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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(148)

 

 細いな。

 試合場で、英輔選手を前にして浩之が最初に思ったことは、それだった。

 格闘技は、全部が全部ではないが、体格は実力の一つでもある。大きすぎてスピードを殺すのはいただけないが、大きな身体から作り出されるパワーというのは、重要なファクターをしめる。

 英輔の身長は、心持ち、浩之よりは低いかもしれない。しかも、それでいて、細さで言えば、浩之と同じぐらいなのだ。

 首は、確かに向こうの方が太い。寝技をやってきた証拠だろうが、後は浩之とそう変わることはないのだ。明らかにウェイトが足りない。

 それを言えば、浩之自身も体重は足りないのだが、目の前に立つと、相手のことはよく見える。自分がどうあれ、英輔が細いのは確かなのだ。

 柔道は階級制であるから、階級ギリギリまでしぼって、なるべく下の階級に出た方が有利であるから、英輔は今まで体重をしぼってきたのだろう。

 今までの試合を見ていてもわかるが、確かにその身体は、スピードでは並ぶ者がいない。浩之の戦った中谷と同じほどのスピードを持つだろう。

 だが、組み技における腕力というのはバカにできない。浩之も細いが、それでも腕力にはそれなりの自信、綾香や葵に負ける程度だが、がある。体重の軽い相手に力負けする気はなかった。

 もっとも、同じようなことを英輔が考えていたとしても、何ら不思議はない。

 浩之は、エクストリームで勝ち進むには、細すぎるのだ。これでもっと体重、力があれば、寺町に勝てた、とは言わないが、もしかしたら、ひっくり返っていたかもしれないのだ。

 その細さによって、スピードを生んでいるのだから、意味がないわけではないとは言え、今試合場に立つ二人は、まったく格闘家には見えない。

 しかも、自称ではなく、惜しくも準決勝で敗れたとは言え、それまでに勝ち上がるほどの実力を持った二人なのだ。

 観客も、いやがおうにも盛り上がるだろう。こんな綺麗な顔をして、この二人は、どちらも素晴らしい試合をするのだから。

「それでは、エクストリーム、ナックルプリンス、三位決定戦を始めます」

 審判の声に、不思議と、浩之も、英輔も緊張を浮かべない。審判も、この二人の自然体に、むしろいぶかしげなものを感じながらも、声を続ける。

「レディー……」

 英輔は、左脚を一歩後ろに下げて、腰を落とす。

 浩之は、腰を落とさずに、左半身に構えて、左手を少し突き出す。

 たっぷり、一秒ほど間をおいて、審判は、腕を振り下ろした。

「ファイトッ!」

 合図と共に、英輔は素早く後ろに下がる。それを一瞬追うようなそぶりを見せた浩之だったが、すぐにあきらめたのか、浩之自身も後ろに下がった。

 すぐにつっかかるとは観客達でさえ思っていなかったので、順当な展開と言えた。

 しかし、浩之は心の中で舌打ちをしていた。

 浩之は、最初からつっかかる気でいたのだ。その方が、断然有利だと思っていた。

 英輔は、相手の打撃をかいくぐることぐらいはできるだろうが、それも、何度か打撃を見ないことには、タイミングを掴むのは難しいはずだ。つまり、打撃を見せなければ見せないほど、浩之に有利に事は進むはずだったのだ。

 もちろん、浩之にだって不利はある。英輔のその実力を体感する前に、英輔の組み技の攻防をしなくてはいけない可能性が高かった。賭けとしても、どちらが有利、どちらが不利とも言えない状況になってしまう。

 しかし、だからこそ、浩之はそれをやりたかったのだ。賭けにならない、つまり誰も予想できない状況に持っていく方が、浩之には何倍も有利だったのだ。

 実力的には、何度も言うが、浩之の方が不利なのだ。いかに今日、浩之の成長が著しいと言っても、底の部分はまだまだかたまってはいないし、成長した浩之の、その成長分をあわせても、まだ足りないようにさえ感じるのだ。

 だったら、こちらも、相手も、予測ができない、泥試合にした方が、浩之にとってはましなのだ。

 綺麗に戦っていては、実力で負ける分不利。覆すのには、作戦が、それを含めても、運が必要なのだ。

 だったら、運やたまたま、に左右される方が、浩之には良いのだ。

 それも、英輔にはわかっていたのだろう。距離を取って、実力を遺憾なく発揮できる状況に持っていったのだ。

 英輔だって、極端に有利になったわけではない。実力の差だって、目立つほどではないのだ。見方を変えれば、浩之の方が有利と取れるかもしれない程度の差だ。

 だが、その僅かの差も、あるのとないのとでは、大きく違う。

 英輔は、だからある方を選択したのだ。構えから、すでに逃げるために脚を後ろに引いていたのを、浩之は見ている。

 一度こうなってしまえば、うかつな行為は自殺と同じだ。浩之は、反対に、攻撃が届かないほどまでに距離を離れた。

 軽い膠着状態も、まだ試合の始まった緊張が残っている所為で、観客達もかたずをのんで見守っている。

 浩之にとって、あまり芳しくない状況だった。

 こうなると、先に手を出す方が不利だ。いかにスピードが乗っていようと、何の小細工もなしに、遠い距離から打撃を当てるのは難しい。

 実力の差が大きいならまだしも、同じか、こちらが不利では、そんなに簡単に打撃が入る訳がない。

 しかし、距離的には、打撃の方がリーチがあり、結果として、浩之は、自分から打撃を打たなくてはいけないのだ。

 リーチの有利も、状況によっては、不利になる。今は、リーチがあっても意味がないどころか、先に手を出さなければならない分、不利だ。

 なら待っていればいいという話もあるが、残念ながら待つ手も使い物にならない。英輔に、何の障害もなしに攻撃させるなど、その方がよほど危ない。

 捕まらない程度に、打撃を打って距離をかせいでおくぐらいはできる。しかし、そうすれば今度は、浩之の打撃を、本気ではないにしろ、英輔に体験させてしまうことになる。タイミングを読まれるのは、遅ければ遅い方がいいのだ。

 まったくもって、浩之にとって不利にしか運ばない状況なのだ。

 解決策は、距離を縮めて、手を出すしかないのだが、その間に掴まれる可能性は高いし、だいたい、英輔は浩之の次の行動を読んでいるだろう。浩之が不利とわかっていて、試合早々距離を取ったのだから、それを分からないわけがない。

 まさか寺町のように、天然で動いているわけではなかろう。試合が始まったにもかかわらず、まだ顔にはりついている柔らかい笑顔の下では、ちゃんと色々と考えているようだ。

 試合中の、相手と対峙しているにもかかわらずの柔らかい笑顔。しかし、浩之はそれをバカになれているとは、どうしても思えなかった。

 何故なら、笑顔の中でも、目に宿る闘志は、やはり恐ろしいぐらいに燃えていたから。

 浩之は、その笑顔に答えるように、一瞬、ニッと笑って、脚を踏み出した。

 

続く

 

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