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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(145)

 

 坂下は、葵たちから離れて、一人歩いていた。

 選手よりもむしろ選手然とした坂下が歩くと、不思議と視線が坂下に集まる。別に試合をしたわけではなかったが、オーラみたいなものが出ているのかもしれない。

 綾香達と一緒にいると、酷い言い様だが目劣りする坂下だが、ちゃんとした格好で街をあるけば男に声をかけられるほど、ちゃんとしない格好で歩けば、女の子に声をかけられるほどのハンサムだ。

 まあ、今のところ、本人はそんなことを気にしたこともなく、女の子の歓声も、どこふく風という態度を貫いているのだが。

 坂下は、何も綾香と浩之のラブラブ光線にいたたまれなくなって離れたわけではない。とりあえず、人を探しているのだ。

 それは、何も難しいことではなかった。何せその相手は、どこから見てもわかりやすいほど目立つのだから。

 ありていに言えば、バカである。

「ああ、坂下さん!」

 そのバカは、坂下の姿を確認するやいなや、大声で坂下の名前を呼んだ。何かあったのかと、まわりの視線がその男に集中するが、坂下も、もう面倒だったので、ため息一つついて諦め、注意はしなかった。

 どこから見てもバカ、寺町その人だ。近くには、やはり大きくため息をついている寺町の後輩の中谷と、これは合同練習で見たことのある、寺町の部の唯一の女子部員が、少し困ったような顔で寺町を見ていた。

「どうも、坂下さん」

 中谷が頭を下げるのに合わせて、その女子部員も頭を下げる。さて、その女子部員の名前が何であったのか、坂下の記憶にはなかった。

「ええ、大変ね、あんた達も」

 とりあえず名前を呼ぶのは差し控えて、一般的な感想を口にしてみる。

「まあ、部長がこうなのは、いつものことですから」

 それに関しては、中谷もその女子部員も同意見であるようだ。お互いに、微妙な苦笑をしている。

「そう言えば、他の部員は?」

 寺町は、確かにバカではあるが、部員達の信頼は厚い。その寺町が酔狂でもこんな試合に出るのだから、応援しに来ない訳がないのだ。実際、準決勝が終わったときには、部員が全員いた。

 もっとも、寺町といると恥ずかしいから、という理由で部員が帰ったと説明されれば、坂下は何の疑いもしなかったろう。それほどに寺町は大勢の前では会いたくない男なのだ。

「他の部員は試合に出ないですから、帰しましたよ」

 いや、そうではなくて、と坂下はジェスチャーをして、寺町の言葉を遮った。

「別に試合に出るだけじゃなくて、応援とかあるだろうに」

「応援? 別にいらないと言っておきましたが」

 何を坂下が言っているのか、まったくわかっていないような寺町の顔に、やはりこの男は、だいたいにおいて規格外なのだと坂下は再確認させられた。

「普通は運動部で大会ともなれば、試合に出ない部員は応援に来るのが普通なんですよ、部長」

 ものを知らない寺町に、中谷が親切丁寧にものを教える。もっとも、それがまったく意味のないことだということを、当の中谷が一番理解しているのだろうが。

「だから主将と呼べと何度も何度も言っているだろうが」

 と、寺町はおきまりのセリフを口にしてから、続ける。

「そもそも、応援などなくとも、勝つときは勝つし、負けるときは負ける。いちいち応援などに来る暇があるのなら、家で腕立ての一つでもやった方が強くなるというものだ。部員にはそう言っておいたのだが……全員来ている上に、言っても帰らない者もいるしな」

 そう言って女子部員に目を向ける。女子部員は、少し表情を硬くしたが、結局その視線に負けることなく、その場に立っていた。

 応援に来てくれた人間に何て言いぐさだ、と坂下は思ったが、この男にそんなことを言っても無駄なので、やはりため息をついておいた。

 しかし、寺町は、お前がするな、と言われそうなため息をついてから、言った。

「まあ、お弁当を用意してくれたのは正直助かった。ちゃんと明日からは自己練しろよ」

「今日家に帰ってからします」

 声に隠そうとしても隠しきれない嬉しさがにじみ出ている。一体、このバカのどこがいいのかまったくわからないが、その女子部員は嬉しそうなのだから、坂下が文句を言う部分ではないのだろう。

「人の試合を見るのも、練習になるんですよ、部長」

 意味はないとわかっていても、一応中谷が、自分が残っている理由を説明する。もっとも、理由がなくとも、中谷も残るのは当然なのだが。

「何を言うか。やってみないことには、強さなどわからん」

 寺町は、その持論を曲げる気はなさそうだった。それは目で実力を読むのが下手なだけなのか、そういう理由をつけて戦いたいのか、坂下にも判断しかねた。

 寺町は、色々な所が常識から外れているのだ。というより、強い相手と戦いたい、そして強くなりたい、という方向のみに、全てが向いているように見える。

 ここで間違えてはいけないのは、その順番だ。強くなって、戦いたいではないのだ。強くなることよりも、戦うことがこの男には前にあるように見えた。

「で、一応決勝だけど、勝算は?」

「勝算ですか? また難しいことを聞きますね、坂下さん。正直、面白くもない相手なので、戦う気はあまり起きないんですが」

 北条桃矢を捉まえて、勝算と言う言葉にまったく反応しないどころか、面白くない相手と言い切る寺町の目には、しかし、言葉以上のものが含まれていた。

 この男にしては、それは珍しいことだった。裏も表も、上も下もない、そんなところが、寺町の人間性を表わすのに、二番目に似合う言葉なのだから、それはとても珍しい。

「何か考えがあるみたいだね、珍しく」

 おそらく、聞いてみればいいだけのことだった。含みのない寺町のことであるのだから、聞けば簡単に答えるだろう、と坂下は単純に考えた。

 しかし、その単純な考えは、まさしくその通りだった。

「いえ、北条の息子さんですか、あの人は、面白くない戦いをする。だから、この際、趣味と実益をかねて、教えてやろうと思いましてね」

 何を、というのは、ここまで聞けば聞かなくとも良い。

 公平な意見などない、まったくの自分勝手な考え。それが正しいかどうかさえ無視をした、ただの言いがかり。

 傲慢にして不遜。それが、この格闘バカの全てなのだ。

 しかし、その目にやどっているものは、坂下でさえゾクッとするような、戦いの炎。

 決勝まで進んだ相手、しかも、その実力は間違いないと思われる相手に対して言う言葉ではないはずのものを、寺町は口にする。

 そして、これは確実な話として、この男は、それを実行するだろうことは疑いようがなかった。

「せいぜい、楽しい戦いを、させてもらいますよ」

 その顔には、もはや何の含みもなかった。ただ、目の前にある好物に手をつける子供のような、無邪気とも取れる笑みで、寺町はそう言い切った。

 

続く

 

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