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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(150)

 

 浩之の上半身と、英輔の上半身がほとんどぶつかるほどまでに近づくのに、ほとんど時間を要しなかった。

 ここまでくれば、まずキックでの攻撃はできなくなる。何より、身体を前に倒して、一瞬でも早く相手を掴もうとしている状態では、キックは出せない。

 そして、さらに二人の身体が密着をする。これで、パンチも十分な効果を及ぼすだけの距離を保てなくなった。

 バチンッ、と浩之と英輔の身体がぶつかる音が響いた。

 が、身体はぶつかったが、腕はそのままではおれなかった。上半身につかむ場所のない二人、浩之はもとからだが、英輔も道着を着てこなかったので、二人の腕は、相手を完全に捕まえるのに、それなりの苦労と工夫をしなければならなかったのだ。

 両方が、言い合わせたかのように、片手で相手の首に腕をまわし、英輔は浩之の脇の下に、浩之は、もう片方を英輔の首にまわした。

 もう組んだ時点で、どちらが有利なのかは明らかだった。

 密着しているにも関わらず、するりと英輔の身体が浩之の下に入り込んでくる。浩之もそれにすぐに対処しようとしたが、いかんせん、英輔は脇の下に腕を入れて浩之がこれ以上身体を落とすのを封じているが、浩之は首だけを掴んだに過ぎず、簡単に英輔が下に入るのを許してしまう。

 掴む場所がなかろうが、そうなれば、英輔のものだった。もとより、相手を地面に倒すことに特化した柔道をベースにした英輔だ。そちらには初心者どころか、素人の浩之相手に、苦戦するわけがない。

 英輔は素早く体を入れ替えると、浩之の身体を担ぎ上げ、投げようとした。自分の腰に、相手の重心を乗せて投げる、腰投げと言われる投げ方だ。

 しかし、それを、浩之はふんばって耐える。多少は崩れていても、浩之だって修治に嫌というほど痛めつけられてきたのだ。対処だけなら、それなりにできる。

 しかし、一瞬ふんばって耐えたと思った瞬間、浩之の身体は後ろに体重をかけさせられていた。そのあまりの早さに、耐えきれずに浩之の身体が浮く。

「っ!」

 綾香や葵や、観客が一瞬息を飲むが、浩之は後ろに倒れそうになる身体を、何とかバランスを取って、後ろにバックステップするようにして耐え、英輔の手から逃れた。

 英輔の手を振り切って逃れた浩之を、しかし英輔は一秒たりとも許しはしなかった。浩之が体勢を立て直す前に飛び込み、浩之の打撃を封じる。

 組み付いてしまえば、打撃の威力は半減どころでなく落ちるし、また、攻めた方が自分に有利な場所を掴むことができる。

 前から後ろに変化する投げを、それでも耐えきった浩之に対して、英輔は素早く左右のゆれに動きを変化する。

 バランスを取り戻すやいなや掴まれた浩之には、自分の有利な場所を掴むことができなかったし、そもそも、組み技でこんなめまぐるしい攻防についていけるほどの実力が、まだ浩之にはそなわっていなかったのだ。

 浩之もたいがいのものだが、その細い身体のどこにそんなパワーがあるのかわからないような力で、英輔は浩之を振り回す。

 浩之は浩之で、英輔の力に逆らわなかったり、反対にふんばって動かなかったりして、何とかして英輔の攻める隙を出さないようにしている。

 その反応は、組み技がメインではないということを考慮に入れなくても、なかなかできないことであったが、それでも、浩之はそれをこなす。

 パシンッ!

