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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(144)

 

 葵の試合が終わった。つまり、それは午後のナックルプリンセスの、通常の試合が終わったことを示す。

 残るは、三位決定戦と、決勝戦のみだ。

 しかし、それはナックルプリンセスだけの話ではない。男子の部、ナックルプリンスも、三位決定戦と、決勝があるのだ。

 葵を膝の上にのせたままでは、準備運動もできない。しかし、浩之は文句一つ言わなかった。

 試合まで、まだ少しは時間があるし、そもそも、浩之のダメージだって完全に回復しているわけではないのだ。特に、準決勝でのKOは、一日二日で全快するようなレベルではないのだ。

 それなのに、夕方には試合をしなくてはいけないという過酷さ。それを言えば、ナックルプリンセスの選手など、最後の試合が終わって、一、二時間もすれば試合をしなくてはいけないのだ。かなり厳しい状況と言える。

 ウォーミングアップなど、十分もあればできるのだ。今は、葵のことを考えて、じっとしている方がいいに決まっていた。

 葵は、またゆっくりとその小さめの胸を上下させている。完全に、浩之に対して無防備に、安心し切って、回復のために眠りについている。

 もちろんそれが嬉しくないわけではないのだが、浩之が悪戯するなどと思ってもいないのだろうし、もし浩之にその気があっても、まわりで目を光らせている二人がいる以上、安心するのは当然の話なのかもしれない。

 綾香は、葵が多少のことでは起きないことを確かめるように、葵の形の良い鼻をちょんちょんとつっつく。

 一応、つつかれたことには反応しているようだが、脊髄反射以上の反応はないようだ。完全に葵は寝入っていた。

「うーん、男に膝枕させて熟睡って、葵、なかなか度胸あるわね」

「言い方が何か変態くさいんだけど、綾香」

 綾香と坂下がそうちゃかして見ても、葵にはさっぱり反応がない。

 しかし、それは何もおかしなことではない。むしろ、葵は今一番重要なことを選んでいると言っていい。

 KO寸前までのダメージが蓄積されていたのだ。それを少しでも回復して、次の試合に臨むためには、寝て体力を回復するのが一番いい。

 どれほどの気休めにしかならないとしても、休んでいるのといないのとでは、まったく結果が違ってくるだろう。

 それに、肉体だけでなく、三ラウンドを戦い抜いた精神的疲労というのもバカにならない。それを、安心できる場所で寝ることによって、こちらは全快できるかもしれない。

 肉体と精神は切っても切り離せないものだ。どんなに体調が悪くとも、精神がその身体を引きずり動かすことは、不可能ではないのだ。

 だから、葵はどけることもせずに、その場で寝入ったのだ。恥ずかしいとかそういうのを度外視して、そこが一番安心できる場所であったのだから。

「それで、浩之。体調は?」

 葵が多少のことでは起きないのを確認してから、綾香は少し声を落として、浩之に尋ねた。

「まあ、完調、ってわけにはいかねえけどな」

 十分に休息と食事を取ったのがよかったのだろう。身体のダメージはかなり消えていた。何故か何度となく追加のダメージも受けたような気もするが、それについてはそんなに深刻なものにはなっていない。一応、綾香も手加減をしてくれたということだろう。

「気持ち悪いところとか、まだ痛む場所とかない? 筋とか関節とか、危ない場所の痛みはちゃんといいなさいよ」

 少し過保護なぐらいに注意をする綾香を、横で坂下が妖怪でも見るような目で見ている。

「気色悪い綾香ね。藤田、何か盛った?」

「毒の一個や二個盛ったぐらいで、綾香がどうにかなると思うか?」

「ちょっと、二人とも、私を何だと思っているのよ」

 そんなことは言う間でもない。当然怪物と思っている。が、どちらも言うまでもないことだったので、言葉には出さなかった。

「葵のダメージはこのままちゃんと寝てればけっこう回復すると思うけど、浩之はKOされるだけのダメージ受けてるんだから、心配するのは当然でしょ」

「綾香……」

 綾香が神妙な顔で言ったので、浩之も真面目な顔で応える。

「もう、わかってくれればいいのよ」

「もしかして後から俺をどついたのに責任感じてるのか?」

「全然」

 それもかなり問題ありだと浩之は思うのだが、綾香は浩之の皮肉を、あっさりと撃退した。

「一応、後遺症はないように殴ってるから」

 あったら困るが、なければいいというものもないだろうに、とは思うのだが、そんな当たり前のことを綾香が聞いてくれる訳がなかった。

「ああ、そうか。次にまだ試合があるんだね」

 坂下はもう葵の決勝戦しか頭になかったのか、ぽんっ、と手を叩いた。

「綾香がぽんぽん藤田の頭を殴るから、てっきりもう試合はないものと私も思ってたよ」

「ぐっ……」

 坂下のあてつけが、さすがの綾香にも少し効いたようだった。しかし、一瞬引き下がったように見えたものの、すぐに開き直る。

「避けられない浩之が悪いのよ」

「……それはあんまりだと思うんだか」

 綾香の打撃を避けることができる選手など、そう多くはないのだ。それを考えれば、浩之はむしろよくやっている方、とさえ思える。

「ま、冗談はこれぐらいにして……」

 冗談ではなく、浩之は事実殴られているのだが。

「ほんとに大丈夫、浩之?」

「ん……まあ、何とかなるだろ。寺町が打撃専門で反対によかったんじゃないのか? 関節とかへのダメージはないからな」

 まるで熱を出したような頭痛も、残っていた熱も、かなりの部分引いている。それにともない、あの無駄に高いテンションも、すでに消えてしまっているが、それはそれでいいのかもしれない。

 あのテンションをずっと保っているのは、何か身体の中のものを削っているようで、身体にはよくなさそうであったので、落ち着いてよかったというものだ。

 もちろん、完全にダメージが抜けたわけではない。身体の節々が痛むのは、程度こそ落ちたが、まだ残っている。

 だが、十分に戦える。そこまでは回復してきた。

「この試合、浩之は負けるわけにはいかないのよ。わかってる?」

「……何でだ?」

 もちろん、負ける悔しさは、準決勝で嫌というほど味わっている。勝つつもりで戦うが、何か特別な理由がそこにはあっただろうか?

「あのねえ」

 綾香は、大きくため息をついた。

「エクストリームの本戦に行けるのは、上位三人。つまり、この試合で勝てば、本戦に行けるのよ」

「……あ」

 その声が、間違いなくそのことを忘れていたことを示していた。

 

続く

 

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