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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(159)

 

「レディー、ファイトッ!」

 浩之は、油断無く英輔をにらみつけながら、構えも取らずに距離を取った。英輔がすぐに攻めてくるとも思えなかったが、警戒しておくに越したことはなかった。

 かなり広い距離を取ってから、しかし、浩之はやはり構えずに、何かを思案しているようだった。

「何やってるのよ、試合始まってるのよ」

 攻める気どころか、戦う気さえないような浩之の様子に、綾香はいらだった声をあげていた。今の綾香の姿は、どこかいつもと違うと思いながら、葵は綾香を横目で見ていた。

 綾香が浩之に文句をつけるのは、今に始まったことではないので、葵もさしては気にしなかった。

 しかし、綾香はけっこう本気で怒っていた。

 浩之が、何か考えてその行為をやっているとしても、綾香は面白くなかったのだ。

 浩之は、かなりよく戦っていると思う。浩之は格闘技を習いだして、まだほんの二ヶ月少しで、物心ついたときから格闘技に触れていただろう寺町や英輔と互角に渡り合うのだ。

 めきめきと自分の教える人間が強くなっていくのは、見ていて気持ちいい。今までに感じたことのない充実感が綾香にもあった。

 自分の好きな男が、強くなっていくのは、快感だった。それが、例え最終的に、自分を超えるための過程だと知っていても。

 綾香は、浩之が自分を超えられると思っていないし、浩之が例え超える力を得たとしても、それでも、綾香は勝つだろうから、気にもならなかった。

 しかし、それでも、綾香は浩之にある程度助言をしていた。それを何とか実用まで持っていく力を浩之は持っていたが、結局、それが決定打にはなってくれなかった。

 有り体に言えば、綾香はいらだっていたのだ。

 綾香は、自分の才能を信じている。強いことをわかっている。何に対してもそうだが、特にそれは格闘技にはより顕著に表れている。

 その綾香の助言を持ってしても、浩之を有利にすることはできても、完全に勝たせることができない。それは、確かに綾香の中でわだかまっていた。

 無意味な独占欲なのは、綾香も重々承知だが、しかし、わかっていても、感情というものはわきあがってくるのだ。

 自分の言う事を聞かない浩之に、いらだちを感じているのもそうであるが、自分の助言が最終的な勝利への鍵にならない以上、強くは言えない。

 だから、綾香は珍しく荒れているのだ。

 何を浩之がやろうとしているのか、わかっていても、そんな無駄なことを、という気持ちがないわけではなかった。綾香には、まったく必要のないものとは言わないまでも、そこまで危険を冒す必要のないものだからだ。

 明確な殺気ではないのだが、そんな綾香の不機嫌さは、浩之にはよく伝わっていた。背中を向けていても、見ているようにわかるぐらいだった。

 しかし、浩之は浩之で必死なのだ。綾香の助言は、どこも間違っていない。実力で劣る浩之が勝つために、実に効果的な助言をしてくれる。

 だが、それでも、まだ勝てない。相手と戦うたびに、浩之はそう思うのだった。事実、それだけでは、押し切れない。

 綾香は、リスクの少ない、確実な方法を教えてくれる。綾香自身に自覚があるのかわからないが、それは浩之の身を案じているのは確かだった。それには感謝している、しかし、感謝はしているが、それに従う訳にはいかないのだ。

 浩之の取る策戦は、何も「良い手」ではないのだ。

 無理なところを、色々なリスクを背負いながら、何とかつなげる、まさに綱渡りの策戦なのだ。だが、だからこそ、はまれば、その効果は高い。

 賢いやり方ではなくとも、リスクを背負ってでも、勝ちを狙うことが、今浩之の望んだ道だったのだ。

 綾香は、それは怒るだろう。せっかくリスクの一番少なく、かつ効果をあげられる方法を綾香が教えてくれたのに、浩之は賭けに出ているのだ。

 賭けに出て、そのリスクを背負うこと何度目だろうか。しかし、浩之はまだ立っているし、何より、戦意をまったく失っていない。

 当たり前だ、一ラウンドは、ほぼそれだけに時間を費やしたのだ。最後に、少し欲を出してあのざまだが、それまでは、むしろうまく行き過ぎるぐらいにうまく行った。

 がぶりを返されたことさえ、浩之の中では、策戦の一つでしかなかった。もちろん、返されなかったらそれが一番いいのだが、返されたものは仕方ない、それを有効に活用するだけだった。

 そうなると、最後に受けたダメージさえ、いい方向に動いているような気がしてくるから、不思議なものだ。

 もう、浩之は腰を落としたりしなかった。

 自然体のまま、右拳を引き、左拳を前に軽く突き出し、左半身の構えを取った。

 同じようでいて、しかし、個人個人で微妙な差の出る、スタンダードな構えだった。葵や綾香の構えによく似ているが、やはり、それは浩之の構えだった。

 英輔が、一瞬表情を硬くしたが、それは、すぐにどこか嬉しそうな笑みに変わっていった。

 確かに、一ラウンドの浩之は本気ではあった。しかし、自分の本当に出し切れる全ての本気ではなかったのは確かだ。

 浩之は、やはり打撃を中心に戦いを組み立てるのだ。組み技で戦うのは、あくまで考えがあってやっていたに過ぎない。

 英輔も、それでは満足できなかったのだろう。自分の方が有利な組み技ではなく、浩之が得意な打撃へ構えを変えたことを喜んでいるようにさえ見えた。

 構えを変えただけなのに、浩之の背中はじわりと熱くなって来ていた。身体が、今度こそ相手を打倒するのだと、まるで浩之をせかしているようだった。

 身体に走る緊張が何とも心地よかった。これから強い相手と戦えるのが、喜ばしいことだと、身体は思っているようだった。

 よし、うまく行っている。

 一ラウンドに、わざわざ自分を不利な状況で戦った効果があった。英輔が、見ていた通り、強い選手であったのも、それを加速した。

 浩之のテンションは、確実に上がってきていた。

 我ながら、不器用な方法だ、と浩之も思っていた。浩之はわざわざ、相手が得意とする方面で相手と戦い、相手の強さを感じたかったのだ。

 中谷と戦っていても、寺町と戦っていても、いつもの浩之からは想像できないほど、浩之は力を引き出された。

 まさに、引き出された、というのが正しいものだ。それが、直に浩之の実力とは思えない。相手に引きずられるように、浩之は強くなったし、打たれても打たれても、まだ立てた。

 今、それに少しずつ近づいていく自分を感じた。

 三ラウンドまで来ないと来れなかったところに、二ラウンド開始で来ているのを、浩之は自覚できた。

 よし、これなら、戦える。例え、相手が自分よりも実力で勝っていても、このテンションなら、戦って、勝つことができる。

 浩之は、やはり賭けに勝った。それは、最終的な勝ちを、かなり浩之に近づける、と浩之は思っていた。

 事実、浩之の身体は、何も恐れるものがないように、英輔に向かって動き出していた。

 

続く

 

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