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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(132)

 

 有利に試合は進んでる。

 葵には、その確信がある。現に、今葵は一方的に攻めていた。連打をしているわけではない。わずかな手数の撃ち合いだが、差というものは如実に現れている。

 いつまでも前蹴りが通じるとは思わないけれど。

 篠田選手も、そのうち前蹴りにも対応してくるだろう。それが三年先なのか、この試合中なのかはわからないが、この試合の間に修正される可能性がある以上、前蹴りにこだわるのは危険だ。

 何とか篠田選手が前蹴りに慣れる前に決めたい。

 そうは思っても、篠田選手ほどになると、そう簡単には決めさせてくれない。

 少しずつダメージは蓄積しているだろうが、KOに行くほどのダメージは与えられずにいた。

 ガードの上からでも、確実にダメージは残る。しかし、ガードがダメージを減らすのも事実であり、実際のところ、葵の攻撃はここぞという技をガードされていた。

 ……嫌な感じだ。

 前蹴りを苦手としているのは確かで、だからこそ篠田選手は守りに入っているのだ。ここまで葵の攻撃をさばくのは見事としか言い様がないが、篠田選手が攻めて来られないのは、また現実としてある。

 かと言って、葵としてもラッシュに持ち込むほどの勇気はないし、ここはそういう場面でないこともわかっている。

 はっきり言えば、攻めるに攻められない篠田選手に待たれているのでは、と葵は感じているのだ。

 だが、攻撃しないというのは、それこそ愚の骨頂。ここで押し切らずに、いつ勝つというのだ。チャンスなのは、間違いないのだから。

 攻めに攻めているときでさえ、葵には慢心はない。それの恐ろしさぐらいはわかっているし、慢心するには、このチャンスは危ういのだ。

 大丈夫、組みつくには、その構えは適していない。ここは私の世界。

 そう心の中で何度言っても、身体は正直にその危険性を察知していた。いや、何も起こらないに越したことはない。

 こしたことはないのだが、そうそう物事はうまくいくわけはないのだ。しかも、相手がいるときならば、なおのこと。

 前蹴りを使ってから、八度目の攻防も、篠田選手はしのぎきった。

 攻められ続けているにも関わらず、それでも葵の攻撃をさばいた篠田選手に観客がどよめていている。守るというのは、それほどに難しいのだ。

 だが、篠田選手も満身創痍のはずだった。組み技よりも慣れていない打撃戦に、しかも慣れない技を使われて、精神的な疲れが顔に出ている。

 緊張のために、息があがっているのが葵にもわかった。

 しかし、息があがっているのは葵も同じ。何度も何度も攻撃を繰り返しているのだ。ラッシュほどには疲れないとは言っても、限界はある。

 そんな葵を、浩之は手に汗を握りながらじっと見ていた。

「チャンス……なんだよなあ?」

 ここまで守り続けられると、そろそろ葵のスタミナが気になる。スタミナ不足の心配は葵にはあまりないとは言え、やはり攻撃一方というのは、かなりの疲労を伴うはずだ。

 しかし、綾香から見れば、今の状態は、あまり楽しい戦いではなかった。

「んー、相手はがんばって守ってるけど、そろそろ糸が切れるんじゃない? 一度でも受けたら、倒れるってのは相手もわかっているだろうし、かなり精神的に辛いはずよ。おそらく、葵よりも先に切れるわね」

「てことは、やっぱり葵ちゃん有利ってことなのか?」

「それは確か。だから私がここでやきもきしてるんじゃない。葵も、さっさと決めなさいよ。まったく、だらしないんだから」

 綾香を基準にして物を言うのは大きく間違っているのだろうが、綾香はそうぶつくさ言っている。

 有利は、所詮有利であるだけで、勝ったわけではないのだ。その差は大きい。だから、綾香は試合はあまり長引かせない。

 勝つということの難しさを、これでも綾香はわかっているつもりだった。だから、決められるときには決める。勝つためには最低やっておかねばならないことだ。

 葵が決めきれないのは、自分の教育が悪かったのか、と綾香は珍しく悩んでいた。

 危険な橋を渡れとは言わないが、綾香ならここはラッシュで決める。もちろん、その前に篠田選手程度ならば、絶対に負けないという自信があればこその作戦なのだが。

 相手の出方を怖がって手を出さないでいいことなど、ほとんどないのだ。

 もし、葵が篠田選手の精神を削りにかかっているのなら、綾香もこんないらいらしたりしなかっただろう。

 だが、葵はただ決めきれずに、何とか篠田選手の隙をうかがおうと、攻撃を繰り返しているだけだ。

 精神を削る、というものの有効性を疑いはしないが、あくまで、削る気があればこその作戦だ。葵に精神を削る気がない以上、篠田選手の疲労は少ない。

 強敵と戦い過ぎて、少し慎重になりすぎてる。

 練習でも何度か注意したが、それぐらいで直るものではないし、無謀よりはいいと思って、綾香は見過ごしていたのだが。

 ここで決められないようでは、相手にチャンスをみすみす渡してしまうことになる。そうなれば……

 だが、その心配を他所に、葵は連打を繰り返し、それを篠田選手はさばいていた。

「どうかしたのか、綾香?」

 こういうところだけは、浩之って鋭いわよねえ。

 こうなった以上、綾香が早急にアドバイスをしてやるしかないのだが、残念ながら、もう綾香は葵に助言は、少なくとも今日試合が終わるまではしない、と決心したのだ。

 一度破ってしまったものだとは言え、もう一度破る気は綾香にはない。つまり、浩之に説明するわけにもいかないということだ。

「別に。葵がちんたらやってるから、ちょっとね」

「……あ、いや、俺は悪くないぞ?」

 よほど怖い顔をしていたのだろう、浩之はおどおどしながら距離を取る。まあ、今まで色々と綾香にはやられていたので、敏感になっているだけなのだろうが。

 葵が遊んでいるとは思っていないが、ここで決めきれないのは、危険だ。

 綾香が感じるその不安を、葵もひしひしと感じてはいた。

 しかし、うかつには攻めることができない。決定的な差は、まだ二人の間にはないのだ。無理に攻めれば、自分の方が不利だろう。

 ここは、何か別の手を入れないと駄目だ。

 葵のあまり多くない引き出しの中から、技を引き出すべく、葵は頭を回転させた。

 決めなくてもいい、一撃、それなりの打撃を、直撃させれば、流れは完全に私のものになる。

 予測できない、打撃。

 葵の身体が、沈む。腰を落としたのを見て、篠田選手の身体が、引きつけられるように葵におおいかぶさろうとした。それは、篠田選手に取っては十分なチャンスだったのだ。

 と同時に、葵の身体が爆発的に伸び上がり、鋭いアッパーカットを打ち上げる。

 が、寸前のところで、篠田選手は後ろに逃げた。慣れない深い左半身の構えでは、うまく横に逃げることができなかったのだろう。

 葵のアッパーが空を切る。

 しかし、そのアッパーは、何度も見せている。

 肩ごと突き上げるようなアッパーが空を切った瞬間、葵の身体が回転していた。

 

続く

 

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