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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(141)

 

 葵は、拳を引いた。

 守りを捨てる、そんな生ぬるいものではない。その構えは、本当の本当に、拳で相手を打倒せしめるための構えだった。

 しかし、拳は胸に引かれているのではない。腰に引かれていた。

 左腕が引かれていないのは、守りのためではない。引き手の力を全て突き手に加えるための構えだ。

 防御は捨てる。しかし、それだけではないのだ。この構えは連打も完全に捨てた構え。

 一撃必殺。

 葵の取った構えは、次の攻撃を必要としない、いや、考えもしない。そういう構えだ。

 対する篠田選手は、腰を落として、スタンダードなレスリングの構えを取る。タックルを狙うつもりのようだった。

 次に葵を投げの距離に持っていければ、いや、倒してしまってもいい、どちらにしろ、組み技に持っていくことさえできれば、篠田選手の勝ちは揺るがないだろう。

 しかし、そのためには近づかねばならない。葵の、まだ完成していない崩拳の危険に、一度は身をさらさねばならない。

 反対に、脚の構えから、前蹴りはないように見える。だから、篠田選手は本来のレスリングの構えに変えたのだ。

 飛び込みながら相手の攻撃を避けるなどという難しい方法を、慣れない構えで行えるわけがないのだ。多少の危険があろうとも、レスリングの構えにするのは当然の話だった。

 どちらも決着を狙っているのは、明らかだった。

 だが、浩之には、その構えは、どうしても納得のいくものではなかった。

「……葵ちゃん、何考えているだ?」

 構えが何を狙っているのかは、一目瞭然であるのだが、それは浩之にとってみれば、腑に落ちないものだった。

 はっきり言えば、その構えをする必要は、葵にはない。

 綾香にならある。綾香には、精度の高いカウンターがある。それを狙うのは、これに似た構えを取るかもしれない。

 だが、葵の得意とするもの、葵が自分で信頼を置くものは、その構えからは出されない。

 そもそも、崩拳にはあんな構えは必要ない。

 半歩前に出るだけでいいし、あそこまで腰に腕を引く必要はないはずだ。

 あの構えは、大きく踏み込むための構えであり、そして身体能力を全開して相手をパンチで倒す狙いに見える。

 そう見せる作戦、という可能性はある。だが、それだけの余裕が、葵に今あるだろうか。

 浩之でも見て取れるダメージだ。狙い以外の作戦を実行するだけの余裕があるとはとても思えない。

 じり、じり、と向かいあう二人は、円をえがきながら距離を縮める。お互いに、この攻撃が、勝敗を決することをわかっているのだ、二人は慎重だった。

 作戦から言って、篠田選手が踏み込んでくるのは間違いなかった。

 そこにカウンターを合わせられるか、それともよけられるかで、勝敗が決まる。

 しかし、飛び込む篠田選手を打撃で捉えるのは、例えまだ篠田選手の脚のダメージが抜けきっていなかったとしても、至難。

 打撃格闘家の打撃を、ことごとく避けるだけの実力を持っていたから、篠田選手は準決勝まであがってきたのだ。

 反対に、その自信とプライドが、篠田選手を前に出させるのだ。判定になれば五分五分、もしかすれば篠田選手の方が有利かもしれないのだ。しかし、確実ではないし、篠田選手はそれを良しとできない。

 くっ、と上半身だけを前に出して、篠田選手はフェイントをかける。葵がそれぐらいで反応しないことは十分わかっているのだろうが、反応すればもうけものだ。

 と、フェイントということがわかり一瞬気が抜けたその瞬間、篠田選手は前に出ていた。

 うまいっ!

 浩之は心の中で葵の敵である篠田選手に賞賛を送った。それほどに、篠田選手の仕掛けはうまかった。

 ほんの一瞬を稼いだだけであったが、その一瞬が、勝ち負けに関わるのが、格闘技だ。

 そこから、篠田選手の身体が前屈みどころではなく、マットに倒れるように動く。身長によって、脚で動くよりも速く、距離をかせぐ。

 前に倒れるようにして足を捉える。ここで、篠田選手はそれを仕掛けてきた。打撃を避けるには難しい体勢だが、その一瞬だけの篠田選手の有利と、飛び込みのスピードと、その倒れる動きで、打撃よりも速く間合いをつめる。

 葵の右拳は、出なかった。右拳を打ち込むのに完璧な間合いよりも、篠田選手の身体は、懐に入っていた。

 その瞬間、篠田選手は勝ったと思ったろう。そこからの打撃ならば、一撃では倒れない。捕まえることさえできれば、それで篠田選手の勝ちはゆるがないのだ。

 右拳は動かなかった。ただし、脚は動いていた。

 その動きも、懐に入ったキックほど意味のないものはないのだから、篠田選手には脅威ではなかった。

 そのはずだった。

 だが、脚を動かすのは、何もキックを放つためだけのものではないのだ。葵は、他の選択肢を選んで、脚を動かしていたのだ。

 葵の脚は、キックを放つためではなく、葵の身体を前に飛び込ませるために動いていた。

 がくんっ、と篠田選手の身体の動きが止まる。

 葵は篠田選手が倒れるよりも速く前進したのだ。そして、篠田選手が倒れる前に、左腕を脇に差し込んで、篠田選手が倒れるのを止めたのだ。

「っ!!」

 慌てて篠田選手の腕が葵の腕を取ろうと動くが、それよりも先に葵の攻撃を防ぐために、ガードを取ったのは、選択肢としては正しかったろう。

 下に構えられた、葵の掌打が突き上げられる。

 ガコンッ!!

 篠田選手はちゃんとガードをしていた。しかし、葵のそれに、ガードは意味がなかった。篠田選手のガードをすり抜けるようにして、葵の掌打が篠田選手の顎をゆらす。

 篠田選手の身体が浮くほどの威力で、葵は右の掌打によるアッパーを打ち抜いた。篠田選手の鍛えられた首によって、その衝撃はかなりのところ吸収されたからこそ身体が浮いたのだが、それでも、耐えるまでは無理だった。

 前に倒れるようになっていた篠田選手の身体は、葵に押し上げられるように立ち上がる。

 そのときには、すでに葵は右脚を後ろに引いていた。

 葵のやることを理解しているのか、それとも反射的なのな、篠田選手が腰をかがめてガードに入ろうとしていたが、もう遅かった。

「せいっ!」

 ズバシッ!!

 葵の気合いと共に放たれた右のハイキックが、篠田選手の頭を直撃した。

 篠田選手の身体が、葵のハイキックの威力を殺しきれずに、横に跳ね飛ばされるように動いて、腰が落ち。

 そのまま篠田選手の身体は、前つのめりに、倒れた。

 

続く

 

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