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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(165)

 

 浩之は、英輔が今の状況を理解するのを、確かに待っていた。

 混乱したままでもいい、しかし、それでは、この状況を苦心して作った意味がなくなってしまう。一応は、何をされたのかぐらいは、英輔に理解してもらって、冷静さを取り戻してもらわなくてはならなかった。

 でなければ、英輔は次の攻撃に反応してくれないだろう。

 しかし、本当の意味で理解されると、浩之としても困る。所詮、その策は、英輔がその場から動けば、意味のなくなるような、稚拙な策だ。

 だが、浩之にも確信があった。まだ、英輔は今の状況を、完全には理解できていない。浩之が何をして逃げたのかまでは理解できても、何のためにそんなことをしたまではか、理解できていないだろう。

 3・・・

 浩之は、心の中だけでカウントを数えだした。

 無駄な攻撃と、無駄な回避。しかし、もちろんそこには意味がある。

 全てを英輔が理解するまで、おそらくは後数秒とかからないだろう。それまでに、浩之は身体に酸素を送り込み、少しでも疲労を減らす。

 二ラウンドの攻防と、さっきの無理な回避で、思ったよりも身体は疲労していた。それを、少しでも回復させておかねばならない。

 2・・・

 次の攻防で、浩之は勝負を決めるつもりでいた。そのための策だ。

 身体の方は完全とはとても言えなかったが、浩之もあせっていた。完全に理解されて、そこから逃げられたらアウト、待つのにも、精神を削られる。

 1・・・

 脚の動くまでのその一秒が、何よりも長く感じる瞬間だった。

 英輔が浩之が何をやったのか、十分理解できる時間を与えて、かつ、何をしようとしているのか理解させない間。その間に攻撃できれば、浩之のそれは、必ず当たる。

 倒す、この一手で。

 0!

 浩之の右足が、瞬時にマットの上を蹴る。脚の力は、そのまま前進するための推進力となり、浩之の細い、引き締まった身体を英輔に向かって打ち出した。

 完全に打撃のみを狙ったその飛び込みに、英輔は、むしろ待ってましたとばかりに浩之と同じように前に出ていた。

 打撃を狙っただけの前進など、英輔にとってはご馳走みたいなものだ。その打撃をかいくぐって、いや、一撃受けたっていい、クリーンヒットさえやられなければ、そのために鍛えた英輔の身体は倒れない、そのまま脚を掴んでしまえば、それで勝敗は決する。

 英輔の知識にない動きをしてくる浩之だが、それでも倒れた後の、寝技に関しては英輔の方が何倍も知識も経験もある。倒して上に乗ってしまえば、どんな手だって使えるのだ。

 英輔は、浩之の攻撃を読んだ。浩之は、何故かこんなときなのに、右の、フックとアッパーの間に繰り出されるパンチ、スマッシュを打とうとしているように英輔には読めた。

 悪くない手ではある。その斜めに入る打撃は、飛び込んでくる組み技系を相手にするのに選択したものとしては、いい打撃である。カバーする間が広いのだ。もし、左下に入り込もうとすれば、腰を引いてフックか、打ち下ろしに変化させることもできるだろう。

 しかし、打撃は、懐に飛び込まれると威力を失う。一発を、英輔は覚悟した。そうした時点で、もう浩之のスマッシュは何の怖さもない。

 浩之の、その右拳に向かって飛び込む。そうやってヒットポイントをずらせば、いかに打撃のみを狙ったそれだろうと、英輔を一撃で戦闘力を削ぐことはできない。そして、掴んでしまえば、打撃のみを狙った相手を倒すのなど、英輔にとっては容易だった。

 英輔から見て、左下に潜り込もう、とした瞬間、英輔の眼に、それは写った。

 それは、赤いラインだった。

 単なるラインだが、しかし、英輔の身体は、それに敏感に反応し、左下に入り込むことができなかった。

 相手の下に潜り込むのには、要するに相手の横を取るような格好になるのが一般的だ。勢いを殺さないでもいいし、片方に集中したことによる恩恵を、より受けやすくなる。

 しかし、英輔から見て左には、ラインがあった。エクストリームの、試合場の内と外をわけるラインだ。そこを自分から出れば、注意は免れないだろう。

 しかし、何よりも、英輔の柔道家としての経験が、それを躊躇させた。

 浩之と英輔は、いつの間にか、試合場の端までよっていたのだ。そのせいで、普通なら攻めることのできる空間が、なくなっていた。

 しかし、英輔の前進は止まらない。浩之の前進も止まらない。

 とっさに、英輔は打撃に切り替えていた。不利な場所に向かって飛び込む不利を、よくわかっていたのだ。それならば、打撃で距離を取った方がましと判断したのだ。

 バシッ!!

 浩之のスマッシュを、英輔は両手ではじく。十分に勢いの乗った浩之のスマッシュを、片手でさばけるとは思えなかったのだ。

 しかし、そのおかげで、英輔はスマッシュを簡単にさばくことに成功し、すぐに右ストレートを繰り出す。

 パンッ、と浩之も、英輔の右ストレートを手で受け流す。かなり近い距離だが、その動きにはよどみがない。やはり、単に打撃のみでは、英輔よりも浩之の方に分があるようだった。

 そんなことは、英輔もわかっていた。ならば、できるだけ速く距離と取るのみだった。右ストレートで距離を取れなかった英輔は、すぐに左フックで浩之に追い打ちをかける。フックは横に振られるので、それを避けるためには、浩之は一歩引くか、スウェイするしか手はないはずだ。その間に、距離を取ればいい。

 英輔の考えは、冴えていたし、その瞬間瞬間で、十分に効果のある方法を選んでいた。問題があったのは、英輔の方にではなかった。

 それは、浩之の力の問題だった。

 パンッ

 軽い音と共に、英輔のフックが、浩之の頭を上を通過していた。そこは、普通なら攻撃するような高さではなかった。事実、英輔はそこを狙っていない。

 浩之の、狙いすました右アッパーが、英輔のフックを、上にずらしたのだ。浩之自身も、少しだけ頭を落とし、そのフックをやり過ごす。

 打撃殺しのフックを、浩之はアッパーとして使い、英輔の打撃を殺したのだ。

 フックを上に跳ね飛ばされた形になった英輔のガードが、完全に開いた。

 英輔の眼が、驚愕で大きく開かれたのも、一瞬のことだった。

 ガコンッ!

 浩之の左ストレートが、英輔の顎を、完璧に捉えた。

 

続く

 

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