……微妙に硬い。
半分まどろんだ意識の中で、葵はそんなことを考えていた。
その前に、首がズキズキと痛むので、そこに意識を持っていくべきなのだろうが、葵は何故か、痛む首よりも、自分の頭の下にあるものの方が気になった。
とは言え、まだ意識ははっきりしていない。何だろう、と疑問に思うものの、目をあけてそれを確認するのもおっくうに感じている。
その感覚は、試合前、不安を打ち消すために、無茶をして身体を動かした後にも似ていた。
微かに匂う草の香りから言って、外だというのは間違いなさそうだ。いつも練習する境内の近くで倒れて静かにしたことなどないけれど、そこなら別に草の匂いがしても不思議ではない。
だから、きっと自分は無茶をして倒れたのだろう、と勝手に納得する。
しかし、それでは頭の下にある硬いものの正体がわからない。これは今まで経験したものではない。
妙に暖かくて、首に押しつけられた冷たいもののせいではないと思うけれども、酷く心地よい。
何だろう……
おっくうさよりも、好奇心が少し勝って、葵は目を細く開けた。
目に入ってきたのは、草。境内の長い草ではなく、もっと短い、芝生のような草だ。
後、自分の頭が、地面についていないのもわかった。目線が、倒れて横を向いているにしては、高い。
頭の下にあるものも、視界に入っていた。何かいまいちわからないが、白いものが目の中に入って来る。
「……あ」
カラカラにかわいた口を、葵は少し苦労して動かした。
「葵ちゃん!?」
頭の下のものが動く。
「じっとしててよ、浩之」
その言葉で、葵の頭の下のものは動きを止める。
目を開いて、口を開いて、声を聞けば、だいたい自分がどういう状況だったのかを思い出せた。
「センパイ」
「気がついたか、葵ちゃん」
「はい」
しかし、身体はまだ動こうとはしない。動けないほどではないが、まだ動きたくなかった。何故か今の体勢に未練があるのもそうだが、ダメージはまだ抜けきっていないのだ。
声が嗄れている。あまり好きな人には聞かせたくない声だったが、使わなければ意思の疎通ができない。
まず乙女としては、飲み物をもらってその声をどうにかするべきなのだろうが、葵は、正真正銘花も恥じらう乙女であったが、他のものを優先させた。
「私、勝ちましたか?」
確信はある。自分は勝ったのだ。最後のハイキックの感触はまだ脚に残っているし、何より、倒れても手を放さなかった篠田選手の怖さが、まだ胸に残っている。
しかし、だからこそ確認しなければ、自分でも信じられなかった。試合が終わった瞬間に意識が飛んでしまうほどのダメージがあったのだ。それで勝てたのは、運が良かったに過ぎない、と葵は思っていた。
「ああ、葵ちゃんの勝ちだ」
浩之の声は、葵の頭の上から聞こえてきた。予想以上に耳に近い声に、葵はやっと気付く。耳元でささやかれるのは、非常に嬉しいのだが、その嬉しさを超えて恥ずかしさが先に立つ。
「え、わ、ちょっ、いたっ!」
そこから慌てて動こうとしたのだが、一度かなり引いた痛みが、まだ首を襲ったので、葵は動くに動けなかった。
「ほら、葵。まだ安静にしてなって」
坂下の声は、浩之よりはいささか遠い。治療をするのなら、浩之よりも坂下や綾香の方が慣れていると思うのだが、どうもそういうことは関係ないらしい。
坂下の声は、少し怒っているようにも見えた。それは葵の思い違いではない。部活では、後輩が危ないことをしていれば、怒っても、場合によっては殴ってでも止めるのが、先輩としての役目だ。特に、葵のダメージはかなり大きい。怒って当然だ。
「そうよ、じっとしときなさいって。せっかく浩之に逆膝枕されているんだから、役得と思って楽しみなさいよ」
その声は、さらに葵を慌てさせた。
やっと、頭の下の微妙に硬いものの正体と、浩之の声が近い理由がわかったのだ。
いつもなら、綾香や葵に浩之がやられるように、葵は浩之によって膝枕をされていたのだ。硬いと思うのは当たり前だ、浩之と女の子では、太ももの感触が違って当然だ。
伸ばした脚の上に、タオルを置いて、その上に葵は横向きで膝枕をされているのだ。
「あ、あの……」
葵は余計に慌てて、嗄れた声が裏返る。非常にみっともない声だが、さすがに葵は冷静ではいられなかった。
センパイの膝枕……
悔しいが、綾香の方が浩之といちゃついていると思う。その綾香でさえ、逆はあっても、浩之に膝枕してもらったことがあるとは思えない。
綾香に対する優越感とか、そんなことさえ無視した喜びとか、色々なものがまざって、葵の頭の中は混乱していた。
それでもそこから素直に動かなくなったのは、首の痛みの所為だけではなかった。
「うつぶせにできなかったんで、仕方なかったんだよな。俺のふとももが、丁度高さがいいみたいでさ」
浩之は、そんな葵の考えをわかっていないのか、少しばつが悪そうに、葵に言う。
確かに、仰向けでは首を冷やすことができないし、うつぶせでは、正直息苦しい。横を向かせて、一定の高さに保つことによって、首に負担をかけないようにして、かつ、首を冷やすことができる。
しかし、そんなこと、葵にはどうでもよかった。
物凄く悪くないです。このまま、しばらくじっとしていたい。
さすがに声に出すのははばかられるものだったので、口にこそ出さなかったが、そういう考えは、ありありと葵の顔に出ていた。
気付かないのは、せいぜい浩之ぐらいだ。
「ほい、葵ちゃん、飲めるか?」
水筒から出たストローが、葵の口につけられる。甲斐甲斐しい行為に、色々な思いで、正直胸がいっぱいになってくる。
ちょっとその感触に顔が緩むのを何とか我慢して、葵はその体勢のまま、ストローを咥えて、のどを鳴らしながら飲む。
乾いたのどが、すっと水分を吸収する。五口ほど飲み込んで、葵は落ち着いて大きく息をついた。
見守ろる三人の目が優しかったのに、葵はそのとき気付けなかった。でも、その真心だけは、見えなくても理解できている。
「もう少しは休んでおくことね。あ、そうそう」
「はい?」
「決勝進出、おめでとう」
いつになく優しいと思っていた綾香の声が、その言葉と共に、いつもの声に戻った。
明日の敵に対する、せめてもの敬意、そんな風に、葵には感じられたのだった。
続く