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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(134)

 

 葵には理解不能な動きで、篠田選手は葵の足を取っていた。

 まさに、気付いたときには、という動きであった。速いわけではなかったが、その動き自体が、葵の格闘知識の中になかったのだ。

 脚の動きが自由にならない篠田選手の動きなら、どんな動きをしても対処できると思っていた。それが、あっさり覆された。

 篠田選手は、左脚で、前に出ては来なかったのだ。動きの鈍った脚を、そのまま捨てて動いた。結果、篠田選手は前つのめりに倒れた。

 そう、篠田選手は、葵の足下に倒れている。ただし、葵の左足首を、しっかり掴んでだ。

 篠田選手は、倒れるにまかせてそのまま葵の足の上に倒れ、葵の足首を掴んだのだ。

 いや、掴むだけなら、葵にも逃げることができたろう。しかし、それは手で掴むのではなく、腕でがっちりとロックした状態になっていたのだ。これでは、いかに葵が馬力を効かせて動いたとしても、外れるものではない。

 まずい、まずい、まずい。

 頭の中では、そう警告が鳴り響いているが、葵にはそれを覆す手がない。こうなってしまっては、打撃格闘家の葵には手が出せないのだ。

 篠田選手は、そのまましゃくとり虫のように自分の身体を、掴んだ葵の足のところまで引き寄せる。そのときも、左脚は使われていない。それほどの力も必要ないことなのだろうが、それだけ、葵のローキックのダメージは篠田選手の脚にダメージを与えているのだ。

 しかし、掴まれた上に、しかも篠田選手は倒れている。打撃戦ができない。

 葵はとっさに、篠田選手の引き寄せられた身体に、上から被さっていた。

 足を完全に取られた以上、もう組み技の技しか使用できない。打撃が使えない以上、篠田選手の動きを遮るぐらいしか手がないのだ。

 本当なら、首を掴むことができれば、それでもかなり有利に動けただろうが、篠田選手は頭を葵の足に押しつけるように倒れたのだ。これではもてない。

 葵は、何とか篠田選手をつぶすように身体の体重をあずけた。足を取られている以上、いつ脚関節を取られるかわかったものではないが、それでも抵抗しないよりはましだった。

 それが功を奏してか、篠田選手は、すぐには攻めなかった。いや、おそらくは脚のダメージの抜けるのを待っているのだろう。組み技は、思う以上に脚の力も使うのだ。

 葵は、その間にも力一杯篠田選手を上から押さえる。篠田選手の動きを封じるためではない。それは、瞬間に反応しなければ意味がない。葵がやっているのは、スタミナを削る行為だ。

 相手に上からのしかかられると、けっこうスタミナを消費する。格闘技はそれが打撃だろうが組み技だろうが、無酸素運動だ。スタミナを削れるだけ削れば、思う以上の効果を生むこともあるのだ。

 今は、葵の方が不利な状況ではあったが、だからと言って、葵にあきらめる選択肢はない。

 今までのためを、全てここでなくすかもしれないが、それでも負けるよりは何百倍もよかった。今は、このピンチを切り抜けることに、葵は全力をかけるつもりなのだ。

 しかし、葵は体重をかけながら、頭をフル回転させていたが、それでも篠田選手が次に何をしてくるのか、まったく想像できなかった。

 足首を取っているので、そのまま足首をひねるのが一番簡単かもしれないが、葵の足の裏がマットについている以上、そう簡単にひねることはできないし、下手にひねると、ヒールホールドの反則を取られる可能性もある。

 ならば、ここで仕掛けてくる技が思いつかない。

 下手に身体を離そうものなら、葵は素早く立ち上がるつもりだ。多少無理でも、立ち上がって逃げれば、ここは自分の勝ちなのだ。

 いや、このまま篠田選手を押さえつけることができたなら、このラウンドは捨ててもいいのだ。それほどまでに、危険な状況なのだから。

 何で来るのかわからない、という不安は、葵の精神を確実に削りだしていた。

 確かに葵には不利な体勢ではあるが、自分が上になっているのだし、しかも取られた足首を極められる可能性は低い。冷静に考えれば、そこまで不利な状況ではないのだ。

 だが、篠田選手の組み技の実力と、何をしてくるのかわからないという不安は、葵の精神を削り、守りに入らせていた。

 ここで攻勢に回れるかどうかは置いておいても、葵はまだ攻める気がなければならないのだ。戦略でもない守りなど、自分を不利にするだけなのだから。

 組み技の経験が少ない、というのは、やはりマイナスとなり、葵に致命的なミスを犯させているのだ。

 厳しい顔で見ている綾香ならば、あの体勢になったら、迷わず篠田選手の左脚を取るだろう。篠田選手が下から深く入っているので、それも可能な位置であり、つかんでいるだけでも、左脚のダメージの回復は遅くなるし、何より、その体勢なら、篠田選手にその体勢から動かれることがない。

 葵は、それをわからずに、胴体に腕をまわしている。それでは、一瞬にして外されるだろう 。いかに力があろうとも、組み技では、相手の方が一枚も二枚も上手なのだ。

 とたん、篠田選手の身体が動いた。

 葵が、力任せにロックした腕は、あっさりと胴体から外された。これで脚を持っていたなら、篠田選手も簡単には外せなかっただろう。根本を持てば、それだけ力を必要とするのだ。

 篠田選手は、そのまま葵の横に身体を動かす。葵もあわててそちらを向こうとするが、篠田選手はさらに速いスピードで、葵の身体に自分の身体をひきつけた。

 それは、まさに一瞬の攻防だった。

 それまで引きつけられた、と言っても、脚はまだまだ遠くにあった篠田選手の身体が、今度は葵の横から潜り込むようにして、脚を引きつけたのだ。

 横に寝そべっていた身体が、一瞬で脚のふんばれる体勢になる。

 ぞくりっ、と葵の背筋に悪寒が走った。

 ここに来て、自分の考えが間違っていたのを、葵は本当に今更気付かされた。

 篠田選手は、自分の足を取った状態から、何かしらの関節技、および絞め技を狙うために、その体勢から、一度手を放す必要があると思っていた。

 もちろん、脚関節なら、ほとんど隙がないから、おそらくはそれであろうと思い、それを阻止すべく上からのしかかったのだが。

 いや、結局あっさりと体勢を変えられたのだ。狙いがどうこう言う部分ではないのかも知れないが、ただ、脚関節ならば、仕掛ける技というのはそんなに多くないだろうし、技が決まらないように耐える、という行為もできただろう。

 遅いとも、そして、遅くなかろうとも無駄だと思いつつも、葵は腰を落とした。もう、倒れるとかそういうことを気にする余裕は、葵にはなかった。

 だが、篠田選手の身体は、完全に葵の脚の下に入り込んでいた。

 腰を落とした葵の片方のふとももに、篠田選手の腕がまわされていた。

 ついで、起こる「飛翔感」。

 篠田選手は、葵の身体を上に持ち上げようとしているのだ。葵は、その上への力を、衣装賢明重心を落として耐える。

 しかし、葵の身体は、重くないのだ。いかに身体を鍛えて、普通の女の子とは比べものにならないほど重い筋肉でできていようとも、葵はエクストリームの中では、最軽量に近いのだ。

 そして、例え葵の身体が重量級であったとしても。

 完全に下に回り込んだ篠田選手の、その無茶とも言える背筋力に耐えられるわけがなかった。

 ふわり、と葵の身体が浮く。

 マットから引っこ抜かれるように、葵は篠田選手によって、後ろに投げ落とされた。

 

続く

 

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