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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(162)

 

 浩之は、英輔に攻められないように警戒しながら、慎重に立ち上がった。

 英輔自身から寝て組んだ状態を回避してくれたのは、浩之にとっては幸いだった。

 ガードポジションを取り、そこまで不利ではない状況ではあったものの、やはり組み技オンリーで英輔と相対峙するのは骨が折れる。

 それに、貴重な時間を、無駄に浪費するわけにはいかないのだ。正直、判定でも勝っているとは思えない。時間稼ぎされることが、実は今一番嫌なことなのだ。

 英輔の性格上、それがあるとは思えないのだが、警戒しておくに越したことはなかった。何せ、実力は英輔の方が上なのだ。時間稼ぎをやられたら、浩之が英輔を捕まえきれるとは思えなかった。

 そこは、英輔の闘志あふれる性格は、浩之にプラスに働いている。英輔が攻めてこなければ、浩之にはつけいる隙などなかっただろうから。

 英輔が攻めてくれるからこそ、まだつけいる隙というものが生まれるのだ。実力的に上の相手の攻撃を捌かないといけないというリスクはあるが、そのせいで勝ち目が見えているのも間違いのない話だ。

 しかし、いかに英輔が攻めてくれても、浩之には、今有効な策がなかった。

 本当にそのチャンスがないのか、浩之の身体は反応してくれない。それどころか、英輔の方に攻め込まれている始末だ。

 警戒していればさばけたであろうローキックを受けてしまったのはきつい。ダメージはもうほとんど抜けているが、それはじっとしているからだ。動けば、どうしても脚の動きは完調のときよりは鈍るだろう。

 反対に、浩之はまだ有効打を入れていない。一応、腹に何発か入れてはいるが、全力というにはほど遠い威力であったし、鍛え上げられた英輔の腹筋に、簡単に効くとは思えない。

 ボディーブローというものは、後から効き出すものだが、効果を及ぼすほどのダメージを入れられたかは微妙な線だった。

 反対に、ボディーに一発受けてしまうていたらく。綾香ではないが、油断していたとしか思えない。

 ……まあ、油断してるわけじゃないんだがな。

 油断なものか。浩之は、今でき最大の意識で、戦っている。英輔は、その浩之の必死よりも、先を攻撃して来たに過ぎない。

 二度目はやられるつもりはないが、一度受けたダメージはすぐには消えない。そして、その一度を成功させる英輔の実力は、やはり浩之とは比べものにならないのだ。

 もっとも、ダメージという点では、寺町戦と比べれば微々たるものだ。二ラウンド目には、お互いボロボロになっていた記憶がある。

 打撃なら、打ち合えば勝てるのでは? と浩之は考えていた。

 寺町の打撃の実力は本物で、それと浩之が打ち合えば、負けは確実だ。実際、一度目は負けている。

 しかし、反対に言えば、浩之の方が打撃がうまいのなら、英輔と打ち合えば、浩之が勝てるということになる。

 問題は、英輔が打ち合いに応じるかどうかだ。

 あくまで、英輔はカウンターだの、意表をついた一撃など、単発で打撃を打っている。殴り合いに、応じる気はないだろうし、殴り合いが不利なことを、他の誰でもない、英輔自身がよくわかっているはずだ。

 殴り合いの距離になれば、一発殴られるかわりに、英輔はつかんでしまえばいいのだ。打撃を放った後というのは、どうしても組み技相手には不利になる。そこを掴めば、英輔にとって相手を投げることなど、そう難しいことではないだろう。

 それでも、この押された状況を打破するには、打ち合いが必要なのだ。

 そう、ずっと付き合ってくれなくともいいのだ。ほんの数発、打ち合いになれば、浩之もこの状況を打破すだけの方法は持っていた。

 対等な条件での、打ち合いか……

 そんなことに英輔が付き合うとは思えない。何故なら不利だからだ。だったら、そういう状況に持っていくしか、手はない。

 やってくれないのなら、やらせるだけだ。

 浩之は、努めて平静を装って、今のうちに体力を回復させようとしているように、距離を取って動きを止めた。

 英輔は、それに合わせて、距離を縮めている。あまり距離を離して、浩之に精神的な休養までさせないつもりだ。すぐに攻めてくるという距離ならば、どうしても精神的には疲れが来る。

 しかし、そんなことをする間でもなく、浩之はかなり精神を削っていた。試合中に、頭をフル回転させて、何とか一矢報いる方法を考えているのだ。休憩になるわけがない。

 ゆっくりと後ろに下がりながら距離を取り、何か手がないかと頭をまわす浩之の中に、ふと、思い浮かんだものがあった。

 それは、今の自分の行動だった。

 わずかなヒントであったが、その一つがあれば、浩之の頭は十分に働く。すぐに、それを使える状況を考え出す。

 リスクが高いのは、いつものことだった。リスク無し、しかも有効な手など、あったら最初から使っている。

 勝てない状況を、リスクを置いて何とか手を出せる状況にしているのだ。この際、リスクに関しては、無視することにした。

 策を練るのには、数秒で事足りた。問題は、審判に見とがめられずにそこまで持って行く方法だった。

 俺はあんまり演技はうまくないんだけどなあ。

 心の中で、独り言を言うと、浩之は守りの構えを解いた。

 左半身で、腕は引き気味、典型的な打撃の攻撃スタイルだ。今は、むしろ何かしていると気取られることの方が危険であるのだ。オーソドックスに構えるのは当然だった。

 しかし、英輔までオーソドックスに攻撃してくるという保証はなかった。むしろ、何か仕掛けてくるのでは、と思う気持ちの方が大きい。

 ……策がうまくいけば、同じことを相手に考えさせるんだけどな。

 まさに、浩之の策が決まったときの効果を、そのまま浩之は受けているのだ。相手の出方がわからないという恐怖が、動きを鈍くするのだ。

 しかし、今動きを鈍くするわけにはいかない。守るだけならばそれでもいいかもしれないが、今は必要な状況を作るための、攻めが必要なのだ。

 手を出す必要はないとは言え、それ以上に精神が削られる行為だ。相手を、自分の思うように動かそうとするのだ。精神が削られるとかどうこうより、うまくいくとは、正直思えない。

 しかし、それをうまく行かせるからこそ、浩之に勝機は見えるのだ。

 浩之は、意を決して、一歩踏み出した。

 

続く

 

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