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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(125)

 

 止まるなっ!

 葵の心の叫びに、身体は反応した。

 相手が強いとわかっていても、今は多少なりともダメージを負っているはずだ。そこを狙わずに、いつ狙うというのだ。

 うかつにも思えるほどに、葵は一直線に前に出た。

 下に入られない限り、捕まることはない。

 葵はそう読んだ。最初にがぶりに持っていかれたのは、篠田選手がうまいこともあったが、その多くは自分の油断の招いたことだ。

 わかっていれば、あんなことを二度やられることはない。

 その程度の自信は、いくら組み技が苦手な葵でもあった。だから、むしろ腰を上げて、フットワークを使い出したのだ。

 これで、上には入れない。そして、下に入り込もうとすれば、自分のフックの方が、速く相手を捕まえる。

 一撃では倒せないかもしれない。さっきのアッパーのダメージも、その首の力でほとんどは散らされてしまった。

 だが、一撃で倒せなくとも、相手の動きは鈍る。十分対応できる範囲まで、篠田選手にダメージを当てればいいだけだ。

 ぐっと、拳に力が入る。いるのはスピードではない、タイミングだ。相手の入ってくる瞬間に合わせれば、スピードは最小限でいい。

 視覚となる上からの打撃を、避けるのは綾香でもない限りそうそうできるものではない。

 それに、葵の背の低さは、今回に限りかなり有利に働いている。下に入るというのは、背の低い者相手に行う行為ではないのだ。

 キックは出さない。カウンターの膝を入れる自信は、さすがに葵にもないからだ。取られれば終わりの状況で、キックはうかつには出せない。

 葵の突進に合わせて、篠田選手の身体が前かがみになって、飛び込んでくる。かなり地面近くに腰を落としているが、頭はむしろ葵には狙い易いぐらいの位置にあった。

 さっきまで、下から狙っていた打撃を、上から狙う。

 葵の狙いは、酷くシンプルなフェイントだった。

 さっきまで、葵は下からあごをねらったり、ボディーを狙ったり、下への、または下からの打撃で篠田選手を攻めていた。

 上からの、そして横からの攻撃があると意識ではわかっていても、身体は下からの攻撃に慣れさされているはずだ。

 そこから、急に上からの攻撃に変える。正確には斜め上からのフックになるのだが、これは案外避けるのは難しい。

 コンビネーションとしては基本だが、打撃系でない相手には、効果的な方法のはずだ。

 さらにそれを確実なものにするために、葵は左を下から振り上げる格好を取る。さっきまで何度も見せたアッパーよりも、より距離を取るために、突き上げるというより振り上げるような格好になるアッパーだ。

 リーチの短い葵はあまり得意としないアッパーの形だが、これは避けさせることこそが目的であるので、十分だった。

 腕を掴まれるようならば、それでもいい。上からかぶせるようなフックで、確実に仕留める。

 篠田選手の頭が、葵の外側に出るにして、左のアッパーを避ける。葵の、予想通りだった。普通は、相手の外側に入るのは基本中の基本だが、今回は、そうも言えない。何せ、葵の身体が、葵のフックを隠すのだから。

 腕が葵の脚に伸びる。その動きが、葵には見て取れた。

 どんぴしゃっ!

 アッパーを返す刀で、葵は懐に入るか入らないほどに近づいた篠田選手の頭部めがけて、右の上からのアッパーを振り下ろす。

 ブンッ!!

 しかし、葵の拳は、空を切った。

「っ!!」

 渾身の力を込めたフックが避けられ、葵の上半身が泳ぐ。

 避けられた!?

 しかし、葵の身体に、篠田選手の身体が当たっている感触はなかった。そう、葵はよけられたというのに、脚さえ取られていない。

 篠田選手の顔が、後ろに逃げていた。上半身がそのまま後ろに倒れるようにのけぞっている。後ろに避けることで、葵のフックを避けたのだ。

 読まれた、でも!

 反応したのか、それともとっさによけたのか。とにかく、篠田選手は葵の狙ったフックを避けていた。だが、それは決まり手にはならない。

 のけぞっているならば、後ろに倒れるか前に戻ってくるかするはずだ。そこを、狙えばいいだけだ。

 いかに葵が打撃系の選手でも、篠田選手の上に、マウントポジションを取れれば、勝てる可能性は高い。そして、今回は離れていない。篠田選手にガードポジションを取られる心配は少ない。

 そして、戻ってくれば、そこに打撃を合わせる。コンビネーションならば、不安定な篠田選手を捉えることぐらい、できるはずだ。

 だが、篠田選手の動きは、そのどちらでもなかった。のぞけったまま、顔が葵に近づいて来る。もちろん、それは数瞬の動きだった。

 ぞくりっ、と葵の背中に悪寒が走ったが、すでに時遅かった。

 そのまま、篠田選手は、滑り込むようにして葵の下に入り込んでいた。葵が反応したのは、すでに篠田選手の脚が葵の脚の間に絡まった後であった。

 慌てて腰を落とすが、すでに時遅い。篠田選手はそのまま葵の脚を取り、葵を前のめりに倒す。

 とっさに手をついて倒れたダメージはなかったが、それで助かったわけではなかった。

 篠田選手の身体が、素早く葵の上にまわる。葵は、前に這うように逃げようとしたが、脚を取られていて、思うように逃げられない。

 脚関節!?

 脚を取られた葵は、自分の背中に戦慄が走るのを感じた。

 それは、葵にとっては鬼門だった。組み技の練習に柔道をやっているが、柔道には脚関節がない。形意拳には、関節技もあるが、これまた脚を狙うような関節技は皆無、少なくとも葵は一度も教えてもらったことはない。

 浩之がいくらか教えてもらった脚関節を習いはしたが、他のものに比べて、圧倒的に練習量が少ない。かけるのはもちろん、かけられるのにも慣れていないのだ。

 だが、葵の心配は杞憂に終わり、篠田選手は素早く体を変えて上にのしかかってきた。もちろん、それで助かるということはない。葵にとってみれば、絶対絶命のピンチだった。

 こんなに簡単に倒されるなんて。

 葵は、手を組んで、首をひっこめ、まるで亀のような格好を取る。打撃のない状態ならば、この亀の状態が、組み技をやり過ごすのに適しているからだ。

 篠田選手の腕が、その亀の隙間から入って、葵の腕を取った。それは見事な手早さで、葵には対応さえできなかった。

 そのかわり、しっかりと手のフックを確認する。

 これで、もし腕を伸ばされれば、自分の負けがほぼ決定することを、組み技にはうとい葵でも、よくわかっていたからだ。

 うつぶせに亀になった葵の上に、蛇のように篠田選手はからまろうとしていた。

 

続く

 

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