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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(155)

 

 投げられた、と思った瞬間に、浩之は身体をひねっていた。

 身体の下に入られて投げられたので、高さは高くないし、背中から、脚にかけて落ちるので、大したダメージにもならない、と判断したわけではなく、とっさのとこだった。

 受け身を取るよりも、投げられた後の体勢を不利にしないための動きだった。完全に下敷きにされれば、不利なのは間違いないのだ。

 幸い、片方の腕は空いていたので、身体をひねって胸から落ちる。脚の方が先についていたので、ダメージらしきダメージはなかった。

 が、その瞬間、浩之の背中に、悪寒が走った。

 浩之の左腕の筋肉が一気に盛り上がった。細身とは言え、かなり鍛えてある浩之の腕は、丸太とは言わずとも、棒というには発達していた。

 英輔を捕まえていた左腕を、英輔は決めていた。体勢は悪いが、腕固めの体勢に入っていた。浩之の腕を脇に入れて、肘を極めたのだ。

 だが、浩之の反応もはやかったので、それは完全には決まっていなかった。腕が少しでもまがっていれば、この技にはダメージはない。

 すぐに英輔は腕固めから、脇固めに移行しようとしたが、そのときには、浩之は自分の両手をがっちりとホールドしていた。伸ばさなければ、関節は極めようがないのだ。

 しかし、英輔はそれでは攻撃を止めなかった。浩之の腕に絡まっていた英輔の腕が、次の瞬間には、浩之の首に回されていた。

 英輔は、反り返って浩之を投げるときに、身体をひねって、浩之の腕に、のしかかるように倒れていたのだ。浩之が背中を取られているも同然の形だったのだ。

 浩之はとっさに、首を引っ込め、あごを引いた。

 あごの下にさえ腕が入らなければ、スリーパーホールド、柔道で言えば裸締め、はかからない。相手の頚動脈を押さえるそれが極まれば、返す技もなく、どんな人間とて、十秒も持たないだろうが、極まらなければ、本当にまったくダメージはない。

 スリーパーホールドの強さは、浩之も重々承知していた。同じように、修治もそれをよく使ってきたので、対応に慣れていたのが、浩之に幸いした。

 あごが入っていれば、まったく効かないのだから、浩之は守りきったと言っていいだろう。

 だが、英輔はそれでもかまわずに、力の限りを持って英輔の首をしめた。あごが入っているので、首というよりは、あごをしめているような格好だ。

 技のかかりは浅い、というよりもかかっていないのだが、英輔はそれを外そうとしない。そして、その意味は、ないわけではなかった。

 浩之と同じで、細身である英輔の腕の力は、まさに万力の様、と表現されるほどに強かった。かかっていなくとも、首近くを、そしてあごを力まかせに締め付けられて、浩之の息があがる。

 こいつ、スタミナを削るつもりか?

 それが試合を決める技に、ましてや一撃必殺になるわけではないのは確かだが、英輔が何をやろうとしているのかを、浩之は理解した。

 さっき、浩之が決定打のないまま、英輔を下につかまえていたのと同じだ。いや、今の英輔の方が、より効果的だろう。

 それは、首あたりをこの力で締め付けられれば、息苦しくもなる。それを続けられれば、当然浩之のスタミナは削られていくだろう。

 葵の試合の例を出すまでもなく、スタミナを削られれば、動きは遅くなるし、技もさえなくなる。

 しかも、エクストリームには柔道のように、技がかかっていなければ待ったがかかることは、ないのだ。このラウンド中、ずっと首を絞められ続ければ、次のラウンドで、スタミナが切れてしまうのは目に見えていた。

