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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(135)

 

 葵は、脚をふんばろうとした。

 しかし、篠田選手の腕のフックは硬く、重心の下にもぐりこまれていた上に。

 篠田選手の背筋の力は、葵のふんばりを、根こそぎ引っこ抜いた。

 宙に浮く浮遊感の後に、普通は体験することのないスピードを肌で感じ、葵はとっさに腕を広げた。

 受け身をっ!

 頭ではそれはわかっていたが、葵の身体は、頭でわかったほどには動いてくれなかった。

 ズダーンッ!!

 篠田選手は脚を抱えたまま、葵を後頭部からマットの上に叩き付けていた。

 葵の後頭部を襲ったのは、並の打撃よりも、さらに強い打撃。

 葵の意識が、一瞬飛ぶ。しかし、脳震盪よりも、その痛みに反対に意識をたもつことができた。が、身体まではそれが伝わらない。

 何秒そうしていたのか、葵の身体は葵からの命令を受け付けずに、マットの上に倒れたまま、動こうとさえしなかった。

「……ちゃんっ!!」

 浩之が、自分の名前を叫んでいるのだろうは、予想はできても、葵の耳には届いてくれなかった。

 まずい、動け、私の身体。

 このまま篠田選手に覆い被さられてしまえば、もう葵に勝てる見込みはなくなる。それが、自分でもわかるだけに、葵は動かない身体を歯がゆく思った。

 しかし、篠田選手は、それ以上攻めて来なかった。今こそチャンスのはずなのに、視界の狭まった葵の目には、篠田選手の姿はない。

「葵ちゃんっ!!」

 浩之の叫びが、やっと葵の耳に完全に届いた。

 と同時に、葵ははじけるように立ち上がっていた。まるで、浩之の声が身体の回復の合図だったかのように、飛び退いた。

 ザンッ、と篠田選手の腕が空を切る。

 しかし、そこを反撃できるほど、葵の身体は動いてはくれなかった。今は、距離を取るのがやっとだった。

 しかも、いつものスピードと比べると、亀のようにのろくだ。何とか身体は動くようにはなったものの、それでも使い物にならない一歩手前の状態だったのだ。

 だが、篠田選手はその葵を追えなかった。左脚をひきずるようにして、葵に近づこうとして、しかし、それをあきらめたようだった。

 ……私、何とか負けなかった。

 ここで、やっと葵は自分が生き残ったのを実感した。それほどに、余裕がなかったのだ。意識ははっきりしていたとは言え、思考力までそなわってはいなかったのだ。

 後頭部が、ズキズキどことか、今でもまるで鐘を叩くようにズキンズキンと響いてくる。首の痛みも、動きの妨げになるレベルだ。

 今負けなかったのが、そしてまだ戦おうとしているのが奇跡のようなダメージだった。空手の試合ならば、KOと言われても仕方のないダメージだ。

 だが、篠田選手も、無事ではない。左脚をひきずっているのを見ると、さっき自分を投げるときに無理をしたということなのだろう。

 自分のローキックに、葵は感謝したくなった。たかが一撃のローキックだったが、それが脚に蹴りを受け慣れていない篠田選手にダメージを与え、さっきの回復の時間を得ることができたのだ。あの脚が完調であるならば、葵は確実に負けていた。

「葵ちゃんっ!!」

「……大丈夫です、いけます」

 葵は、自分が立ち上がっても叫ぶ浩之に、小声で返事をした。いかに浩之が地獄耳でも、それを聞き取ることはできないだろう。今体育館の中は、ダメージを受けながら、互いに立ち上がった二人のために、地鳴りのように観客の声が響いているのだ。

 浩之に言ったというより、それは自分自身に対する暗示だった。そうでも言わない限り、その身体は、戦えそうになかった。

 脚も笑っているし、腕にも力が入らない。意識ははっきりしているものの、思考力とかそういうものは多くを叩き壊されていた。

 正常な思考力ならば、篠田選手の技の選択に、驚き、そして納得していたろう。

 エクストリームのマットは、かなり硬い部類に入る。ルールは組み技系に有利なものではあるが、そのマットに関して言えば、完璧に打撃系に有利だった。

 柔らかいマットは、フットワークを殺すのだ。砂の上で敏捷に動けないのと同じ理論で、脚を取られるのだ。

 しかし、硬いマットならば、打撃格闘家に必修のフットワークを助ける。そして最後のふんばりが効くために、打撃の威力もあがる。

 反対に、組み技系にしてみれば、タックルこそ速くなるが、硬い地面というものは、地面すれすれにかけるタックルで自爆する可能性さえある。

 ルールはともかく、地の理というものは、打撃格闘家にある。それがエクストリームなのだ。

 だが、篠田選手は、その地の理を、組み技有利に考えた。

 締めでも、関節でもなく、投げを選んだのだ。

 硬い地面に投げられる。受け身を取ろうと、硬い地面の上では、どれほど意味があるだろうか。そして、そこまでに受け身を習得している人間など、エクストリームであろうとそう多くはないはずだ。

 事実、葵は受け身を完全には取れなかった。とっさに腕を広げて、受け身の体勢にはなったものの、柔道では肩で受け身など取らないのだ。

 後ろに後頭部から投げられたときは、首を引いて、肩で受け身を取るのが正しい受け身の取り方だが、そんなことが、葵にできるわけがなかった。そんなことを練習したことも、経験も、そそて肩の筋肉の盛り上がりが受け身を取るには物足りない。

 投げは、前回り、背負い投げように、頭から落ちて、その後を身体が追うような体勢のものの方が、危険度は少ない。上にのしかかられたときは別だが、前にまわる体勢の技は、総じて受け身が取りやすいのだ。

 だが、後ろに回転するような投げ技は、受け身が極端に難しくなる。柔道の大外刈りや、レスリングのスープレックスがそうだ。

 頭の後に、逃がす身体がないので、衝撃が全部そこに集中してしまうのだ。

 そういう意味で、レスリングのスープレックスは、必殺技になりうる。しかし、真剣勝負と言っていいエクストリームで、そんな大技が決められるとは、誰も思わないだろう。

 だが、篠田選手は、それをやった。その驚異的な背筋の力と、腕のフックで、葵を後ろに投げ飛ばし、状況をまた平行線に戻したのだ。

 ……いや、状況は、私の方が不利だ。

 強がりを言っても仕方のないことなので、葵は心の中でそれを認めた。

 篠田選手に残っているダメージは、その左脚のそれのみ。それにひきかえ、葵のダメージは、後頭部から首にかけて範囲も広いし、かなり致命的だ。

 もう一度は、耐えられないかもしれない。

 いや、もう投げられるという状況になったら、葵の負けなのだ。

 ここから、できる?

 私の世界を押し通すことが。

 自信はなかった。ダメージもそうだし、篠田選手の強さは、やはり葵の想像を超えているのだから。

 でも、それなら。

 私の世界を押し通すことができないのなら。

 私は、葵の世界を、押し通るっ!!

 

続く

 

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