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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(172)

 

 大げさなテーピングを肩にまいた浩之。

 顔が青くなっているのに、試合場に立ってる英輔。

 試合場に立つ二人の状態は、凄惨なものだった。普通、ここまでくればレフェリーストップどころか、片方、または両方が倒れていてもおかしくない。

 しかし、反対に、お互いまったく精神には衰えたところがない。英輔のいつもの闘志を秘めた目は、もう隠すこともないとばかりに燃え上がっているし、やる気ない表情がデフォルトである浩之でさえ、その顔はりりしくさえ見える。

 しかし、事情を知っている者にとっては、それは尽きる前の最後のあがきだというのが、すぐにわかってしまうものだ。

 ダメージや疲労が、理性をねじ伏せているのだ。しかし、それは力まかせなもので、いつ力尽きてもおかしくない。

「それでは、三位決定戦、三ラウンドを開始します」

 どこか場違いな審判の声に、浩之も英輔も反応しない。構えさえしない。理性はねじ伏せられていても、勝つための努力は惜しまない。

 一秒でも、一瞬でも、少しでも身体を休めていたいのだ。ダメージを少しでも消して、勝つために。

「レディー……」

 その言葉でも、まだ二人は動かない。まるで、自分は試合には関係ないとでも言わんばかりだった。そのわりには、視線だけはきつく、二人はにらみ合っている。

「ファイトッ!」

 審判の声が、むなしく響いた。

 二人は、それでも動かない。にらみ合ったまま、構えもしなければ、動きもしない。

 一秒、二秒、と、時間が進むにつれて、観客達も歓声を止め、ざわめきはじめた。

 膠着状態というのはエクストリームではさして珍しくもないのものだが、試合が始まっても、構えもせず、動きもせず、という状況は珍しい。

 ダメージが大きすぎて、休憩が終わった後も、身体を休めているのか、とも取れる状況だった。だが、そんなわけはない。試合が始まってしまえば、どんなにじっとしていたところで、精神的には疲労するし、それは肉体的な回復の邪魔になるのだ。

 二人は、狙っているのだ。相手が動くことを。

 開始位置で対峙している以上、二人の条件はほぼ互角。しかも、構えも取っていない状況となれば、差はますます少なくなる。

 相手が構えを取る瞬間に、自分は攻めるつもりなのだ。条件が同じならば、攻めた方が、正しいかどうかはわからないが、強い。

 今は、さばいでどうこう、というには、二人ともダメージがありすぎる。万全な状況ならば、守った方がいいだろうが、今は攻める方が有利だと、お互い考えているのだ。

 構えを取る瞬間に、全速力の攻撃をお互い狙っているのだから、攻めるために待っていることになる。

 だからこそ、五秒経っても、十秒経っても、二人とも動こうとしない。こうなると根比べだが、あまり長く膠着状態が続くと、審判に注意を受けてしまう。そういう意味でも、根比べなのだ。

 待つ、その点だけで言うと、英輔の方がやや有利だった。

 今更どちらも判定で勝とうとなど考えていないが、攻めっ毛で言えば、浩之の方がある。というより、何かしらの攻め手を考えて、待つよりも実行してしまうのだ。

 反対に、英輔はオーソドックスに攻めることを選ぶ。強引に行くこともあるが、組み技系にとっては、それこそがスタンダードな攻め方だ。

 そして、そういう二人の差以外にも、待つ行為は、大きな差を生む。それは、ダメージの質の違いだ。

 浩之のダメージは、鎖骨のひび。英輔のダメージは、頭部への打撃だ。

 時間がたてばたつほど、英輔は回復するのだ。全快できるなどという甘いものではないが、それでも、その少しの差が、結果を左右する状況なのだ。

 反対に、浩之の鎖骨のひびは、時間で痛みが引くものではないし、動かせば動かすほど、撃を受けずとも痛みは酷くなるのだ。

 そういう不利に、浩之はすぐに気付いた。

 ……考えると、俺の方が不利なんじゃないか?

 それは、浩之を動かすには、十分過ぎる理由になった。こんな膠着状態を作りたいわけでもないのだし、いっそ動いてみればいいのだ、とどこか気楽に考えて。

 浩之は、動いた。

 バシイッ!

 英輔の腕を、浩之の前蹴りがはじいた。ガードを持っていかれて、英輔は攻めるタイミングを逃す。

 構えなしの状態からの渾身の前蹴りを、浩之は英輔にガードさせることに成功した。

 構えがないのだから、そこからの攻撃は構えありのときよりも遅くなり、容易に反応できる、と考えて、待ちに入ったのだ。

 だが、浩之はその中でも、構えなしからなるだけ速く、そして距離のある攻撃を選んだ。さらに、さばかれないように、渾身の力を込めてだ。

 ガードをするしかなかった英輔は、攻撃にうつるまでに時間を取られる。これでは待っていた意味はない。

 前蹴りを放っただけなのに、浩之の身体の芯に、激痛が走る。ヒビの入った鎖骨は、力を込めて動けば動くほど痛みを発するのだ。

 だが、今の浩之は、そんなことを気にはしていられなかった。体勢を立て直した英輔が、前に出てきたのだ。

 英輔も、すでに打撃は使おうともしない。不得意なもので攻めるだけの余裕がないのだ。それぐらいならば、組み技で攻めた方がいいと判断してのことだろう。

 浩之は、腰を落とさずに懐に飛び込んでくる英輔に向かって左拳を突き出した。パンッ、と軽く英輔の手にはじかれて、攻撃の効果はない。が、それだけでも、英輔の前進が少し止まる。

 流すならまだしも、はじくでは前に出られない。浩之が勝つには、有利な距離を取ること、英輔が勝つためには、懐に飛び込み、掴むことだ。前進を止められれば、それだけで浩之にとっては有利な展開なのだ。

 だが、英輔もただで止まるつもりはなかった。はじいたはずの左手の手首を、素早く掴んでいた。

 浩之がとっさに腕を引くのに合わせて、英輔が浩之に接近する。浩之の力に逆らわないことによって、浩之の手首から手を放さずに、距離を縮めたのだ。

 そのまま、腕を取ろうとする英輔の動きに合わせて、浩之は円を描くように逃げながら、防御の体勢を取る。関節をまがらない方向に曲げようとするなら、その方向に身体を動かせば、技はかからないのだ。

 グルグルと三回転ほどして、浩之は隙をついて英輔の顔面に拳を入れる。痛めた右であり、かつ、逃げる動きに邪魔にならないように、あまり力を込めたものではなかった。

 が、それでも、何発も殴っていると、英輔もそれを嫌って、浩之から腕を放して、今度はそのまま脚を狙おうとするが、浩之は英輔の身体を押して距離を取る。打撃にするには、距離が少なすぎたのだ。

 最初の膠着は嘘のように、二人は連続して動いていた。すぐに息があがるが、二人は、それでも、動きを止めることなく、片方は殴り、片方はつかみに、動いていた。

 

続く

 

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