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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(154)

 

 浩之は、英輔を下に捉えていた。

 英輔の上にのしかかるようにして、がっしりと腰を掴むのに成功したのだ。

 この体勢からならば、英輔と浩之の組み技の技能に差があっても、浩之の方が有利なのでは、と言える。

 もちろん、英輔は組み技では浩之に勝っている。単純に組み手を競い合ってそんな状況になったのではないのは確かだった。

 歓声があがる。その体勢が、浩之に有利であり、下手をすれば決着がつくのでは、と期待してのことだ。

「綾香さん、センパイ、やりましたね!」

 葵の声も、ついつい大きくなった。浩之が何かを考えて組み技で戦っていたのを信じていただけに、期待に応えてくれたことに対する喜びもひとしおだ。

「まあ、とりあえずはね」

 あまり喜びもせずに、厳しい答えを返した綾香も、浩之がよくやったというのを、認めないわけにはいかなかった。

 浩之は、ちゃんと組み技でも英輔に対抗できる、と思っていたのかどうかはわからないが、十分にそれを証明して見せた。

 まず、タックルばかりを狙ったのが、浩之の策戦の一つだ。

 確かに、浩之はタックルに重点を置いて組み技を練習してきたのだが、それにしたって、単調な攻撃だった。

 もっとも信頼できる、というほどの練習量でもなかっただろうし、タックルもその域には達していない。そんな技を何度も使うのに、疑問を持たなかったのも、確かにおかしな話だ。

 そうやって、浩之は英輔の対応を、少しずつタックルだけに集中させていった。いや、英輔としては、それを自覚していたとしても、そうしたろう。浩之の構えは、間違いなくタックルに適してはいたが、その他の技には適したものではなかったのだ。浩之が違う技に入れば、即座に反応できる自信があったはずだ。

 だが、それは半分は正しく、半分は間違っていた。

 英輔は、確かに反応できたろう。浩之が、タックルの体勢から、打撃を狙うのならば、反応できないわけがなかった。

 しかし、それが組み技であったのなら、話は違って来る。

 浩之の狙いは、組み技で英輔を誘っておいて、狙いすませた打撃、これが英輔の読みであり、おそらく浩之が何を狙っているのかと聞かれれば、十人中九人はそう返す答えだ。

 浩之はそれの裏をついたのだ。タックルは確かに見せ技でしかなかったが、しかし、狙っていたのは、打撃ではなく、組み技だったのだ。

 誰もがこうは来ないだろうと思う、いや、それを思いもしない手で攻めるのが、策の常。浩之にはそれを考える頭があった。

 即席の策戦ではあったが、それはものの見事に決まったのだ。

 そして、策戦が即席ならば、浩之の技も、即席であった。

 タックルを狙ったはずの浩之の身体が、英輔の上になっているのは、技を使ったからだ。

 その技については、受けた本人が、一番良く知っている。

「あのタイミングでやられると、よけられないんですよ」

 実際に、その技にかかった以上、あまり喜ぶべき内容ではないのだが、葵はそれを嬉しそうに、そしてさも得意そうに言った。

 そう、葵はこの技をさっきの試合でかけられたのだ。

 浩之が英輔を捕まえた技、それはレスリングで言うところの、「がぶり」だった。

 タックルに対応しようとして、腰が落ち、体勢の低くなった英輔を、浩之は低い体勢からいきなり上体を起こして上から覆い被さったのだ。

 完全な即席の技だった。見たのも、葵が篠田選手にかけられたのを見た、その一度きりだった。だが、浩之はそれを、こういう場面で決めて見せるのだ。

 相手の技を、相手の技でなくとも、見た技を、いち早く吸収することにかけては、浩之は完璧に天才だった。

 質は落ちるだろう。浩之も、それに質は求めていない。しかし、「何をするかわからない」という能力は、格闘の世界では案外怖がられる。

 それが証拠に、組み技が得意なはずの英輔が、こうもあっさりと浩之に上を取られるのを許した。英輔の予想を浩之が超えたのだ。

 そして、浩之はそこまで考えていなかったが、選んだ技も良かった。柔道では、立ち技のまま、こうやって上を取ることも、取られることもない。下手をすれば柔道では反則になるからだ。

 エクストリームのために、英輔も普通の柔道家がやらないような練習にまで手を出しているのは確かだろうが、しかし、やはり得意とそうでないものには分かれ、浩之の使った技は、あまり経験のない、得意ではない方の技だったのだ。

 しかし、有利な状況になったとは言え、浩之もあまり今の状況を歓迎していなかった。

 策戦は成功して、有利不利で言えば有利な体勢に持って来れた。

 だが、まだ完全とは、とても言い難かった。

 本当は、英輔の首を取ろうとしたのだが、英輔はとっさにもっと深くに入り込んで、首を取られるのを回避した。このままでは、上からつぶすことは簡単でも、それからの技にあまり発展性がない。

 浩之のやりたいことは、英輔の首を取って、膝を連続して入れたかったのだ。これも葵の次の対戦相手、吉祥寺選手の十八番だが、何も浩之には難しい技ではないし、威力は十分であろうから、悪くない選択だろう。

 だが、英輔はまず懐に深く入ることによって、頭を浩之の膝が入る内側まで入れてしまっている。かつ、浩之の脚を手で取っているので、脚を振り上げるのには抵抗があるし、何より、この体勢で片脚になってしまうと、有利な体勢でも、マットに倒されてしまうだろう。

 浩之は、拳をふるって、申し訳程度に英輔の脇腹を狙う。しかし、逃げられたらもともこもないので、どうしても腕は縮み、威力を出せるわけがなかった。

 しかも、英輔は自分から膝をつこうとしていた。組んだ状況で膝をついてしまえば、浩之は打撃を使えなくなる。有利な状況でも、英輔とまったくの組み技だけで戦う気にはなれない。

 しかし、あからさまに不利、というわけではなくとも、次の手の打てない状況でも、、浩之はこの体勢を維持しようともしていた。

 理由は簡単、技をかけていない状況であろうとも、上から押しつぶせば、相手はスタミナを削られるのだ。

 スタミナを削ることの効果は、今更説明する間でもない。葵がそうやって将子選手に勝ったのを見ずとも、格闘技では、スタミナの消耗し合いになることは珍しくない。

 次の技に入れないのなら、今できることをやるだけだった。策戦によって少しでも有利に事を進められたのだから、それを利用しないわけがない。

 だが、その均衡は、二十秒足らずの間だけだった。

 膝をマットにつこうとしていた英輔の身体の力は、下にかかるものだった。それを浩之がさせまいと上に力をかけている状況であったのだが、その英輔の力が、急に逆転した。

 それは浮遊感を伴うような力だった。

 浩之は、その瞬間、何が起こったのか理解できないほどに、そのパワーは強かった。しかも、自分の力まで、それを後押ししてしまったのだ。

 浩之の足の裏から、感覚がなくなる。さっきまでマットの上にふんばっていたものが、その支えを無くし、力が霧散する。

 あっという間に、上下が逆転して、浩之の感覚が驚きで一瞬混乱した。

 ズダンッ

 浩之の身体は、あっけないほど簡単に、英輔に投げられていた。

 

続く

 

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