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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(168)

 

 英輔の身体が、倒れ込むように浩之の内側に入ってくるのを、浩之は阻止できなかった。

 観客から見れば、おそらくは、何の抵抗もなく英輔が懐に入ったように見えたろう。事実、英輔の身体は、何の抵抗もされなかった。

 もちろん、浩之は抵抗したのだ。英輔の打撃を、ちゃんとフックではじいて、そこに一撃を入れるつもりだった。むしろ、今度こそ決めるつもりであった。

 だが、チャンスをものにしたのは、英輔の方であった。

 打撃をはじくフックは、かなり浩之の身についていた。テンションのかなりあがっている今、技のキレは十分に実用可能な域まで達していた。

 英輔の一撃を、浩之は綺麗にはじいた。

 だが、英輔は、最初からその打撃を、捨てていたのだ。それは、浩之に対応させるためだけの打撃であり、拳ではじいたぐらいでは、身体ごと前に出る前進を止められるものではない。

 今までは、簡単に懐に入られなかった浩之が、英輔のダメージの方が大きいのに、あっさりと懐に入られたのは、油断していたからだ。

 浩之の油断は、英輔の構えから生まれた。だから、油断ではなく、英輔の技とも言える。

 タックルは、浩之にはそう簡単には決まらない。それなりの練習と、うらやましいほどの才能を持った浩之は、ちゃんとタックルに対応する方法をわかっている。来るとわかっているタックルが、決まることなどない。

 構えを取った時点で、それがタックルであるかどうかは、すぐにばれてしまうのだ。

 だったら、構えでタックルとわからないようにすればいいものだが、そうすれば、今度は技の入りが遅くなる。浩之のスピードなら、むしろそれは反撃の絶好のチャンスになる。

 それは浩之から英輔に対しても、ついでに言うなら、別に他の選手同士でも言えることだ。構えは、意味があるからこその構えなのだ。

 だから、英輔が打撃の構えを取った以上、浩之は打撃に反応すればよいだけであった。そこから組み技に変化されたところで、十分対応できる、とふんでいた。

 英輔は、そこを突いたのだ。

 打撃は、今の浩之には、むしろ絶好の餌になる。その餌をちらつかせて、打撃をはじかせて、英輔自身は、そのまま前に出る。

 前に出ても、英輔は浩之を掴もうと考えなかったのだ。ただ、胸と胸がつくほどに接近するだけならば、打撃の構えだってできる。

 そして、英輔のはじかれた腕と、さっきまで打撃の構えを取っていた腕は、すぐに浩之の身体を捕まえていた。スピードはそんなに速くはなかったが、浩之は裏を突かれ、対応が遅れたために、今度こそ、英輔に完全に遅れを取った。

 胸をつけた懐に深く入った状態で、柔道家に身体を掴まれる、というものがどれほど危険なことか、考えるまでもなく、浩之の身体に戦慄が走っていた。

 反射的に、浩之は腰を落とそうとした。ふんばれば、投げというものはそうかかるものではない。身体のバランスを崩されるからこその投げだ。バランスさえ取っていれば、投げられるものではない。

 と同時に、腕に強く力を入れる。関節技に対応するためだ。引いても、押してもそちらに関節技をかけられるのだ。関節技の一番の対処方法は、そこから動かさないことだ。

 さらに、首を引っ込める。ないとは思うが、やはり危険なのは、絞め技だ。極まれば、耐えられるものではない。しかも、立ったままでは、浩之の知る回避方法は、ほとんど使えなくなる。

 その防御反応は、一瞬で済んだ。考えるよりも先に、反射で動くまでに短い練習でも、浩之の身体にそれは身についていた。

 守りに入れば、組み技はそう決まるものではない。相手が今まで常識はずれだったので、その法則はあまりあてにはならなかったが、実力が上でも、英輔相手なら、その法則は成り立つだろう。

 しかし、英輔とて、それを考えていないわけではなかった。

 対応されるのなら、その対応に合った技をしかけるまでの話だった。

 腕を動かなくすれば、反対に手をはじかれることもなくなり、余裕を持って相手を掴むことができる。

 ふんばりなど、それよりも下に入ってしまえば、どうにでもなるものだ。

 首などは、関係さえなかった。今の狙いは、そこではない。

 英輔の狙いは、ただ一つ。

 浩之に密着した英輔の身体が、一瞬でマットの上ギリギリにまで落ちていた。しかも、浩之の腕をつかんだ握力は、思う以上に強い。

 浩之の身体が、その勢いを殺しきれずに、前に重心が崩れる。それを、浩之は前に脚をついて逃れようとした。

 しかし、その場所には、すでに英輔の脚がのばされていた。

 必然的に、強い前進の力を脚で阻害された浩之は、それに脚を取られて、前に倒れる。ふんばるとか、そんなものは全然関係なかった。

 綺麗に、浩之の身体は、前に倒れるはずであった。それを阻害したのは、誰でもない、英輔本人だった。

 引っかかった脚から、前転するように入った力を、英輔は腕力と勢いを持って、そのまま前進の力に変える。

 綺麗な投げの、不自然な力は、一点に不自然な威力を生む。

 浩之の身体が、前につんのめるように倒れ、英輔の力によって、肩口から、マットの上に叩き付けられた。

 ドウッ、と倒れた音は、鈍かった。

 しかし、浩之の肩から鎖骨辺りに入った激痛は、まるで金属音のようにさえ浩之には感じられた。

「ッッッ!!」

 その激痛に、浩之は防御するのも忘れて、声にならない悲鳴をあげた。

 しかし、その激痛の中からも、浩之は何とか、たった一秒で自分を取り戻し、英輔の腕を振り切って、立ち上がりながら距離を取った。

 ズキンッ、と冗談にならないほどの痛みが、浩之の肩に走った。が、浩之は一瞬顔をゆがめただけで、そこを押さえることさえしなかった。

 痛みで我を忘れた一秒で、浩之は負けているはずだった。だが、そうでなかった意味を、距離を取って、さらにその痛みを何とか抑えてから、初めて理解した。

 技をかけたはずの英輔が、今頃のろのろと立ち上がっているところだった。腕をひきはがすときも、あまり抵抗がなかったので、どうしたのかと思ったのだが、英輔も、かなり無茶をしたようだった。

 あのダメージで、力まかせの投げ技は、かけた方にも大きな負担をかけたようだ。

 だが、浩之の背中にも、じっとりと脂汗が流れていた。今は我慢しているが、その肩の痛みは、尋常ではなかった。

 それは、英輔が、ダメージを受けて、ボロボロになりながらも、起死回生を狙った放った、危険度最高の柔道技、体落としによる痛みだ。

 痛みに気が遠くなりそうになりながらも、浩之は、立ち上がってくる英輔に、それを見せないように、背中には脂汗を流しながらも、英輔をにらみつけていた。

 その牙は、浩之の身体を、確実に噛みちぎった。

 

続く

 

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