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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(110)

 

 倒れて立ち上がる気配のない将子に、綾香は背を向けた。

 残心、など必要としない。相手を完全に殺したからこそ見せる、背中だった。

 もっとも、綾香は将子を殺していないし、何より、今綾香に手を出すのは、残心をしている相手に手を出すよりも、さらに危険だった。

 戦いが終わっても、まだ綾香の戦闘モードは切れていなかった。

 目の前に、先輩の仇がいるというのに、綾香をかこうようにしていた将子の後輩達は、ズサッと綾香に道を譲る。

 どんなに鍛えていても、どれだけ身体があっても、今の綾香の視界に入れば、意味無く地に倒されることがわかっていたのだろう。

「もうちょっと、楽しんでもよかったんだけど」

 少し名残り惜しそうに綾香はそう口にすると、背を向けてそこを去った。

 事実、かなりおいしい相手だった。自分のスピードに最後はついていけれないながらも、一撃むくいようと、無理をしてもあれだけの、大砲のようなぶちかましを放ってきた。

 最後の三角蹴りは、その気迫に、綾香が触発されて出してしまった技だ。あそこまで、するつもりは最初はなかったのだが。

 よくやった。ただ、相手が悪かった。

 「三眼」には及びもしないとは言え、綾香の本気を数秒でも耐えたのだ。かなりの選手だった。

 まだ胸の中の残り火が、綾香の表情を肉食獣に変えているのか、誰もが綾香をよける。

 うーん、少しは落ち着くと思ったんだけど……

 いや、綾香はけっこう満足していた。エクストリームでも、そういないレベルの選手を、完膚なきまでに倒したのだし、少しは満足できるのだが。

 これからも、ちょっと楽しそうな試合、多そうだしなあ。

 まさか、葵の相手に先に手を出すわけにもいくまい。というより、将子のような人間が特別だ。普通は綾香相手だろうが、誰が相手だろうが、リアルファイトを申し込むような人間はいない。

「お、こんなことろにいた……ってげっ!」

 綾香を皆が避ける中、ようやく、後ろから綾香に声をかけてきた男は、そう言って一瞬立ち止まった。

 綾香が振り返ると、すでに浩之は転進、全速前進しようとしていた。

 パンッと、炸裂音のような音と共に、綾香の身体は浩之の後ろまで距離をつめ、万力だってもうちょっとおしとやかだろう力で、浩之の肩をしっかりとつかんでいた。

「何、浩之。葵はほっといていいの?」

「あ、いや、試合を葵ちゃんは見てるからな。俺も戻ろうと思うんだが……」

 その手を放してくれないか、とは口に出せない。直接何か言うなどということをすれば、スイッチの入った核爆弾のように大爆発を起こすかも知れない。

 今の綾香の危険度を、浩之はたかが数ヶ月の付き合いで、熟知していた。まあ、赤の他人さえ避けて通るのだ、気付くなという方が無理なのだが。

「そう、じゃあ、ちょっとだけ、つきあってもらおうかな」

「ひっ!!」

「……ちょっと、そこで何で悲鳴なのよ」

「あ、き、気のせいじゃないのか?」

 いつもなら、鼻の下の一つも伸ばそうというものだが、いかんせん、今はやばい。実にやばい。近づいたら殺される。そして、浩之はすでに近づいていた。というか肩をつかまれて、逃げられない状態にまでなっている。

「あー、短い人生だった」

「……物凄い勝手に観念してるわねえ。ま、いい傾向ね」

 どこがじゃ、というつっこみを、浩之は何とか飲み込んだ。吐いたが最後、ボコられるのは確実になるのだ。飲み込もうというものだ。

「でも大丈夫よ、さっき、ちょっと遊んできたから、けっこうすっきりしたわ」

「……遊んできた?」

 一応、浩之はまわりの人間が被害に遭わないように、綾香を監視しようと探していたのだが、時すでに遅かったようだ。

「綾香……殺しは駄目だぞ」

「殺してないわよ……多分」

 綾香も相手を殺す感覚など、体験したことはないが、とりあえず、首の骨が折れた感覚はなかったので、あの後くも膜下出血でもしていない限り、生きていると思う。

 多分、というのはそういう意味だ。しかし、多分よりも先に、その言葉を口に出すこと自体にかなり問題があった。

「どついてもいいから、せめて突っ込め。いいわけを言うな。怖いから」

「まあ、大丈夫だって。一応、合意の上だから、こっちが罪にとわれることはないと思うし」

 だからそういう問題ではないのは綾香も百も承知だが、そうとしか言いようがないのだから仕方ない。

「奮発して三角蹴りまでやったんだし、向こうもけっこう満足したんじゃないの?」

「三角蹴りって……」

「一度壁に飛んで、そこから反動で相手に飛び蹴りをするのよ。私も、さすがにマンガでしか見たことないけどね」

 マンガでしか見たこと無い、というのに、それを実際に使うとは……

 相変わらずの怪物ぶりに、浩之は頭が痛くなりそうだった。

「でも、あれは駄目ね。エクストリームじゃ当然使えないし、使えるとちょっとやり過ぎちゃうし、使いどころが難しいわ」

 試合と実際のケンカの怖いところは、予想だにしない攻撃があることだ。

 試合は、あくまでルール内の攻撃しかない。ケンカでは、武器を使わないとしても、複数人数でもできるし、急所を打つのもいいし、してはいけない技はない。

 それでも、予想している攻撃ならば、鍛えている者は鍛えた身体や、慣れで攻撃をある程度我慢したり無効化したりできる。

 しかし、まったく予測しない攻撃、というのは、どんなに鍛えても、かなりの確率で直撃を受けてしまう。そもそも受ける技術、というものがない。

 三角蹴りは、まさにそんな技だった。壁に飛んだ相手がいきなり返ってくるなど、予想できるものではない。

 普通はできないからこそ予想できないのだが、それをやってしまう綾香には、都合の良い必殺技となってしまったようだった。

「三角蹴りなんて、普通できねえよ。だいたい、誰がやろうと考えるんだ?」

「その状況を使って、相手を倒すのは兵法の基本じゃない。三角蹴りだって、地の利の高等技術みたいなもんじゃないの」

 高等技術だとは思うが、公平な試合に兵法を取り入れるところで、すでに問題があると思う。何も、浩之も他の人間も、日常を戦いにしたいわけではないのだし。

 まったく、頭の痛い話だった。

 こんな相手に勝とうなんて、さすがに無理なんじゃねえか?

 それは、浩之が自分に言った言葉でもあるし、葵や、他の綾香を狙っている人間全員に対する問いかけでもあった。

「何なら、教えようか?」

「無理だからいい。実践されるのはもっと遠慮する」

 いつか、綾香に挑戦することがあっても。

 浩之は、決心した。

 戦うときは、踏み場になる壁や障害物があるところで戦うのは、やめておこう、と。

 

続く

 

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