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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(120)

 

「じゃあ、行って来い、葵ちゃん!」

「はいっ!」

 試合場につくなり、葵は浩之に激励されて送り出された。

 浩之としては、もう少しちゃんとした言葉をかけたかったのだが、綾香とじゃれあっている間に時間を取られて、すぐにでも試合がはじまりそうだったので、あきらめたのだ。

 しかし、葵はそれでも十分だった。

 さっき浩之と綾香がじゃれあっている間に、ゆっくりと浩之の顔を堪能させてもらったから、応援は一言で十分だった。

 それに、今まで何度も何度も応援されてきたのだ。これ以上欲張るのは、わがままということを葵はちゃんと理解していた。

 そんな葵の心情をわかっていたので、葵が浩之に見とれているのを、坂下もつっこまなかった。それは、葵には当然与えられてしかるべきものだとさえ、坂下は思っていた。

 結局、何を考えているのかよくわからなかったのは、綾香ぐらいなものだ。試合前に浩之を独占するなど、葵に対する嫌がらせにしか思えないが、そのせいで葵がじっくりと浩之の表情を堪能できたと思うと、敵に塩を送ったようにも見える。

 まあ、どちらにしろ、今の葵には精神的加重はない。プレッシャーに押しつぶされることもないし、変に気合いが入っていることもない。

 緊張して当然の試合で、ここまで落ち着いているのも、おかしいと葵は思ったが、それが浩之や綾香、坂下のおかげだと思うと、納得できた。

 試合上に脚を進めると、すでに篠田選手はそこに立っていた。

 葵と同じほどの体格だが、その眼光は、鋭いというよりも、自信にあふれていた。胸をはるようにして仁王立ちしている姿は、その身体を大きく見せている。

 この人にも、プレッシャーはないのだろうか?

 試合開始位置に向かって歩くにしたがって、葵の胸は高鳴ってきていた。戦いを前にして、身体が緊張しているのだ。それは、悪いことばかりではない。ほどよい緊張は、身体の調子を良くしてくれる。今自分の中に生まれるのはそういう類の緊張だ。

 それにしても、小さな身体。

 自分のことは棚にあげて、葵はそんなことを考えていた。

 この身体で、自分よりも身体の大きな相手を豪快にパワーで引っこ抜いて投げているのだ。その力は、どこから出ているのだろうか?

 摩訶不思議な人体の力に、葵は首をひねったが、相手にしてみればこっちのセリフだ。

 今大会でも屈指の体格を誇る、相撲、枕将子と、葵は正面から戦ってこれをKO撃破しているのだ。いかに打撃がパワーだけでないとは言え、信じられないほどの差なのだ。

 それぞれお互いに、体格の良い相手を倒し、ナックルプリンセス予選の中で、おそらく一、二番目に体格の小さい二人が、準決勝を競い合うという、日本人好みの試合カードとなっていた。

「それでは、両者位置について」

 二人は、にらみ合いもしなかった。お互いに、試合以外で張り合うつもりは毛頭なかったのだ。だから、審判の言葉に素直に従って、位置についた。

「それでは、ナックルプリンセス予選、準決勝を開始します」

 注目のカードに、観客や選手達の注目が集まる。綾香の作戦がよかったのだろう、もう葵はそれぐらいではまったく動じなくなっていた。

「レディー……」

 二人は、それぞれに違う構えを取った。

 篠田選手は、腰を落として、腕を曲げ、タックルを狙う、レスリングの基本の構え。

 対する葵は、これまたいつもの、左半身に、突きだした左腕を軽く曲げた、打撃スタイル。

 体格こそ似た二人だが、その構えから、使う技、戦い方、全て違っていた。

「ファイトッ!!」

 ワッという声援を背に、葵はかけ声と同時に素早く前に出ていた。

 深く考えたわけではなかったが、先制しかない、とまるで身体が思っているように、とっさに身体が出ていた。そして、葵の身体はとっさに打撃を打てるほどには、技を身にしみこませていた。

 パパンッ!

 葵のワンツーが火を噴く。

 それを、篠田選手は手ではじいた。

 それだけで、葵の行動は、葵に有利に働いていた。例え防御されても、いや、ここで受けをされた時点で、葵の行動の意味があったのだ。

 葵は、そのまま篠田選手との距離をつめて、内から拳を繰り出す。

 ゾスッ

 不安定な体勢だったが、葵の左のボディーブローが篠田選手の脇腹に入った。

 しかし、それを無視するように、葵の腕は篠田選手に掴まれていた。あまりにも深く入り込んだので、葵も腕が引けなかったのだ。

 そのまま、篠田選手は腰を落とそうと一瞬動き、だが、そのまま葵の腕を放して、後ろに飛んでいた。

 篠田選手は倒れながら後ろに飛び退くのにバランスをくずし、倒れたが、葵は追撃をする間もなく、肩を使ってバク転のように身体を回転させると、素早く立ち上がっていた。

 一瞬の攻防、そして篠田選手のアクロバチックな動きに、観客から驚嘆の声があがる。

 葵は、右掌打によるアッパーをさけられたのを、苦々しく思いながらも、距離を取った。一瞬篠田選手の肩を使ったバク転にどぎもを抜かれて追撃できなかった以上、今回のチャンスはなくなったと判断したのだ。

 まず、ボディーブローに大した威力を込められなかったのが失敗の原因だろう、と葵は冷静に考えていた。

 最初のワンツー、あれは成功していた。こんなオープニングヒットを許す相手ではないことぐらいは戦う前からわかっていたが、そう簡単に下にかわせる打撃ではないのも、また葵にはわかっていた。

 まず、ワンツーを防御させる。受けさせてもいいし、横に逃げられるのもいい。唯一、下に逃がさなければ良かった。

 だから、葵は軽く下に打ち下ろすようにワンツーを打っていた。効果は予想以上で、相手の上半身が少し浮き上がった。

 そこに、葵は身体をねじ込んだのだ。組み技相手に、さらに内に入るという行為は、危険ではあるが、打撃にとっての活路でもある。

 強引に内に入ったので、ボディーブローは体勢が崩れたが、その後につなぐ、相手が腕を持って下に潜り込もうとするのに合わせた右の掌打によるアッパーへの布石としては十分だった。

 だが、下に篠田選手は一瞬だけ動いたものの、結局後ろに逃げた。あのままなら、例えよけられても、二の腕か裏拳を当てる自信があった。

 頭部に打撃を当ててしまえば、そのまま押し切る自信があったのに……

 ボディーの威力が弱く、理性的な行動をさせてしまったのがわるかったのか、それとも、予備動作でばれたのか、篠田選手は、自分のチャンスであるはずの腕をつかんでいる、という状況をあっさり捨てて、唯一ダメージのない後ろに逃げた。

 倒れても、私が追撃して来ないというのを予測されている。

 葵は、篠田選手と組み技を、例え自分が有利な状況でさえするつもりはなかった。どんなに体勢が有利でも、技の年期が違う。おそらく、大して時間もかからずに逆転されるだろう。

 せめて、倒れるのを怖がってくれれば助かるのだけど……

 今まで打撃でしか戦ってこなかったので、相手が組み技は平気だと思うのはおかしいことではないのだが、それを実行するには、やはり勇気がいるはずなのだ。

 その勇気を、当然のように試合開始早々から絞り出している篠田選手を、葵は素直に尊敬できた。

 

続く

 

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