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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(127)

 

 セコンドが選手に助言をすることは何も問題はない。

 意味があるか、と問われれば、ある、と言える。

 本人では気づけない方法というものが確かにある。ダメージを受けたり、頭に血が上ったりして、冷静な判断ができなくなったときに、まわりから冷静にものを判断できる人間が助言をしたり、作戦を示したりする有用性は、説明するまでもないだろう。

 経験豊富なセコンドに、若さと力のある若手が手を組めば、うまくすれば化学反応が起きて、驚くべき金星をあげることもある。

 それほどセコンドというのは重要なのだ。

 事実、葵は他人からの一言で、危機を脱した。

 いい方向に考えれば、体重が片方によれば、片方が手薄になることを、実際にやられて思いつくことは葵にはできなかったのだ。

 それを、理解か経験かは別にして、端的に葵に理解させたセコンドとしての言葉は、実に的確だった。

 ただし、そのアドバイスをした本人は、苦々しく顔を背けていた。

「……綾香」

 浩之に肩を叩かれたが、綾香は顔をそむけたまま、それを無視した。

 やっちゃった……

 綾香本人も、自分が何をしてしまったのかわかっていたのだ。だからこそ、浩之がにやにやしながらこちらを見ているのは、見なくともわかる。

 綾香は、今まで葵に助言をしてこなかった。敵になる以上、手を貸すことをしない。それは相手に対する敬意みたいなものなのだ。

 浩之を河原で相手にしたときは、浩之はまったくの素人だったのだし、助言をして、ある程度格闘技を教えることは問題なかった。むしろ、それこと公平な話だったろう。

 だが、葵の場合は違う。葵は、綾香も認める格闘家だ。一人前の格闘家に対して、敵である自分が助言するのは、相手を一人前に見ていないようにも受け止められるかもしれない。

 しかし、葵が危機に陥っているのを見て、綾香はつい助言をしてしまった。

 助言をすれば、おそらく葵は逃げられるとは感じていた。そして、反対に助言しなければ、かなり危機だということもわかっていた。

「助言はしないんじゃなかったのか?」

「……何よ、悪いっての?」

 綾香は、ほほをふくらませて浩之の言葉に答えた。

 葵は、実際の格闘技の実力はともかく、経験は少ないのだ。それを補助するセコンドの存在は必要不可欠であり、それを浩之ではできない、というのも薄々想像はできた。

 しかし、それでも葵のためには、助言をしないのがいい、と思っていたのだが。

 私が我慢できなかったってのはね。

 しかし、それも冷静な判断だ。あのままでは、葵は危なかった。葵が自分の力でぬけられないと判断した瞬間、綾香は我慢できなかった。

 これぐらいで葵はへそをまげたりはしないだろうけど。

 自分の実力を、葵もよくわかっている。あのままでは危なかったのもわかるだろうし、性格上、綾香を責めることはないとは思うのだが、意地悪な浩之の声は腹がたつし、言った言葉を実行しきれなかった自分にも腹が立つ。

「いや、俺は感謝してるぜ。綾香のおかげで、葵ちゃんがあれから逃げることができたしな」

「のわりには、笑ってるわねえ」

 そう、後輩に助言したのを責められるいわれはない。自分がかわいがっている後輩に対してならなおさらだ。

 うん、私は悪くない、と綾香は勝手に納得、いや、開き直った。

「最初から、意地をはらずに助言してやればいいじゃないか」

 ある意味そういう物に慣れているのか、坂下はため息をついただけで済ませた。綾香が素直でないときの対応ぐらい、長いつきあいで慣れている。

「まあ、葵はまだまだ発展途上なんだ。助言ぐらいいいんじゃないの?」

 浩之のように意地の悪いことを言い続ければ、大して時間をかけることもなく、綾香が切れるなど見るまでもないのだから、適当にフォローしていくのが賢い選択というものだ。

 坂下はそう思ったが、同じことをわかっていても、浩之はこういうチャンスを逃す気はまったくなかった。

「しかし、葵ちゃんのことは感謝してもいいが、自分で言ったことは最後までやりとげないとなあ、とは思うな」

「浩之、何がいいたいの?」

「そりゃ、ここぞとばかりに綾香をいびっておこうか……いででででっ!」

 綾香が浩之の身体に抱きつくようにして腕がらみをかけたのだ。打撃格闘家にあるまじき素早い動きだった。

 浩之の胸に飛び込むように前に出ながら、左手で右手をつかみ、右を相手のわきに入れて、そのままひじを決めたのだ。まわりから見れば、いちゃついているようにしか見えない。

「何か言った?」

 綾香は、激痛にゆがむ浩之の顔に向かって、にこり、とひまわりのような笑みを向ける。

「ぼ、暴力反対! 痛い、痛いってっ!」

「もう、せっかく胸をおしつけてるんだから、ちゃんと感触楽しまないと」

 ちなみに、身体を密着させているのは、相手が逃げにくいようにするためだ。実は下では片足をからめていたりするので、浩之が距離を離すことはできないのだが。

「で、何か言った?」

「いや、言ってない言ってない。葵ちゃんがピンチを脱してよかったなあって、いたたたっ、悪かったって!」

 浩之を虐めていると、少しは気がはれてきたので、しばらく腕を決めるだけで、許してやることにした。このまま後遺症が残るほどにやってやってもいいのだが、それはそれで楽しみが減るのでやめておいた。

「くそー、恐怖政治だ!」

 敗者の浩之が何か遠吠えをしているが、気分のよくなった綾香はそれを無視して、逃げることのできた葵の方を見た。

 さすがに、もう綾香の方を向いてはいなかった。そのかわりに、じりじりと、篠田選手を距離を取って出方を見ている。

 うん、逃げ方はうまかったわよ。

 心の中で、綾香は葵をほめておいた。

 後ろ、という一言で、あれだけ的確に動ける。それは葵自身の実力だ。いかに綾香のアドバイスがあっても、それだけの実力が葵になければ、やはり逃げることはできなかったのだから。

 まあ、確かにするつもりはなかったんだけど……サービスしておいてあげるわ。

 次は、何も言わないつもりだった。例え、葵が負けると感じたとしても、次は言わない。

 いかに、自分が葵を信頼できるかだ。

 自分が負ける、と思ったときでも、それをくつがえしてくれるぐらいでないと、自分が楽しめるわけがないのだし。

 それだけのものを、葵に求めるのは、間違っていない。綾香は、今度こそそう信じることにした。

 

続く

 

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