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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(136)

 

 篠田選手の身体が、葵の下に潜り込むようにして飛び込んで来る。

 動作が大きく、スピードもマックスの状態に比べれば襲いとは言え、それをよけ、距離を取るのに葵はいささか神経を集中させねばならなかった。

 身体を動かすたびに、首が痛みを訴えて来るのだ。反撃どころの話ではなかった。

「あくっ!」

 予想はしていたものの、首を襲った痛みに、葵は声をもらしていた。歓声が大きく、審判にも聞こえなかっただろうが、篠田選手にはばれているだろう。

 葵のダメージが、今手を出すほどには回復していないことが。

 しかし、篠田選手も脚をひきずっての攻撃だ。無理をしていないわけではない。ここで攻めるのが得策かどうかを考えるならば。

 ……いや、篠田選手は攻めて来る。

 葵は、痛む首を無視して、身体を動き易いようにステップを踏んだ。篠田選手の脚の動きが鈍っている以上、フットワークで全て避ける自信はある。

 ただし、それは葵がダメージを受けていなければだ。

 身体の揺れは、首に痛みを覚えさせる。こんな状態で、神経を集中することなどできようわけがない。

 このラウンドを何とか凌げば、ダメージも回復するはずだ。そう信じて、今は時間稼ぎをするしかなかった。

 篠田選手は、身体を動かしてフェイントを織り交ぜて、葵を牽制する。今の葵に対して、フェイントの効果は絶大だった。軽い動きでも、葵の首にはダメージがあるのだ。

 しかし、フェイントであろうと、本命の可能性を否定出来ない以上、ある程度反応せざるおえない。しかも、葵は手を出せないのだ。

 今自分から拳をふるったとして、首に起こるダメージは、予想できない。キックも同じだ。身体のひねりというものは、おそらく戦闘不能になるほどの痛みを及ぼすだろう。

 篠田選手は、それでも無理矢理には攻めて来ない。今は、むしろ冷静に動いた方が葵にとっては嫌だからだ。頭に血が上った方が、痛みを感じにくくなるのだ。そこまで篠田選手が考えているのかどうかわからないが、今葵に冷静な判断力を持たせる時間を与えているのは、当の篠田選手なのだ。わかっていると考えた方がいいだろう。

 ふわり、と篠田選手の身体が前に倒れる。

 と、その篠田選手の動きを見た瞬間に、葵は首の痛みを歯を食いしばって耐えながら、後ろに跳ね飛ぶようにして逃げていた。

 篠田選手は、器用にそのまま前に手をつくと、すぐに立ち上がった。それが一連の攻撃の動作であるのは間違いないく、審判もわざと倒れても注意しない。倒れたまま停滞すれば、篠田選手は注意を受けるだろうが、その暇もなく篠田選手は立ち上がっているのだ。

 驚くべきは、その動きでは、ダメージの残る左脚をほとんど使っていないということだ。両腕と片脚の力で、素早く立ち上がるのは、器用を超えて凄いと思った。

 前に倒れるのがわかっているのなら、そこに飛び込んで上から殴ることもできるのに……

 そのタイミングが、残念ながら葵にはまだつかめない。一度二度見たからと言って何とかなるものではなさそうだし、首の痛みは、タイミングを読んだぐらいでは、葵にそれを返すだけの力を与えてくれそうにはなかった。

「葵ちゃん、距離を取れッ!」

 浩之のアドバイスというよりも、叫びに近い声も聞こえてくる。今は当然、浩之を見る余裕も、返事をする余裕もないが、その声を聞くだけでも、多少は落ち着ける。

 答えられたとしても、大丈夫です、と嘘をつくのが関の山だ。

 首のダメージも、少しずつひいているのはわかるのだが、しかし、身体を動かすことによる痛みの方が勝っている。

 このラウンドのみでこれが回復するとは、とても思えないが、それでもここで棄権するなどという選択肢は、葵にはなかった。

 ほほの骨が折れても、それを隠して試合を続けようとする者もいるのだ。まだ動ける痛みで、膝を屈するわけにはいかなかった。

 篠田選手も、KOされてもおかしくない脚へのダメージを受けているはずなのだ。それでも、篠田選手は攻める。ここで攻めておかねば、勝ち目を逃すことになるのをよくわかっているのだ。

 しかし、このままでは、いずれ捕まる。

 ダメージを負ったまま、逃げ切れるような相手ではない。左脚のダメージも、少しずつ薄れて言っているはずだ。そうなれば、もう逃げることもできない。

 ……ここで、攻めるしかないのかもしれない。

 葵は、決心をした。迷う余裕も、もうないのだ。すぐに決断して、すぐに実行に移さなくては、このままずるずると負けに引きずられる。

 首の痛みは酷いが、それでも、何とか動くしかない。

 幸い、まだ篠田選手の脚のダメージが効いているので、動きは前よりは鈍い。そこにカウンターを合わせる。

 一撃で事足りるはずだ。というより、今の葵では、一撃が限界だった。連打につなげるには、首の痛みが邪魔をする。いや、その一撃も、力の入れた打撃になるかどうか……

 しかし、それしか手はない。葵の世界を押し通るしか、道はないのだ。

 空手の息吹で集中力を増そうかとも思ったが、それも葵は控えた。まだ葵が逃げると思っているからこそ、篠田選手のカウンターを取れるのだ。

 攻撃の意思を悟られないように、葵はさっきと同じように、斜め後ろに円を描くように下がりながら、機会をうかがった。

 篠田選手はフェイントを多用して、葵を肉体的、精神的に追いつめようとしているが、しかし、このまま手を出してことないことはない、と葵は判断していた。

 ズキッズキッと首に走る痛みを歯を食いしばって耐えながら、葵は、その機会を狙う。

 篠田選手の右脚が、いつもよりも深く前に出された。それは左脚にも負担のかかる動きである。そうである以上、それはフェイントではなく、本命だ。

 右脚のみで飛び込むようにして、葵の懐に篠田選手の身体が入ってくる。その動きは、遅いとは言えないが、しかし、葵の打撃ならば、捉えられるスピードだ。

 ビキッ!

「っ!」

 身体に力を入れた瞬間に走った痛みに、葵は意識が飛びそうになった。しかし、鍛えに鍛えられた身体は、条件反射のように、飛び込んで来た篠田選手の後頭部に、拳を振り下ろしていた。

 ブンッ!

 そして、空を切る葵の拳。

「なっ!」

 葵が驚愕したときには、もう篠田選手は、前から葵にくみついていた。しっかりと、葵の胴に腕がまわる。

 そこで、篠田選手の動きが止まる。

 脚の痛みが、篠田選手を動けなくしたのだ。篠田選手は、今の葵の拳を、左脚をつくことによって前進を止め、避けたのだ。

 その激しい動きに、篠田選手の左脚は悲鳴をあげたが、葵が痛みをこらえてパンチを打ったように、篠田選手も、痛みをこらえ、そして、この攻防は、篠田選手に軍配があがった。

 読まれたっ!

 葵は反撃できなかった。前から組まれて、脇に腕を入れられている以上、パンチはろくに使えない。その上、首のダメージは、もう打撃を打つことを許してくれそうにはなかった。

 篠田選手の左脚が、痛みの麻痺から回復する、その一瞬の間に、葵は判断するしかなかった。腕は、動かない。脚も、これだけ近いのでは、威力などない。何より、今のダメージでは、打撃は打てない。

 そして、葵は腰も落とさなかった。

 篠田選手は、前から葵を捕まえたまま、葵を引っこ抜き、ブリッジで後ろに投げ飛ばした。

 

続く

 

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