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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(156)

 

 ドウッ、と体育館の中が一瞬だけ、揺れるように盛り上がった。

 技が外れただけなのだが、その外し方も、外れ方も見たこともなかったものだったので、自然と観客の目を引いたのだ。

 さっきまでうつぶせの状態で上に乗られ、首を、不完全とは言え絞められていた浩之は、すでに立ち上がっており、ゆっくりと息を整えている。

 そこを攻めるのが実際は正しいのだろうが、英輔は、何かを考えているのか、攻めない。いや、事実、自分がどうやって外されたのか分からずに、それを考えているのだ。

 攻めることならできよう、もしかすれば、さっきの体勢に持っていくこともできるかもしれない。しかし、何もわからずに仕掛ければ、また同じように外される可能性は高かった。そんな無駄なことをして、攻めて隙を作る気は、英輔にはない。

 まわりから見れば、英輔が吹き飛ばされたように見えたろう。事実、英輔は胸から腹にかけてに、強い力を感じているし、そのせいで引きはがされたのは間違いない。

 だが、並の力ではそんなことができるわけがない。技自体は極まってはいなかったが、それでも、英輔の腕のロックは完全にされていた。それをあの体勢の人間が、力でどうこうできるのなら、もう人間の領域ではない、とさえ英輔には自負できる。

 何が起こったのかまだ分からない英輔もそうだったが、体力を回復させるという目的があるにせよ、浩之も攻める気はなかった。

 そもそも、浩之も、今の技のおかげで、心臓がドキドキしているのだ。

 疲労ではない、緊張でだ。

 正直、浩之も、ここまでうまくいくかどうか不安だったのだ。何度か練習はしていたが、まだ身につくほどには練習を重ねていないのだ。

 それは、とっさにタックルからがぶりへの、言わば組み技のフェイントコンビネーションを実行したときよりも、よほど緊張した瞬間だった。

 しかし、その分、結果は上々だった。英輔は浩之のその抜け方をまだ理解できていないようであるし、それを見て、理解しただろう葵や綾香を横目で見れば、驚いているような、あきれているような顔をしているのだから。

 十分、驚かしたよな。

 驚かすのが目的ではなかったものの、それでも気分が良かった。綾香が思う手よりも、浩之が違う解法を出せたことに、ほんの少しだけ優越感があった。

 ま、これも俺の技じゃないんだけどな。

 増長しそうになる自分を、そう思って浩之は自重した。

 ただ、英輔の不完全な技から抜け出したに過ぎないのだ。その積み重ねが何かになることはあっても、まだまだ勝敗につながるものではないのだ。

 浩之の考えている通り、それは浩之の技ではない。修治が見せてくれた、武原流の裏の抜け技だった。

 裏、という言葉がついてはいるが、単に、それは試合でも使えるというものの意味を持つ。普通は、裏と言えば試合で使えば反則となるような危険な技のことを言うのだが、武原流の場合は、使っても反則を免れることができるという意味で、裏と使うのだ。どこまで行っても、素直ではない流派である。

 しかし、その外し方は、まさに名前の通り、裏技だ。

 相手の腕が、首に完全に巻き付いたのなら、それを力で外すのは、まず無理。だから、その力を少し弱める。

 まず、相手のまきついた腕の肘と脇に指を入れる。肘や脇には、力がかかると、腕をしびれさせる点というのがある。そこを押したのだ。

 その一瞬、腕の力が、最大と比べればかなり落ちる。その瞬間に、こちらは力の最大を出したのだ。

 両手は、その点を押すのに使われている浩之が、何を使ったかと言えば、脚だ。

 浩之は、自分の腰を、くの字をさらに超えて、ほとんど百八十度に曲げたのだ。

 曲げれば、自然と足の裏が英輔の胴体に当たる。後は、腕の三倍と言われる脚の力で、英輔を跳ね飛ばすだけだった。

 技も使ったが、力も使う、何とも大雑把な外し方だった。しかし、理にはかなっていた。だからこそ、浩之は技を外すことができたのだ。

 だが、これは思うほど簡単なものではない。

 まず、腕のしびれる点を、確実に押すことができるかどうかという問題がある。その力も、弱ければ十分に腕から力を抜くことができなかったろう。

 そこは、一応鍛えていた浩之の握力と、修治に全強制的に身体に教え込まれた結果、うまくいった。浩之をつかんでいたからこそ、英輔の腕に動きがなかったのも幸いした。

 そして、さらに問題がある。腰をほぼ百八十度曲げられるほどの、柔軟性がなくてはならないのだ。

 しかも、ただ曲げればいいものではない。そこから、英輔の身体を跳ね飛ばすほどの力を引き出さなくてはいけないのだ。

 下手に硬ければ、自分で自分の首を絞める、まさに言葉通りのことになっていたかもしれないのだ。

 浩之も、元来の柔軟な身体と、修治と雄三に鍛えられた結果に生まれたそれがあっても、できるかどうか不安なレベルの話だった。

 だが、それを浩之は身体を英輔の下に潜り込ませるような格好にして、尻餅をつくような格好になって成功させた。だから、百八十度は言い過ぎだが、首の力と柔軟性がなければ、そんな冒険はできない。

 浩之は、その難しい技を成功させて、英輔を、組み技で跳ね返したのだ。

 タックルからのがぶり、普通は脱出不可能と言われる体勢から難なく、もちろん本人はかなり必死だったのだがそれは置いておいて、脱した。

 英輔は、浩之の、実力だけではなく、組み技系の格闘家としての実力も見せつけられる結果となったのだ。

 浩之は、修治の話を思い出していた。

『格闘家ってのは、猜疑心が強いからな。特に、見たことのない技ってのを見ると、他にも自分の知らない技を持っているんじゃないか、て警戒するわけだ。だから、知らない技ってのは、かからなくても、効果があるわけだな』

 もちろん、返し技なので、どこまで効果があるのかわからないが、それでも、英輔が自由に組み技を使うのを、少しでも阻止できるようになったのでは、と思えた。

 見たことのない技を、修治も雄三も、おしげもなく浩之に教えていた。そして使い方に関しては、つまり使うなとか見せるなとか、そういうことにはまったく頓着しなかった。

 おそらく、本当に隠したい技は、浩之などには教えていないのだろうが、それにしても格闘家として、武術家としても、大胆なものである。

 だが、浩之はそれを何故か薄々気付いていた。

 技は、効果的に使うべきなのだ。見たことのない技が相手に与える影響は、それを解析される前には、技がかかりやすくなるというものだけではない。

 解析された後、それに意識がまわって、他の技にかかってしまうのだ。

 この返し技の名前は、「二枚巻き貝」。対の返し技を持つ、武原流では、何でもない返し技だった。

 そう、この返し技は、対を持つ。片方の「下平貝開け」を、浩之は使ったのだが、それに対抗しようとして、相手が身体を下に落とせば、次はもう片方の「上巻き貝開け」がかかりやすくなるのだ。

 技は、それ単体であるものではない。それを浩之は耳が痛くなるほど言われた。このように対の技が、または三枝、四枝の技が、武原流には多い。

 技一つなら、それに対抗できる動きで終わりだが、それ以外の技が入れば、それだけに気を取られるわけにはいかない。

 浩之は、それを意識せずに使っているが、その考え方こそが、武原流の、奥義の一つだとは、少しも気付いてはいなかった。

 意識せずとも、浩之の才能は、それを探り当て、使うのだから。

 

続く

 

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