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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(157)

 

 もう一つぐらい、度肝を抜いてやりたいところなんだが……

 浩之は、距離を取って様子を見ながら、少し無謀なことを考えていた。

 抜け技が一つ決まったぐらいで、英輔との実力差を消せるものを英輔の中に残せたとは思えない。この布石があるからこそ、浩之は英輔に首を掴まれることを気にせず攻めることができるのは確かだが、決定打というにはまだ弱い。

 だが、浩之だってそんなに沢山技を知っているわけではなかった。もしそうなら、最初からぶっつけ本番で相手の技を真似てみたりしない。

 少ない技を、効率よく相手にたたき込まなければならないのだ。もちろん、今日はこれで試合が終わるのだし、出し惜しみする必要はないのだが、修治から教えてもらった特殊な技は、もう片手で数えるほどしか残っていないし、それが使える状況にもないので、どうしようもない。

 さて、ここから、どうしたもんか。

 テンションは、確実にあがっている。この調子ならば、二ラウンドはもっといいところまでいけそうだが、そのためにも、おそらくは残り時間少ないこの一ラウンドを、有効に活用しなければならない。

 ……うかつに、攻めてみるか?

 打撃と組み技には、大きな違いがある。それは、打撃は決まっても倒せないことがあるのと同様、組み技には、中途半端な技には威力がないということだ。

 組み技は、決まってしまえば試合が決まるものが多い。しかし、決まらなければ、まったく意味のないものも多い。

 反対に、打撃は、当たればダメージが残るのだ。例えその一撃で倒せなくても、次に期待できる。少なくとも、ダメージの蓄積があるからだ。

 つまり、今なら、浩之はうかつに攻めても悪くはないということにつながる。

 英輔とて、浩之にそう簡単に組み技を完全に決めることはできまい。反対に、ただ当てるだけの打撃を、浩之は打つことができる。

 事実、英輔は今までの試合で、何度も強引に相手の打撃を受けながら中に入るのを見せた。そういう手を、手段の一つとしているのは明らかだった。

 だったら、強引に攻めさせてみるというのもありなのだ。浩之自身は、英輔に攻めさせるために、先に手を出すに過ぎない。

 捕まっても、簡単に倒される気はないし、倒されても、そう簡単に完全に技を決められるつもりもない。

 そして、少しだけ耐えることができれば、一ラウンドは終わる。連打が瞬間で済む打撃と、時間を必要とする組み技では、ダメージの総量が短い時間では違ってくる。

 唯一怖いのは投げ技だが、しかし、これは注意していれば、十分に受け身が取れるものだ。道場では、硬い床の上に叩き付けられることも多い。そういうときの受け身を、浩之はある程度身につけているし、何より、マットは道場の床よりは柔らかい。

 決断すると、浩之は早かった。迷っていれば、一ラウンドが終わってしまう。せっかく状況的に攻めやすいときを、逃す手はなかった。

 まあ、それでも組み技を狙っていると見せかけないとな。

 英輔は、がぶりを警戒はしないだろう。その後でも十分対処できることを英輔は実証したのだから、もう一度自分がそれを狙うとは思うまい。

 だから、英輔の攻めは、低いタックルのはずだ。英輔が反対にがぶりを使う可能性はないでもないが、そこまで腰を落とすつもりのない浩之には、十分対処できるものだ。

 タックルをかける英輔の頭に、フックを打ち込もう。

 手打ちの、大して威力のないパンチになるだろうが、今はそれで十分だった。手打ちのパンチでも、後頭部に集中させれば、十分に効果があるだろう。

 浩之の予想では、三発、多くても四発ほどしか入れる暇はないだろうが、この短い時間で得れるものとしては上出来な部類のものだ。

 浩之は、腰を落とす。打撃のために、少し腕が引き気味になるのを、意識的に前に出す。それでも、ばれないぎりぎりまで腕を引く。

 英輔も腰を落としていた。同じく、タックルを狙っているのだろう。首を狙っても外される可能性が高いのはわかっているだろうが、それでもタックルを狙っているところを見ると、ならば他を狙えばいいと考えているのかもしれない。

 確かに、腕の関節を外されたら、今度は首を絞めることによって勝利を得ている英輔は、そういう部分の割り切りが早いのかもしれない。

 どちらにしろ、組み技を狙ってくれるのは、今の浩之には助かる話だった。

 もっとも、わかっていても、英輔は、この浩之の打撃、受けないわけにはいかない。しかし、受けたときこそ、また浩之の勝ちが一歩近づくのだ。勝負が決められなくとも、この数撃が、後になって響くことはあるのだから。

 組み技を決められてしまうリスクを、浩之だってちゃんと背負っているのだ。英輔は、そのリスクを見て、そこを狙うのは当然のこと。

 予定調和の攻防だ。だが、この予定は、少しばかり浩之に有利だ。

 一ラウンドの残り時間が少ないのに、せき立てられるように二人は距離を縮めた。

 英輔の腰は、落ちたままだった。浩之は、その落ちた頭めがけて、右のフックを放とうと、腕を一瞬引いて、打ち出した。

 英輔の身体が、前進を止めてその浩之の右拳を避ける。しかし、これぐらいのことは、浩之は承知していた。次に英輔はやはり前にでるしかないのをわかっていたのだ。そこを、もう一度叩けば、必ず当たる。

 パアンッ!

 打撃音、しかもかなり芯の入った打撃音が、体育館に響いた。

 英輔はそのまま浩之の下に滑り込み、反対に、顔面に打撃を受けて、のぞけったのは、浩之の方だった。

 何がっ?!

 混乱する浩之の脚を、英輔は掴んでいた。そして、前に出るのではなく、浩之の脚をかかえたまま、前進を止めて、後ろに下がりながら、浩之の身体を持ち上げていた。

 英輔のタックルを受けた後ろへの衝撃と、脚を前に引かれた勢いで、浩之の身体が、持たれた脚を支点にものの見事に回転する。英輔は、その勢いを加速させるように、膝をつきながら、浩之をマットの上に叩き付けた。

 ズダンッ!

 今度はかなり強い力でマットの上に浩之は叩き付けられた。しかも、背中から、頭の順に叩き付けられる、一番やっかいな落ち方だった。

 とっさにあごを引いて肩で受け身を取った浩之だが、ダメージを完全に逃がせたとは言い難かった。その前に受けた顔面への一打は、KOこそ免れたものの、かなりのダメージを浩之に入れていた。

 浩之をあっさり倒しながらも、英輔は上にのしかかってこなかった。浩之が、顔面に打撃を受けながらも、そして投げられ、受け身を完全に取れなくとも、ちゃんとガードポジションを取ったのもある。

 いや、そもそも、英輔の行った投げは、すでにその格好から、ガードポジションとなっている。次の寝技に持って行くための技ではないのだ。

 単に、英輔は少しでも浩之にダメージを与えておきたかっただけなのだ。その選択肢として、後に続かない投げを選択したのだ。

「待てっ!」

 審判の声がかかるのを、すでにわかっていたように、英輔は立ってもとの位置に戻っていた。

 浩之は起きあがりながら、唇をかみしめていた。

 ラウンドの終わりを意識したのは、自分だけではないことに気付かなかったことと、そして、相手の思惑に、まんまとひっかかってしまった自分のふがいなさに悔しさを覚えて。

 

続く

 

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