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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(117)

 

 それは、ガッ、とも、ゴッ、とも聞き取れる鈍い音だった。

 相手選手のほほに、吉祥寺の拳は直撃していた。

 だが、相手選手はそれでも勝機とばかりに、吉祥寺選手の懐に入って、胴体にがっしりと腕をまわしていた。

 体重の乗った、文句なしの必殺の一撃だった。だが、相手選手は、それを耐えきり、かつ、吉祥寺選手の胴体に腕を回していた。

「あれに耐えるか!?」

 浩之は、たまらず驚きの声をあげていた。

 倒れても、立ち上がるならまだわかる。しかし、吉祥寺選手の、踏み込んでも右フックを正面から受けて、それでも吉祥寺選手を掴むのに成功しているとなると、浩之の想像を遙かに超える打たれ強さだった。

 相手選手には、それはダメージがあるだろうが、掴んだ形がいい。あれならば、吉祥寺選手はあまり身動きが取れない。

 相手の脇に自分の腕を差し込んでいるような形だった。

 相撲の下手を取った格好にも見えるが、これはかなり理にかなっている、と浩之にも、そして葵にも見えた。

 まず、吉祥寺が一試合目に見せた膝が使えない。相手選手と吉祥寺選手は胸をつけた状態なのだ。ここから、膝蹴りを出すとしてもどこに当てることができようか。

 そして、脇に腕を入れることによって、吉祥寺選手は脇が締められなくなっていた。これでは、威力のあるパンチは打てない。脇に腕を入れられているので、それが邪魔になってうまく腕を振ることができないのだ。

 まさに、打撃封じは完全。しかも、掴む所のない格好をしている吉祥寺の身体を腕でかかえることによって、完全に掴むことに成功していた。

 今は、相手選手も吉祥寺選手の打撃の直撃からダメージを回復するためなのだろう、動こうとしないが、吉祥寺選手も動きを止めていた。下手に動けば、その勢いを利用して投げられるのは目に見えていた。

 一ラウンドの時間はそう長くはないとは言え、決定的な方に入ったと言ってもよかった。もっとも、投げ一発で決まるとはさすがに思えないので、そういう意味では、まだ吉祥寺が負けると決まったわけではないのだが。

「下手には動けないな、ああなると」

 いや、吉祥寺としては、動くわけにはいかないのだ。

 完全に不利な状況で組まれた以上、時間をかせげるに越したことはないのだ。一ラウンドも、そんなに時間が残っているわけではない。このまま、時間が過ぎれば、一応打撃を入れただけで、吉祥寺は無傷で二ラウンド目で戦うことができる。

 相手のダメージが抜けるのを待つのは、通常は得策ではないが、今回はその方が正しい、葵でも、そう思った。

 が、そんなことはおかまいなし、と言わんばかりに、吉祥寺は腕を振り上げていた。

 ガスッ

 相手選手の顔を殴ったその威力は、大して強いものではなかった。それはそうだ。脇に腕を入れられた状態で、しかも、半分浮かされた状態では、大して威力を出せるわけがない。

 いや、威力は当然出ないのはわかっていた。それよりも葵が気になったのは、その攻撃箇所であった。

 そこは、どう見ても意味のある場所には見えなかったのだ。

 吉祥寺選手は、何故か相手選手の顔を狙って、拳をふるっていた。

 それこそ、普通なら、当然狙う場所だ。

 だが、今回に限って言えば、狙う部位が間違っている。葵はそう思った。

 まず、脇をあげられているので、自分の身体に密着した部分は攻撃しにくい。相手選手は、ほとんど自分の顔を、吉祥寺の肩にはりつけるようにしているのだ。そこを狙うのは、難しい。

 次に、狙うなら、後頭部か脇腹だ。今のところ、その体勢では、脇腹を狙うのは、顔面を狙うよりもよほど難しいので、結果的に、狙うのは後頭部になるはずだ。そこならば、威力が弱くとも、それなりの効果を出せるはずである。

 だが、吉祥寺はまた右拳をふるって、相手選手のほほを叩いていた。

 パシッ

 また軽い音が響く。相手選手は、それを嫌がってはいるが、効いているとは葵には到底思えなかった。打撃音も、体勢も、威力があるなどと、思えるものではない。

 一体、何の目的があって、あんな打撃を?

 葵がいぶかしげに思ったのも当然ではあったが、その理由は、すぐに判明した。

 もう打撃のダメージもかなり抜けているだろうに、相手選手は動こうとしない。すでに一ラウンドも残り少なくなっているのだ。多少のダメージが残っているだけなら、仕掛けた方がいいに決まっている。

 だが、相手選手はしかけない。吉祥寺選手を捕まえて、そしていることがやっと、という姿にも見えた。

「待てっ」

 審判の合図があって、二人が放される。まだ、時間はあったはずなのだが。

 審判は、すぐに相手選手に何かしら話しかけていた。

 観客達は、相手選手の顔を見て、皆ぎょっとした。それは葵や浩之でも同じことだった。

 相手選手の左ほほが、紫色になって、大きく腫れていた。

 さっきまでは、そんな予兆は少しもなかったのにだ。

 しかし、それでどうして相手選手が動かなかったのかわかった。その様子から見て、かなり痛いだろうし、何より、それを審判に見とがめられれば、試合を止められるのは目に見えていた。

 まだやれる、と苦しそうな顔で言う相手選手を、審判がなだめている。その怪我は、すでに試合の出来るレベルを超えていた。

 審判は、二人をならばせると、吉祥寺選手に手をかざした。

「TKOにより、吉祥寺選手の勝ちとします!」

 当然の判断だったが、それを聞いて、相手選手は痛みに顔をしかめながらも、相手選手は審判にくってかかった。

 それで下した判断が覆るわけではないが、そうしないではおれないのだろう。

 おそらく、ほほの骨は折れている。かなりの激痛に襲われているはずだ。それでも、試合を続けようという相手選手は、凄いとは思うが。

 相手のほほの骨を折るだけの打撃を放ち、いや、あれは間違いなく、故意に折ったのだろう。いかに打たれ強いと言っても、それは筋肉や内臓系の力だ。骨は、確かに頑丈で、並のことでは痛みを感じない部分だが、一度骨が破壊されれば、行動に大きく支障を来たす。

 短期間で、打たれ強い相手を倒すには、むしろ理想的な倒し方だった。結局、吉祥寺選手は一番自分に被害が少ない状態で勝っている。

 それなのに、吉祥寺選手は、もう骨を折った相手選手のことは頭にないのか、挑発的な顔を、葵と綾香、むしろ綾香に対してであって、葵はおまけみたいなものなのだろうがと葵は思うのだが、を向けている。

 それに怖さというものは葵は感じはしなかった。

 綾香などは、相手の骨を折るぐらい、何でもないのに、威嚇の材料になるとでも思っているのだろうか、などと思っていたりするのだが、言葉には出さなかった。

 しばらく二人を睨んだ後、満足したのか、吉祥寺選手は、背を向けて、選手や観客達でできた人混みの中に消えていった。

 

続く

 

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