と同じ種類の人間だ。戦うのが、楽しくてしようがないのだ。綾香だって、少し前なら、怪我をすればエクストリームを辞退してもいいと思っていたが、最近は、それでも出たいと思い出した。

 考えがかわってきたというよりは、本性を現してきたという方が正しいのだろう。

 どこにでもいる、格闘バカの末路だ。

「さあ、再開だ。願わくば、もうちょっと、本気出して欲しいものだね」

 勝てないとわかっていても、取り返しがつかなくなると思っていても、ここで後ろに下がれるぐらいなら、最初から怪物にケンカなど売ってこないのだ。

 怪物にケンカを売った末路は、やはり取り返しがつかない、とも言えるが。

 綾香の口元が、ニンマリと、釣りあがったように笑う。綺麗なのだが、それはもういつもの綾香ではなかった。

 ここにいる誰もが、将子でさえ感じた。

 目の前にいる少女は、少女の皮をかぶった肉食獣であるということを。

「いいわ、私が自分で出せる本気、出してあげる」

 大きいスタンスで取っていた構えを、綾香はすっと縮める。腕が引かれ、守りが消える。

「久しぶりよ、本気出すのは」

「っ!!」

 将子の身体が大きくのぞけっていた。

 パンッ!!

 思い出したように響いた音と共に、将子の鼻がつぶれて鼻血が飛び散る。

 何をされたのか、わからないほどのジャブだった。しかも、威力は普通の選手のストレートをはるかに超す。

 鼻の骨は……折れてない。

 とっさに後ろにのぞけったのがよかったのだろう。将子の鼻の骨は折れていなかった。だが、脳震盪は残っている。

 ズパパパンッ!!

「ぐぅっ!!」

 あご、脇、膝裏に、素早く打撃が叩き込まれる。もうそれがパンチなのかキックなのかさえわからない。あごを狙った一撃を、何とかガードするのが精一杯だった。

 まるで残像のように、綾香の身体がぶれる。

 胴体の動きさえ捉えきれない、それは間違いなく怪物だった。

 突きっ!

 ドカッ!!

 避けたと思った突きが、後ろから襲ってくる。鍛えに鍛えあげた首も、後ろから受けたラビットパンチに悲鳴をあげる。

 何だ、この一方的な強さは?

 自分の強さに、それなりに将子だって自信があった。だからこそ、綾香と戦いたいと思ったのだ。しかし、今、綾香にまったく手を出せない。

 鎖骨をかばっている暇などない。一撃、倒せずとも、一撃を。

 将子は、その決心だけして、綾香を追う。まるで止まることのない打撃を、それでもまだ受け続けている将子は、弱いわけではなかった。

 むしろ、綾香が強すぎたのだ。

 綾香の動きが、一瞬止まる。それはまるで罠のようだった。いや、それだけの動きの中、一箇所だけでも活路があれば、罠だろうと関係ない、それにすがるだけだった。

 将子の身体が、弾丸、というより大砲の弾のように動いた。

 捉えたっ!!

 と思ったときには、綾香は横に飛んでいた。

 ズバキッ!!

 綾香の身体が、そのまま地面に降りることなく、将子の頭部にとび蹴りを入れていた。

 それは、ワイヤーアクションを見るような動きだった。

 綾香は将子の突撃を飛んで避けると、そのままコンクリートの壁を蹴り、反動で将子に飛び掛ったのだ。

 将子の身体が、今度こそ意識を無くして、膝をつく。

「三角蹴りよ。一応、空手の秘技、かな?」

 その離れ業をやった当の綾香は、そうやって少しおどけると、将子に背を向けた。奇跡でさえ、将子が今一度立ち上がることはない。綾香には、その確信がある。

「けっこう楽しかったわよ」

 もうその言葉は、将子には聞こえなかった。

 

続く

 

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