 地味だが、やっかいな作戦と言えよう。しかし、それだけ、英輔は浩之の実力を認めているということだ。こんなまどろっこしい手を、格下相手には使うまい。

 もっとも、だからって嬉かねえけどな。

 自分からわざわざ組み技を選んでおいて、相手が自分を認めてくれることよりも、楽に勝ちたいなど、矛盾にもほどがあるが、浩之の今の気持ちはまさに楽に勝ちたいだった。

 いや、それは嘘になる。

 浩之の気持ちは、一つだ。

 ただ、勝ちたい。

 楽だろうが、苦痛だろうが、ただただ、浩之は、勝ちたいのだ。

 浩之の手が、遅ればせながら自分の首に包まった英輔の腕に伸びた。しかし、技自体は極まっていなくとも、体勢的には完璧に極まっている腕をはがすのは、同じレベルの力では不可能だろう。

 後どれほど時間があるかわからないが、つまりはその間、このスタミナに対する攻撃を、浩之は受け続けねばならないということだ。

 だが、浩之はあせらなかった。相手を下にして組むことばかり考えて、後の展開を予測できなかったのはまずかったが、それでも、まだ勝負が極まるような場面ではない。

 スタミナに自信がないわけではないが、もとより、浩之はここでスタミナを削る気は毛頭なかった。

 浩之の手が、英輔の腕に伸びる。

 英輔は、力の限り浩之の首を締め付けながら、ふいに違和感に気付いた。

 英輔の経験から言えば、この場合、相手は首と腕の間に手を入れるのが、普通の反応だ。それで押し返せるものではないが、それでも、首が締め付けられる部分がより減るため、効果は高い。

 そうなれば、今の締め付けによるスタミナを削るという攻撃も、少しは威力が弱まるだろう。しかし、それでも効果があるのは確かなので、英輔はかまわず締め続けるつもりだった。

 だが、浩之の手は、浩之の首に回ったほうの腕の、ひじと、脇辺りに置かれていた。

 腕を本気で引き剥がすつもりなのだろうか?

 それは、英輔の想像もできないほどの腕力があれば、それも可能だろうが、見たところ、浩之にはそんな悪魔じみた怪力はない。

 何かをするつもりなのは、その普通でない対応でわかったのだが、それが何なのか、さっぱり英輔にもわからなかった。

 だが、英輔はそれを気にしながらも、この体勢をやめる気などなかった。英輔にしても、これは少ないチャンスなのだ。ここでスタミナさえ削っておけば、もっと簡単に、浩之を倒すことができるかもしれないのだ。

 浩之の腰があがる。立ち上がってしまおうとしているのは見え見えだった。しかし、それを英輔は許すつもりはなかった。立ち上がってしまえば、打撃がある。威力が弱くとも、油断のできない浩之相手に、機会を与えることなど考えられない。

 英輔が力を込めて浩之をマットに押さえつけたので、浩之の身体は完全には持ち上がらなかった。

 立ち上がろうとするのは間違っていないが、この半立ちの体勢では、よけいに浩之は体力を消耗することを、英輔は理解していたので、完全にマットに組み伏せる気はなかった。

 しかし、その英輔の読みは、むしろここでは仇となった。

 浩之が尻から、マットに落ちて、どすん、と鈍い音を立てた。

 と同時に、英輔の腕に、まるで電撃が走ったような感覚があり、一瞬、力が抜ける。

 と同時に、痛くはないが、十分な勢いのあるものが、英輔の胸を力まかせに押して、そのまま英輔の身体を跳ね飛ばした。

 何が起きたのか、それが英輔に理解できるよりも早く、そのスタミナを削られる体勢から抜け出した浩之は、立ち上がっていた。

 観客が、英輔の技から脱した浩之に、うるさいほどの歓声をあげるが、浩之が何をやったのかわかったのは、ほんの数人だったろう。もちろん、綾香や葵は何が起こったのか理解している。

 何が起きたのか理解できなくとも、それでもガードポジションに入れる構えで倒れていた英輔に、浩之は向かおうとはしなかった。

 今は、その危機から脱して、立ち上がれただけで十分だった。

 度肝を抜かれた英輔は、二秒ほどほうけていたが、しかし、すぐに表情を取り戻して、浩之が襲って来ないか用心しながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

続く

 

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