 しかし、無茶なのはやはりかわらない。英輔の鋭い足払いが、浩之の体重のかかった脚を音を立てて払った。ほとんどローキックにも似た足払いに、また浩之の身体が浮く。さらに、英輔は浩之を捕まえている腕を放さずに、そのままの力を持って、浩之をマットの上にたたき落とそうとしていた。

 だが、それにも浩之は片脚をついて耐える。その脚もすぐに払われたが、もうそのころには、浩之はバランスを取り戻していた。

 しかし、不利であることは疑いようもなく、浩之は英輔の顎を、アッパー気味に二、三発ほど殴る。威力は大してないが、それで一瞬だけ英輔の気をそらし、その隙に浩之は英輔の腕から逃れ、距離を取る。

 しかし、距離を取るときでも、素早く拳を構えねばならなかった。そうしなければ、すぐに英輔は飛び込んで来るだろうし、飛び込まれたらまた押されるだけなのは確かだったので、ただ距離を取るだけでも、かなり神経を削られる作業だった。

 実際は、英輔の腕を抜けるだけならば、そんなに苦労はしないはずだ。いかに英輔とて、基本は柔道、そして柔道はあくまで、道着を着た相手を投げるのに多くの時間を使うのだ。掴む場所がない今は、英輔の投げはそこまで怖いものではない。

 事実、一度目の前後にふるフェイントを入れた投げは、二度目の後ろに倒すときには、掴んだ手が外れて、浩之は逃げることに成功している。だいたい、本気で掴んでいるのなら、威力のないパンチの一、二発で外れるわけがないのだ。

 そこに浩之はまだ気付いてはいないが、実際にその利点を浩之は生かしている。これが道着を着た状態であれば、数秒とかからずに浩之はマットの上に倒れていたろう。投げ一発で決まらなくとも、上に乗られれば不利なのに変わりはないのだ。

 会場は、浩之の無策とも思える行為を、軽くいなした英輔に対する歓声があがっていた。組み技を得意とする相手に、組み技で挑むなど、愚の骨頂であり、それは盛り上がるかもしれないが、このように簡単にぼろが出るのだ。

 もちろん、浩之は盛り上げるためでにそんなことをしたわけではないし、もちろん英輔を挑発するためにそんなことをしたわけでもない。

 楽しむために、そして、信じてもらえないかもしれないが、勝つためにやっているのだ。

 今の浩之には、残念ながら、不利を覆す作戦は胸の内にはない。どちらかと言えば、いや、ほぼ間違いない作戦によって戦う浩之に、策がないというのは、あまりにも不安な状態だ。

 しかし、綾香だって、多くはアドバイスできなかったような状況であるし、浩之が思いつくことなど、たかが知れていた。しかも、こともあろうに、すでに浩之は綾香の基本とも言えるアドバイスを無視して、自分から攻めている。

 しかし、それでも、浩之の中には確信めいたものだがあるのだ。こうしなければならないという、何の命令かもわからない、単なる気の迷いのような声が、聞こえるのだ。

 英輔の強さを、その身で味わえ、と。

 しょうこりもなく、という言葉通りに、浩之は、また上体を落とした。有効な打撃を打てない状況に自分を持ってくる。

 無防備でいるならともかく、ちゃんと組み技の構えを取れば、英輔はむやみに仕掛けてくることはない。

 浩之が、いつまで英輔の得意な組み技に付き合うのかもわからないくせに、英輔に焦った様子はなかった。浩之をあなどっているわけではないのだろうが、少なくとも、何が何でも今のうちに倒してしまおうとは、思っていないようだ。

 少なくとも、浩之の一つの作戦はこれで潰えている。攻め気が多すぎれば、どんな上手も下手を打つことがあるのだ。できるなら、そこを浩之は狙いたかった。

 だが、英輔はまだ冷静で、そんな浩之の思惑を、十分理解しているように見える。そして、浩之は浩之で、組み技をすると決めて、後からその優位性を考えたに過ぎず、それに多くは望まなかった。

 そう、有利になる作戦では、ないはずなのだ。

 浩之は、息が落ち着いているのを確認すると、また、英輔との距離を、じりじりと狭めていく。

 これは、自分を、ピンチに追い込むための作戦なのだ。

 

続く

 

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