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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(130)

 

 腕の届く距離に、すでに葵は入っていた。

 ここからは、待ったなしだ。いかに守りに入っているとは言え、ぐずぐずしていれば、篠田選手はすぐに攻撃に転じるだろう。

 この距離は、葵にとって不利な距離なのだ。葵のパンチの最大距離よりも内に入っているのだ。この距離でないと出せない技もあるが、少なくとも、組み技系を相手に対する距離ではない。

 腕が、自然に突き出される。まさに風を切る、という表現にぴったり来るスピードでだ。

 だが、その左のジャブは、前に構えられた腕にあっさりとはじかれる。しょせん、ジャブはジャブ。その一発では、効果などない。

 さらに、葵はそこから一瞬の間も置かずに、右のストレートを突き出していた。

 左右のワンツー。打撃の基本のような技であるが、よく練られた基本は、奥義や必殺技を超える。いや、それこそが奥義の一つと言っていい。

 しかし、葵のワンツーは、よく練られていたものの、それだけで篠田選手を倒すには、練りが足りない。

 そんなこと、葵だってわかっている。

 葵の狙いは、この後だ。

 篠田選手も、これでは終わらないだろうという心構えができているのは、その一瞬でも見てわかる。いつもなら、葵はここで攻撃を止めて距離を取るだろう。このレベルの選手に、隙がないところに打撃をねじ込むのは難し過ぎる。

 だが、葵はそのまま攻撃をつなげた。

 左の脚が、素早く、突き出された。

「っ!」

 篠田選手は、その動きに対処はしたものの、横に逃げることが出来ずに、蹴り脚を腕で受けて、後ろに飛んで逃げるしかできなかった。

 篠田選手なら、そこから引き脚に合わせることもできたのかもしれないが、それをしては来なかった。

 いや、葵には自信があった。いくら篠田選手がその手の動きが凄いとは言え、このキックの引き脚に合わせることなどできない。

 突き出されるキックを、間一髪で避けたのを見てもわかる。このキックには、篠田選手は慣れていないのだ。

 それをわかっただけで、この攻防は葵の勝ちだった。このまま攻めるチャンスを篠田選手に与えてやる必要はなかった。飛び込もうとする篠田選手よりも速く、飛び込めない距離を取る。

 しかし、もう葵は守りに入るつもりはなかった。後ろに下がり、一度相手の攻め気をそいでから、素早く飛び込む。

 腰を低くする篠田選手に向かって、今度は手加減なしのキックを突き出した。

 今度はそれを篠田選手は横によけたが、飛び込むことも、その脚を取ることもできない。葵の脚をつかもうとした腕は、空を切る。

 そう、このキックには引き際に入ることなんて、無理だ。

 上から、パンチの連打でプレッシャーを葵が入れると、今は形成不利と見て、篠田選手は後ろに逃げる。だが、葵はここで攻撃の手をゆるめることはしなかった。

 距離は、最初のキックを放つときよりも、距離があるが、それでも、葵の拳は届く。篠田選手は、それをさばくのに精一杯だった。

 いや、攻めることも、篠田選手にはできるだろう。だが、さっきの葵のキックの印象が邪魔をして、飛び込めないのだ。

 篠田選手の気持ちが、葵にはわかっていた。自分も、篠田選手に予想外の攻撃をされたときには、一瞬パニックを起こしてしまったのだから。

 だが、さすがと言うべきか。それだけでは、篠田選手は決めさせてくれない。葵は、疲労が身体のスピードを落とすよりも、かなり早めに攻撃を止めて距離を取った。

 攻撃を止めたその瞬間に、篠田選手が葵の下に潜り込もうと、腰をかがめるが、しかし、葵が一瞬脚をあげた動きに、ビクッと身体をふるわせて、篠田選手は攻めて来なかった。

 それだけの躊躇の時間があれば、葵が距離を取るには十分な時間だった。

 葵は、攻撃を続けたことによってあがった息を、距離を取って整える。今は、篠田選手もそれを指をくわえて見ていることしかできなかった。

 葵の攻撃は、何のことはない、単なる前蹴りだった。

 普通のキックと言ってもいい。エクストリームでは、実際はあまり見ない技ではあるものの、キックのある格闘技では、どの格闘技にでもあるだろう。

 しかし、それにも関わらず、何故かエクストリームではあまり見ない。

 そこには理由がある。前蹴りは、立った状態から、膝を身体に引きつけ、そのまま前に突き出す。この動き自体は、キックとしては隙が少ないだろう。

 だが、組み技の選手にとってみれば、脚を取る格好のチャンスなのだ。

 しかも、前蹴りでは、蹴る位置は腹。上にあげれば、頭に届かせることもできるかもしれないが、そんな隙の大きい動きをした日には、間違いなく脚を取られるだろう。

 腹では、ダメージなどたかが知れている。しかも、頭を蹴ろうとすれば隙だらけ。

 唯一、相手との距離を取るために、相手を跳ね飛ばすのに使うこともできるが、体重に差があれば、蹴った方が跳ね飛ばされることもあるのだ。

 そんな使い勝手の悪いキックなど、誰も使うわけがない。

 実践では、金的を狙うために、怖い技ではあるのだが、エクストリームでは当然金的など反則に決まっているので、そう使うわけにはいかない。

 ちなみに、エクストリームでは、女性の場合でも股の間を攻撃することは禁止されている。その理由は、セクハラだとかそういう理由ではなく、股の間は、例え蹴られる玉がなくとも、十分に人を殺傷せしめる急所だからなのだ。股の間につま先で蹴り上げられれば、女性だろうと悶絶では済まないだろう。

 そんなもろもろの理由で、前蹴りは使われない。

 しかし、葵はそれを逆手に取った。篠田選手はよくエクストリームを研究している。おそらく、回し蹴りのようなキックなら、かなりのスピードに対応してくるだろう。

 だが、前蹴りのような、パンチと同じ「引き」のあるキックに合わせることは難しいに決まっている。

 しかも、篠田選手は前蹴りに慣れていない。何度かは練習したかもしれないが、他の技を練習する方が効率が良かったのだから、前蹴りに対する対応は他の技に劣る。

 もちろん、葵だって、これ以上ないぐらい隙のないように蹴っているのだ。引きに意識を集中して蹴り出せば、脚を取られることもない。守りをやめればそれも可能かもしれないが、葵の前蹴りは、篠田選手のみぞおちに向かって突き出されるのだ。いかに鍛えていても、みぞおちを直撃されれば、立っていることはできまい。

 ここに来て、篠田選手の組み技としての構えはマイナスになっている。半身が浅いので、正中線が狙い易いのだ。

 他の技に比べて、少しだけ対応に慣れていない。構えのせいで、いつもより少しだけ、葵が正中線を狙い易い。

 一つ一つは、わずかな要因でしかないのは確かだ。

 だが、葵と篠田選手の実力は、かなり伯仲している。ここに、一滴でも片方によれば、後は雪崩に変わるのに、そう時間はかからない。

 何より、わずかな差が、恐ろしいまでに結果を出してしまうほどに、二人はレベルの高い選手なのだ。

 いける、このチャンス、逃さない。

 葵の顔が、冷静に篠田選手を見ている。その目にある輝きは、決して、冷静などと言えるような、おとなしいものではなかったが。

 

続く

 

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