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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(114)

 

「レディー、ファイトッ!!」

 審判の声で、二人は構える。

 吉祥寺選手の方は、いつもの左半身の構えだ。他の選手と比べると、腕を引き気味にしている以外は、打撃系としてはオーソドックスな構えだ。

 対する相手は、かなり腰を落としている。エクストリームでは、あまり見られない構えだった。

 いや、終盤にさしかかればともかく、序盤の手探りの状況で、そう構える者はいない。

「タックル狙いか?」

 十分に腰を落として、前に出るふりをつければ、それは速いタックルができるだろう。

 その構えから言って、タックル以外は思いつかない。

「まだ、序盤ですし、あからさま過ぎますね。誘いだと思います」

 葵達打撃格闘家にしてみれば、むしろありがたいぐらいの構えだった。

 タックルが来るこがわかっても、確かに避けるのは難しい。しかし、いつ来るかわからないときよりは、格段に簡単なのだ。

 あそこまで腰を落としては、打撃にはそう簡単に移れない。であるなら、タックルを警戒すればいいだけだ。

 他の組み技の射程は遠すぎる。タックルのようにつっこんでくる形からできることなど、数が知れているのだ。

 この時点で、すでに相手が何をするかの大半が読めてしまっている。何が来るかわからないという、エクストリームの怖さ半減だ。

 かつ、相手はあの吉祥寺。タックルを完全に防いで、かつそこから相手を捕まえての脳天への膝蹴りを持つ。タックル狙いなど、怖がるものではない。

 確かに、あの体格差から言って、タックルを吉祥寺選手が押さえきっても、相手がマットに手足をつけて、打撃から逃れるのを阻止することができないかも知れない。

 だが、怖くないのは同じことだ。相手の構えは、吉祥寺を相手にするには相性が悪すぎる。

 そこまで考えると、おそらく、誘いだろうという結論に達したのだ。

「吉祥寺選手が、タックルをつかまえるために、守りに入ったときに何か狙うか、攻めて来るように、隙を作っているのか……そんなところだと思います」

「そうだよなあ。タックルだけじゃあ、エクストリームじゃあ勝てないしな」

 浩之も、エクストリーム用に、タックルを重点的に練習したが、結局、あまり活用できていなかった。

 タックルは、総合格闘技では有利な技なのだが、あまりにも皆使うため、対抗策がかなりねられているのだ。

 それに、相手の打撃の威力を考えると、うかつにつっこんでも倒されるだけなのがわかってしまう。

 何の工夫もないタックルで倒せるのは、おそらく一試合目がギリギリだろう。後は、何か他の作戦や技を合わせて使わなければ、意味がない。

 じりっと、相手の選手が前に出る。

 まだ吉祥寺の打撃の射程ではないと思うが、その体格から言って、スピードは吉祥寺の打撃に劣るだろう。吉祥寺のキックをかいくぐって、タックルなどできるとは、浩之には思えなかった。

 くんっと相手の選手が動いた。

 パアンッ!!

 次の瞬間には、相手の選手は大きく横にそれていた。吉祥寺選手も、相手選手の直線から体をずらしている。

 その攻防に、オオッという歓声があがる。

 正確には、吉祥寺選手の放った左のストレートに対してだ。

 相手の動きに合わせて、射程距離に入るないなや放たれた吉祥寺選手の左のストレート。それは相手選手の腕をこするようにかいくぐり、顔面に入っていた。

 しかし、腕で威力を殺されたのもあったが、相手選手は、身体を後ろに逃がすだけで、踏みとどまっていた。

「入ったよなあ、今の」

「はい。でも、相手選手の首が強いんでしょう。致命傷にはほど遠いです」

 確かに、相手選手は顔面にストレートを受けたわりには、ダメージを受けているようには見えない。

 腕でとっさに吉祥寺選手のパンチをずらしたのもあるのだろうが、恐るべきは、その首だろう。

 首が強い方が、頭に対する打撃は効かなくなる。

 頭という、鍛え様などないと思われる部分は、実際には、かなり硬い。

 石でもたたき割る空手家も、人間の顔面を殴れば拳を痛める可能性がある。それほどに、人間の頭部というものは硬いのだ。

 だが、そのかわり中はもろい。筋肉で覆うことができない上に、重要な器官が多数存在する頭部は、人間にとっての急所だ。

 特に、脳は弱い。衝撃が伝われば、即座に脳震盪を起こし、意志を手足に伝えなくなる。

 それを避ける方法が、首を固定することだ。

 首が固定すれば、衝撃は身体ごとゆらそうとする。そうすれば、脳はほとんどゆれない。こうやって、頭を打たれてもなかなか効かない打たれ強い人間ができるわけだ。

 相手選手は、さらに身体を後ろにそらすことによって、ダメージを最小限に抑えていた。打撃の直撃を受けられて平気、というのは、打撃格闘者に与えるショックというものもある。

 その効果を狙ったわけではないのだろうが、結果的に、吉祥寺選手は少し距離を取っていた。一度はパンチが入ったのだから、ダメージが回復する前に追い打ちするのが基本なのだが、相手にダメージがないのだから、慎重になったのだろう。

 対する相手は、一度パンチをほとんど直撃させられたにも関わらず、懲りずに腰を落とした。

「まさか、バカ正直に、タックルを狙ってるわけじゃないよな?」

「……いえ、それも、ありかもしれません」

 打撃を、受けても耐えるだけの自信があるのなら、できない戦術ではない、と葵は思い直した。

「吉祥寺選手は、どう見ても打撃のプロフェッショナル。そんな人と、打撃で戦いたくはないんだと思います。だったら、一発二発打たれる覚悟で、組み付いた方が断然有利、と考えているんじゃないでしょうか?」

「組み技系の、普通の戦術に聞こえるんだが」

「私も、そう思います。でも、それを実行する人は、ほとんどいないんですよ」

 打撃格闘家にとって、やはり怖いのは組み付かれること。いかにダメージを蓄積させていたとしても、関節技や締め技が決まれば、一発逆転してしまう。

 しかし、打撃を受けることを覚悟して来る選手は、いないと言ってもいいぐらいだ。

 いかに相手にとって怖いとわかっていても、自分だって、打撃の中に身体をつっこむのは怖いのだ。

 しかし、自分の打たれ強さを信じて、向かってくる体格のいい選手。これは、打撃格闘家にとって、酷く嫌な相手だ。

「もしかしたら、吉祥寺選手を倒すのは、こういう、基本を実行してくる人かもしれません」

 格闘技にとって、基本ができることは、どんな場面においても、強いことなのだから。

 

続く

 

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