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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(170)

 

 ズバンッ!

 英輔が浩之の首を捕まえたその瞬間、大きな衝撃音が響いた。

 英輔の身体と、浩之の身体が、まるで間に爆発物でもあったのかのように、大きく跳ね飛ばされる。浩之は背中から落ち、頭をしたたかにマットにたたきつけ、英輔もこらえることなどできずに、しりもちをつき、そのまま倒れる。

 二、三秒ほど、両方とも倒れたまま、動かなかった。浩之の方は、おそらく襲ってくる激痛で身体が痙攣しているようではあったが、しかし、立ち上がることはない。

 と、遅れるように体育館の中に歓声が沸いた。

 何が起こったのか、観客達にはわからなかったが、少なくとも、何かしらの技が決まったのは確かだと思ったのだ。

 だが、それも両方倒れて、しかも両方が立ち上がらないのでは、どちらが仕掛けたのか、どちらが受けたのか、さっぱりわからない。

「あのバカ……」

 綾香は、ヤクザでも道を空けそうな顔で、悪態をついた。浩之が何をやったのかも、もちろんちゃんと見えていた。しかし、それとこれとは別にして、綾香には、浩之には悪いが、色々見えすぎていた。

 自分の下がってという言葉で、前に出た浩之に、何の弁解があるだろうか。

 確かに、それは綾香の失態だ。言わなければ、浩之も前に出なかったかもしれないのだ。それで自分を責める綾香ではないが、後からその倍は浩之を責めるつもりで、試合場で倒れ込んでいる浩之を睨む。

 どちらがやられたのかもわからない状況であり、見えていたとしても、決して喜ばしい結果ではない状況なのだが、それでも、綾香と違い、葵の目は輝いていた。

「凄い……」

 葵の口から出たのは、素直な賞賛の言葉だった。

 浩之も、英輔も凄かった。だからこそ、今こんな結果になっているのだ。浩之には悪いが、その攻防のすばらしさに、葵は応援を忘れた。

「あんなの、特攻じゃない」

「で、でも、凄いと思います。ただがむしゃらに攻めただけじゃないですし」

 綾香の吐き捨てるような言葉にも、葵はひるんだものの、二人を擁護した。

 純粋に、葵の中の格闘家の血が、今の攻防を見て騒ぐのだ。確かに、賢い手ではないのかもしれないが、それでも、強い手だ。

 審判の合図もなく、そのまま二人はのろのろと立ち上がろうとしていた。普通なら、止めてもよさそうなものだが、審判にも何が起こったのか理解できなかったのだろう。

 体育館の中でも、何があったのか理解したのは数人、そして、綾香以外のその誰もが、目を輝かせて試合を見ていた。

 浩之は、とうとうこらえきれなくなって、肩を押さえている。英輔の方も、ダメージが限界を超えているのだろう、足下がおぼつかない。

 どっちがレフェリーストップを受けてもおかしくない状況ではあるが、しかし、どちらも何もあきらめた様子はなかった。現に、二人とも、立ち上がってきた。

 浩之は、痛めた右を使って、英輔を倒そうとした。通常は使うとは思えない方向を使っての攻撃は、予想できないはずであった。

 しかし、英輔は、反対にそれを読んだ。やってこない状況だからこそ、浩之がそれをやってくることを予測できたのだ。

 しかし、もし予測が違えば、英輔とて危険だったはずだ。その決断力は、浩之のリスクを背負う決断力と比べても、何ら遜色はない。

 英輔は、浩之の攻撃を予測して、それを避け、自分は浩之の首をロックして、決めにかかった。立ったままで肩固めに入ろうとしたのだ。右肩を痛めている浩之に極まれば、耐えられるものではない、選ぶとすれば、最高の技だった。

 浩之は、すでに脇の下に腕を入れられていて、逃げることができなかった。技のかかりが浅くとも、今の浩之の肩では、それは地獄のような痛みとなる。

 かわすしか手のない状況で、逃げることができなくされたのだ。

 普通なら、技のかかりを甘くする手を取っていただろう。普通なら、浩之もそうする。しかし、考えるよりも早く、浩之の身体は違う手段を取っていた。

 捕まった部分を支点にして、回転したのだ。

 当然、背中が下を向くことになり、立っていることもできなくなる。しかし、立っている必要はないのだ。

 回転しながら、浩之はマットを蹴って飛んでいた。

 英輔につかまれた肩と首を支点にして、丁度サッカーのオーバーヘッドキックのような要領で、英輔の頭を思い切り蹴りこんだのだ。

 これには、英輔もさすがに予測していなかったのだろう、とっさに、浩之から腕を放して、ガードを取っていた。しかし、跳び蹴りの威力が殺しきれるわけもなく、後ろに跳ね飛んだのだ。

 しかし、浩之も、無理な体勢の動きと打撃が肩に来る衝撃は物凄く酷く、さらに受け身も取れずにマットの上に落ちて、余計に酷いことになっていた。

 そして、お互いに、ダメージと痛みで、しばらく動きが取れなかったのだ。

 だが、両方が両方とも、最後は最前の手を取ったのだ。

 浩之は、あのまま肩固めに入っていれば、ギブアップかレフェリーストップで確実に負けていただろうし。

 英輔も、ガードをしなければ、浩之の跳び蹴りの直撃を受けて、KOされていただろう。

 お互いに余裕がないくせに、攻撃を止めて回復をはかろうとも思わない辺りは、正しい選択なのかどうかはわからないが、少なくとも、二人とも、持てる最大の力を使っているのだ。

 これで、血が騒がない格闘家、いや、格闘バカがいるものだろうか。

 不機嫌な綾香でさえ、心の中で燃え上がる血を感じているのだ。素直な葵が感動しても、何もおかしなことはない。

 立ち上がった二人は、しかし、攻撃にはうつらない。いや、うつれないのだ。立ち上がったこと自体が、すでに全力だったのだ。二人とも、ダメージがある程度抜けるまでは、動くこともままならないだろう。

 両方が同じ状態なのだから、カウントされるまで寝ていればいいものを、二人ともそんなことを考えてもいないようだった。

 綾香は、憎らしげに浩之を見ながらも、心の中で、願うようにカウントしていた。

 大丈夫なのは、わかっている。まだ、浩之も英輔も動けないのはわかっている。綾香がそう見ているのだから、それは間違いなかった。

 だが、確信があっても、不安を消せるものではない。それが、自分の予想を時として超えてくる浩之相手になら、なおさらだ。

 綾香にとって、長い長い、ほんの数秒が過ぎる。何も起きない、二人とも、何も起こすことができない。

 英輔が、一歩、前に出て、それに合わせるように、浩之が一歩前に出たときは、さすがの綾香も、背中に汗が流れた。

「まてっ!」

 審判のその声を聞いたとき、綾香は、似合わない、安堵のため息を吐いた。

 

続く

 

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