「おもしろみのない試合よね」
じりじりと距離を取ってにらみ合う試合場の二人を実ながら、綾香は肩をすくめた。
相変わらず無茶をいいやがるぐらいにしか浩之は思わなかったが。
「私なら、さっきの一撃で決めてるわよ。相手の腕もかいくぐって、追い打ちもかけておくわ」
「腕?」
「気付かなかった? さっき、吉祥寺選手が追い打ちをかけなかったのは、相手選手が腕を伸ばしてたから。掴まれるのを嫌ったのよ」
言われてみれば、守りとしてはかなりお粗末なものだった。
腕を前に出しておけば、あんなストレートの、軌道がすぐに読めるパンチを、わざわざうけるとは、確かに考えられない。
「てことは、やっぱ誘いだったのか?」
「打撃についていくよりは、少し無理して掴んだ方がいいとか思ってるんじゃないの?」
しかし、柔道も変則の動きを見せる打撃には反応できるかどうかわからないが、ストレートぐらいなら、十分受け流すことができるはずだ。
守りは最低限にして、相手を捕まえるのを最優先にしているということか。
勝率、という意味では、少々心許ないが、勝機、という意味では、けっこう正しい選択ではないだろうか。
浩之のシミュレーションでも、そうやって戦う気がする。もっとも、浩之の場合、一撃で倒される可能性の方がよほど高いので、やる気にはなれないが。
それより、少し不思議に思うことがある。
「なあ、綾香」
「何?」
「さっきのは、葵ちゃんへの助言には入らないのか?」
横で、じっと葵は綾香の言葉を聞いていた。会話に入ったりはしていないが、聞き逃しているようには見えない。
「んー、いいかげん、助言しないのも面倒で。それに、葵相手じゃ、これぐらい助言にもならないわよ。わかってるし。そうでしょ、葵?」
「は、はい、吉祥寺さんが相手に掴まれるのを嫌って後ろに下がったのは見ていましたから」
浩之には見ていてもわからないのだが、そこは実力の差というやつだろう。
「……俺はそれよりも、綾香が葵ちゃんが見て理解できる範囲がわかる方が不思議なんだが」
「さすがに全部わかるわけじゃないわよ。これぐらい当たり前ならともかく、ちょっと怪しい場所はやっぱり黙っとくわよ。ま、葵なら、結果がわかればだいたい何をしたなんか理解できちゃうだろうけど」
試合中なら、相手に何をされたのかわからないでも、横から試合を見ている立場なら、今までの動きと、結果から、何をしたのかは理解できる。
それを超える、となると、葵が楽をして勝てるどころか、全力をかけても、負けるかもしれない相手となる。
「じゃあ、試しに聞くけど、綾香はこの試合、どっちが勝つと思ってるんだ?」
これは、かなり助言のようにも感じられる。だから試しに聞いてみたのだが。
「好恵はどう思う?」
「試合前は、吉祥寺の圧勝と思ってたけど、見たところ、どっちとも言えなくなってきたわね。動きが今までの試合よりもいいわ。実力、隠してたのかも」
他にも、強い相手にあたって、いつもよりも実力が出せている可能性もある。
それほどに、試合のテンションというものは、結果を変えてくるものなのだ。
それに、予想以上に打たれ強い。当てるためのスピードをあげた打撃では、坂下も相手選手を一撃で倒す自信はなかった。そのまま接近しても力負けしない自信はあったが。
そういうことを総合すると、吉祥寺の勝つ確率は六十パーセントというところだろう、と坂下は考えていた。
「鬼の好恵ともあろうものが、前言撤回?」
前に、一度吉祥寺が勝つと坂下は予想していたのだ。
綾香にからかわれて、坂下はふんっと鼻を鳴らしただけだった。決して坂下も気が長い方ではないと自覚しているが、それぐらいで冷静さをなくすほど綾香とのつきあいは短くない。
「強いと感じれば、評価を変えない方がどうかしてるよ。正直、あの打たれ強さはやっかいだね。体格だけかと思ってたら、力もありそうだ」
「ふーん、葵は?」
「吉祥寺選手が勝つ……のを期待しています」
「期待、ねえ?」
葵は、あの将子さえ倒してのけたのだ。いくら力に差があっても、体格が大きく、動きが鈍い方を相手にする方が楽なような気が浩之にはした。
吉祥寺選手の相手も、遅くはない。でも、将子ほどのスピードはかねそなえていなかった。腕の動きはともかく、つっこむスピードは、雲泥の差だ。
対して吉祥寺選手は、葵の体格を良くしたような選手だ。相性的に言って、かなり悪い相手だ。リーチが違うから、同じ打撃でも、葵のは届かずに、葵には届く。
それも懐に入れれば、とも思うが、そんなことを簡単に許す吉祥寺ではないだろう。
「あ、強い相手と戦いたいってわけか」
浩之は、自分で勝手に納得した。それならわかる。どちらが葵に強敵かと言えば、吉祥寺に決まっているのだ。
「それもあります。私の予想では、わずかに吉祥寺選手の方が有利に見えます。でも、私は少し期待しているんです。吉祥寺選手が、何かを見せてくれるのを」
一試合目は、相手のタックルをつぶして、そこに膝を落とすことで、他の組み技系選手のタックルを封じた。
二試合目は、肩で相手をはねとばして、自分の優位な状況を作ってから、冷静な判断ができなくなっている相手に、追い打ちをかけるようなフェイント。
総合格闘技における、打撃の可能性を、意識してなのかたまたまなのかはわからないけれど、吉祥寺選手は見せてくれる。
今回も、何か見せてくれるのでは、という葵の思いは、わがままではあるが、仕方のない話だったのかもしれない。
組み技を狙う、体格の大きい打たれ強い相手。
攻略は、大変そうだ。大変だからこそ、吉祥寺選手は、何かを見せてくれるのではなかという思いが浮かんでくる。
「何か見せてくれるんじゃないかという期待を、多分吉祥寺選手は裏切らないと思うんです。だから、そういう意味では、私は吉祥寺選手が勝つと思います」
「なるほどなるほど」
綾香は何が面白いのか、くっくっく、と悪役っぽく笑う。
「で、綾香の予想はどうなんだ」
浩之の詰問に、綾香は、簡潔に答えた。
「さあ?」
まあ、予測はしてたんだけどな。
まともに綾香が答えるなどという期待、持つ方がどうかしている。
「ま、それなら、見ましょうよ。葵が期待している吉祥寺選手が、私達に何を見せてくれるのか、をね」
続く