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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(167)

 

 たった四カウントで立ち上がった英輔は、足下がおぼついていなかった。

 顎へのストレート直撃だ。むしろ立って来られただけでも、凄いと言える。しかも、立って二、三秒も経てば、すでに足下はしっかりしていた。

「まだやれるかい?」

「はい」

 審判の質問にも、明瞭な返事を返す。少しでも時間を稼いで回復をはかったものの、それでも、驚くべき回復力だった。

 だが、浩之だって、それで気圧される訳にはいかない。

 そもそも、英輔の打たれ強さは、もう十分にわかっていたつもりだ。自分から打撃に当りに行くこともあるのだ。クリーンヒットとは言え、一瞬の間に身体を硬直させて、ダメージを最小限に抑えて来るぐらいのことはやってくるだろう。

 ただ、それでも、十分なダメージだ。

 立った、それは凄いが、ただ立っただけに終わる可能性は高い。いや、浩之としては、そうしなくてはいけないのだ。

 ダメージは、完全に英輔の方が多い。今攻撃せずに、いつ攻撃できるだろうか。

 審判は、英輔の状態を確かめて、驚きの表情を作った。審判の目から見ても、十分に試合の決まる打撃に見えたろう。

 綾香にはその一撃で決まるとは思えなかったのだから、英輔が立つのは何ら不思議なことではなかったのだが、しかし、いかに格闘技をしていても、一般の域を超えない人間には、決まったと思えた打撃だったのだ。

 審判は、英輔がまだ戦えることを確認して、手を交差させた。

「ファイトッ!」

 その声がかかると同時に、浩之は英輔に向かって走り込んでいた。ダメージは反応さえ鈍くする。打撃で攻めるのに、これほど有利なときはないのだ。

 パパンッ!

 浩之のワンツーが、英輔のガードの上で音を立てた。英輔は、うまくウレタンナックルで浩之のワンツーをガードしていたが、それは浩之の打撃をさばいて、攻撃するだけの力が、今の英輔にないと言っているようなものだった。

 ワンツーの後に、さらにミドルキックを織り交ぜるが、それを英輔は後ろに避けた。ステップもすり足もない、かなりせっぱ詰まった避け方だ。

 いける、浩之はそう思った。

 と同時に、胸になにやら、薄ら寒いものも感じた。こういう、自分が絶対有利というときに限って、逆転というものは、襲いかかってくるのだ。

 しかし、今の浩之は、その心の中に生まれた根も葉もない恐怖を、ねじ伏せるしかなかった。今を逃せば、有利な状況で向き合うことなどないのだ。実力的には、相手の方が上だ。ここで倒しておかねばならないのだ。浩之は今有利だが、後はないのだ。

 後ろに逃げる英輔を、浩之は前進して追う。後ろに逃げるなど、試合では愚の骨頂、それをするしか、英輔に手が残っていないのは、間違いなかった。

 ドスッ、と一発を狙う合間に入れたボディーが、英輔の脇腹につきささる。英輔の身体が、一瞬硬直したのを、浩之は見逃さなかった。

 浩之の手が、英輔の肩をつかむ。組むには、この瞬間しかなかった。

 今まで、この試合では、見せて来なかった。それは、近距離で繰り出すそれは、むしろ英輔に大きなチャンスを与えることになるからだった。

 だからこそ、今しかチャンスはなかった。

 英輔の肩を掴んで、浩之は、英輔の顔面に向かって、膝を突き上げていた。

 ズバンッ!

 英輔の顔が、後ろに跳ね飛ぶ。勢いを殺しきれずに、英輔の肩から、浩之の手が離れる。それほどの威力を持って、膝蹴りが英輔の顔面を打ち抜いた。

 十分な手応えだったが、浩之はそれが受けられたのを、瞬時に察していた。

 後ろに飛んだのは、浩之の膝蹴りの威力だけではなく、英輔自身が後ろに飛んだからだ。英輔は、顔面の前で手を組んで、ギリギリだが、浩之の渾身の膝蹴りを受けていた。

 だが、全部が全部受け流せた訳がない。逃げられたと言っても、不完全には浩之の膝蹴りは決まっていた。

 ダメージが完全に消えないうちに、膝蹴りだ。効かない訳がなかった。

 受け流すためにはじけた英輔の両手が、引きつけられていた。今の状況は、後退せねばならないはずなのに、英輔は踏みとどまって、腕を引いていた。

 組み技ではない。それは、打撃の構えだった。重心も高いし、何より、腕を引きすぎている。打撃の中でも、それは攻撃に特化した構えだった。

 ここで打撃?

 理屈はわかる。逆転するためには、一撃が必要だ。組み技のように、悠長に組んでいる暇などない。いや、それだけの動きに、耐えられない。もし組んで、少しでも膠着すれば、それは、英輔の負けをさしている。それほどにダメージは大きいはずだった。

 一番警戒しなくてはいけない場面に、浩之はさしかかっていた。

 これをさばけば、おそらくは、浩之は勝てる。この英輔という強敵に、勝てる。

 打撃戦なら、望むところだった。

 相手の打撃を落とす打撃が、かなり浩之には板についてきだしていた。英輔の打撃は、単調で、カウンターを狙い易い。打撃専門ではない弊害が、こういうところに出てきている。

 そして、カウンターを狙われるだけなら、恐れることはない。ダメージを受けて遅くなった英輔のカウンターなら、避けることも可能だ。

 いや、不可能でも、今は攻めるしかない。ようは、カウンターを合わせられないように、素早い、そして強い打撃を打てるかどうかだ。

 カウンターは高等技術。ダメージを負って判断力の鈍るときにできる技ではない。

 そう思っているうちに、英輔の身体が前に出ていた。それは、まっすぐに浩之に向かって走り込んでくる。そこにフェイントなどは入る余地がなかった。

 そのまま、英輔は右拳を、突き出していた。まさにはかったような、浩之にとってみれば、タイミングのよい打撃だった。

 打撃をそれに合わせるなど、今の浩之には容易い話だった。右フックでそのストレートをはじいて、今度こそ、決める。一発ではなく、今度はコンビネーションで、キックも入れる。

 パンッ

 軽い打撃音と共に、英輔の腕がはじかれていた。完璧な浩之の打撃をはじくフックが、英輔の、渾身の一撃をはじいていた。

 間違いない、これが本命だ。

 はじいた感触が、浩之にそれを教えていた。

 だが、それでも、英輔の前進が、止まらなかった。

「っ!!」

 浩之が反応したときは、すでに遅かった。

 英輔の身体が、浩之の懐に、倒れ込むように入り込んでいた。

 

続く

 

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