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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(113)

 

「それで、次の吉祥寺選手の相手なんですが」

「吉祥寺の勝ちだろ?」

 パンフを見ながら説明しようとした葵の言葉を、坂下が無碍に言い切って止めた。

「そうなんですか?」

「試合見てたけど、十中八九は吉祥寺の勝ちだな。相手は、体格のいい柔道家だ。今までは組技の相手と当たっていたようだが、あのスピードだと、吉祥寺の攻撃は避けられないだろうな」

 体重が重いのは、格闘技には有利ではあるが、スピードが落ちるのはいかんともしがたい事実であり、吉祥寺のスピードは、葵に次ぐ、と見ている坂下としては、見る間でもない試合だ。

「吉祥寺が負けるとすれば、何かの手違いで懐に入られたときだろうけど……そんなへまをわざと以外で、やると思う?」

 葵は首を横に振った。

 見たところ、吉祥寺は、良くも悪くも、綾香に似たタイプの人間だった。

 似た選手、ではない、似た人間だ。

 自分の実力を、相手にわからせないと気が済まないタイプ。しかも、平常でも凶悪な性格をしているのは、試合を見るだけでわかる。

 普通ならそれは隙となるのだが、そこに強さが入ると、危険な化学反応を起こす。

 誰しも、楽して勝ちたいと願うのが、こういう試合だ。

 だからこそ、それなりの作戦や、場合によっては消極作に出ることがある。

 だが、反対にそれは、付けいるチャンス。相手の思惑を読んでいれば、むしろ簡単に勝てたりする。

 何より、防御よりも攻撃の方が有利なのだ。

 攻撃は最大の防御、という言葉は、防御の難しさを表した言葉でもあるのだ。

「動きの鈍い組み技系格闘家。私ら打撃格闘家にとってみれば、まさに格好の相手さ」

 そのわりには、面白くなさそうだった。

 自分が戦うことも含めて、結果のわかる試合など、坂下にとって何の楽しみもないからだ。

 相手を鍛錬しているわけでもない、個人的に腹を立てているわけでもない、だったら、弱い相手と戦うのに、何の楽しみがあろうか。

 やるとなれば、手加減はしないし、油断もしないが、そういうこととは別に、趣味ではない、ということは多分にある。

「その点、葵は楽しそうね」

 綾香がカラカラと笑うのに、今回ばかりは坂下も同意見のようだ。

「何なら、私が変わろうか? ただし、本戦へ行く資格なくなるけど」

「私にどう返事をしろと言うんですか」

 葵は苦笑した。

 そこまで、葵は達観できない。今でさえ、相手が強いと思うと、足がすくみそうになる。楽しいと思う気持ちがあってもだ。

 まさに、自分の性分なのだろう。

 やるとなると、まわりが見えなくなるくせに、はたと気付くと、弱気になって、前に出られなくなる。

 そういう弱さも含めて、自分を鍛錬しなくてはいけないのだ。

 いつまでも、センパイに頼ってばかりじゃ駄目。しっかりしないと。

 しかし、そう思っても、浩之が横にいる事実は、いかんともしがたいほど葵には心地いいのだが、それはそれ、これはこれだ。

 もっとも、浩之の方は自分の助けがあまり必要なくなったと感じて、少し寂しい気持ちを感じているのだが、二番目に鈍感な葵が気付くわけがない。

「来たよ」

 観客や選手達が、道をあけているのがわかった。

 こんな場所で選手を避けるなんて、殺気立ってる綾香ぐらいのときしかないと思ってたんだがな。

 もちろん、綾香が殺気立つと、子供は泣いてにげるし、おじいさんは心臓発作で逝ってしまいそうなので、なるべくやって欲しくない。

「……何も悪いことは考えてないぞ」

「どうだか」

 拳をふりかぶっていた綾香に、浩之は思っていることを言った。悪くはないはずだ。大まかに言って事実とそう遠くないのだから。

「しかし、殺気立ってるわねえ、吉祥寺選手。強いんなら、もうちょっと落ち着いてもいいと思うんだけど」

「そういう気合いの入れ方をする人なんじゃありませんか?」

 葵としては、格闘技が強い人間が、負けず嫌いではあっても、一般生活でそう暴力を振るうとは思えなかった。

 綾香は、まあ除外だ。被害を受けているのが浩之だけなので、許してもらえるだろう。浩之以外には。

 愛情表現みたいなもの、と言えば、浩之以外は何も言えないだろう。

 命の危険がある浩之が文句をつけるのは、しごく当然の話ではあるが。

「相手の方も来たよ」

 うん、でかい。

 浩之公認だ。将子選手と同じぐらい、いや、横は将子選手よりも大きいだろう。超重量級というわけだ。

 鈍重そうだが、油断はできないだろう。

 柔道でも、柔道のルールの中とは言え、本当に強い軽量級の選手が、重量級の選手に勝てないということは多い。

 無差別級で、軽量の選手が勝てないのは、事実なのだ。

 それに柔道はすでに知っての通り、スピードは決して遅くない。組み手さばきなどは、打撃格闘家と比べても、遜色ないスピードだ。

 ローキックも、足払いというスピードのみを考えた技に対応してきているので、対応は早かろう。

 懸念すべき点は、相手が道着を来ていないこと。この点ぐらいだ。

 相手の選手も、吉祥寺選手に触発されたのか、かなり殺気立っているように見える。

 その身体に、打撃が効くかと言えば、効くのだが、やはり打たれ強さを考えると、頭狙いか……

 胴体は、あまり得策ではない。葵はそれを行えたが、投げられる衝撃という意味では、柔道の方が強いのだ。相撲取りより、内蔵が打たれ強くとも、不思議ではない。

 柔道は投げられることを、相撲ではぶつかることを重点的に練習するのだから、仕方のない差だ。

 まあ、打撃じゃお話にならねえだろうけどな。

 相手選手が、いかに打撃をさばいてつかまえるか。それまでの試合だ。今回は、膝はない。柔道は下に入らないのだ。

 空手と一番つきあいが長いからこその、進化だろう。

 しかし、やはり勝つのは、吉祥寺ではないのか。そう浩之も、思ってしまう。それほどに、吉祥寺の表情には、凶の色が見て取れた。

 綾香が浮かべる、あの凶悪な顔に近い表情。それを、弱い者ができるなど、どうしても考えつかなかったのだ。

「それでは、両方、位置について」

 審判の声を聞いて、二人は位置についた。

「それでは、レディー、ファイトッ!!」

 

続く

 

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