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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(169)

 

 頭へのダメージと、肩へのダメージ、どちらがよりダメージが大きいかと聞かれれば、返答に困る内容だ。

 浩之は、それでも相手のダメージと自分のダメージを測ろうとしていた。

 もちろん、それすら意味のないことだというのも重々わかっている。どちらのダメージが大きかったとしても、浩之の右肩は、攻撃に使うことができないほどにダメージを受けているのだ。

 構えを取るだけでも、肩がズキズキと痛む。しかし、だからと言って、その構えを解くわけにはいかない。痛みから言って、鎖骨にヒビぐらい入っていてもおかしくないのだ。審判に見とがめられれば、レフェリーストップということもありえる。

 英輔だって、いつレフェリーストップで止められてもおかしくないダメージがはるはずだが、しかし、今止められていない以上、こちらが一方的に不利なのだ。

 体落としがある、とわかっていたくせに、それを受けてしまったことに、浩之は苦虫をかみつぶしたような顔をしたが、痛みでゆがんだ顔には、さしたる変化は見受けられなかった。

 自分からわざと回転して、背中から落ちれば、ダメージなどない技なのだ。その後に、上を取られる可能性は捨てきれないが、ダメージの多い英輔相手になら、何とかなったかもしれない。

 しかし、体落としを受けてしまった今では、どちらが有利だとは、とても言えない。

 はっきりわかっているのは、浩之の右腕は、しばらくは使い物にならないだろうということだった。

 のろりと立ち上がった英輔の眼は、痛めたであろう浩之の右肩に注がれていた。左半身である以上、そうそうそこを攻撃されることはないだろうが、それでも、軽い打撃さえ今の浩之には必殺になりうることを、その眼は知っていると言っている。

 それでもすぐに襲いかかって来ないのは、もう隠せるわけもない、英輔自身のダメージが、英輔の脚を止めているからだ。

 数秒もすれば、無理をしてでも飛び込んでくるのは目に見えていた。浩之は、その間に、何か対策を練らなければならないのだ。

 ……駄目だ、思いつかない。

 痛みが思考を邪魔するというのもあるが、この状況を打破する方法の、そのとっかかりさえ出てこない。前からこんな状況を想定しているわけでもないし、策を色々巡らせるとは言え、浩之もやはり経験不足であるし。

 そもそも、経験とかでどうこうなるようなダメージですらないのだ。

 この状況を打破する方法、それは策でも何でもなく、ただ、がむしゃらに、攻めるだけではないのか?

 そこに行き着くまでにそんなに時間は要さなかった。

 というよりも、それ以外に方法などない。守って、今の状況を維持できるわけがない。幸い、英輔もダメージを受けている。自分だけが完全に不利というわけではないのだ。そこに光明を見つける以外、今の浩之には方法がなかった。

 動かせば、当然襲ってくるだろう右肩の痛みに、身体は躊躇する。

 痛いんだろうなあ、と思うと、心も身体も、その一歩をなかなか踏みだそうと思わない。

 それは、臆病とかそういうものではない。それすら、単なる無謀でしかないということも、冷静に考えればわかるからだ。

 だが、勝つためには、その一歩を、踏み出すしかない。

 ふいに、浩之の耳に、綾香の声が聞こえた。歓声の中でも、それを浩之が聞き間違えるわけがない。

「浩之、下がって!」

 幸か不幸か、自分ではなかなかつけられないその踏ん切りを、その声は切った。

 綾香がそういうということは、それがもっともリスクの少ない方法だった。だが、それは同時に、リターンをも捨てていることになる。

「リスクは……」

 誰にも聞こえないほど小さな声で、浩之はつぶやいていた。言葉は、ときとして、身体に力を生む。自己暗示にも似たそれを、浩之は吐き捨てるようにつぶやいた。

「恐くねえっ!」

 必殺の気合いが、浩之の中を駆けめぐる。

 ズキンッ!

 右肩に激痛が走る。しかし、同時に浩之は走った。その激痛さえも、単なる身体を動かすためのガソリンだとでも言うように。

 右は使えずとも、左の拳はある。脚もある。どれでも、英輔を倒すには十分な戦力だ。当たれば、勝てる。

 一直線に前に出る浩之の、英輔は腰を落として、腕を両方前に突き出して、迎え撃つ。完璧な守りの構えだった。つまりは、浩之の攻撃を捌いて、そして倒すつもりなのだ。

 フェイントも一切ない、直線の攻撃。それを行おうとしている時点で、もう浩之の頭の中に冷静な判断というものは残っていないようにさえ思えた。

 ジャブ、とは言っても、前進の力を乗せられた左拳が、英輔に向かって突き出された。それは、むしろストレートに近い。

 だが、英輔はそれを右腕ではじいていた。空を切るのではなく、受けられたことによって、浩之の左拳の軌道がそれる。

 しかし、浩之は、それすら気にしなかった。残っているものを、さらに攻撃に加えるだけだ。

 ザクリ、と肉を刺す音が聞こえてくるのではないかと思えるほどに、その激痛は酷かった。事実、浩之は刺されるような痛みを、肩に感じていた。しかし、それでもなお、浩之は、その痛めたはずの右肩を酷使して、右ストレートを放っていた。

 痛めた方を使うぐらいなら、他の部位を使うと、誰もが思うそのときに、浩之の身体は、意識とは違う方法を取っていた。

 勝つためには考えつくだろう、そして、だからと言って誰も実行できないからこそ、その有効性はあった。それを、浩之は実行したのだ。

 浩之が捨て身で引きずってきたと思った勝利のチャンス。起死回生の、必殺の一撃。相手の裏をかく、最後の策。

 ズバッ!

 それを、英輔は、右にかわすことで、浩之からチャンスを文字通り、もぎ取った。

 浩之の右ストレートが、英輔の脇を空を切った。英輔には、一片のダメージすら与えることができずに、その力を無駄に消費した。

 英輔は、浩之が右拳を使ってくるだろうこと、予測し、そして、それ一つにやまをはったのだ。でなければ、ダメージも大きい英輔が、そこまで鮮やかに避けられるわけがない。

 ここに来て、英輔は、浩之の裏を、見事に読んだ。

 残った英輔の左腕が、浩之の脇から、獲物を牙で咬み捕まえるかのように、滑り込んでいた。

 

続く

 

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