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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(173)

 

 一進一退の攻防を、二人は続けていた。

 三ラウンドに入って、二人とも見てわかるほどに動きが多くなったが、それは体力が回復したからではない。むしろ、強迫観念に近いものにとらわれているからだ。

 止まれば、攻められ、負ける。

 攻めれば、勝つ。

 体力が限界に近く、ダメージも大きい二人が、そう長い間全力で動けるものではない。それでも、息の続く限り、二人は動きを止めようとしなかった。

 歓声も、少しずつ小さくなっていく。そして、かわりに、ぴんと張りつめた空気が体育館を包みだした。

 聞こえるのは、浩之と英輔の荒い息だけ。葵でさえ、応援するのを忘れて、浩之達の攻防を気守っていた。

 浩之が殴れば、英輔はそれをかわして、つかむ。英輔がつかめば、浩之はそれを外して殴る。そんな攻防を、すでに三十秒ほど休み無く続けていた。

 二人の顔が、見る見る青くなっていく。酸素欠乏だ。いかに二人の身体能力が優れているとは言え、真剣勝負を長長い間続けられるほどには怪物じみていない。

 酸素の足りなくなった身体は、明らかにスピードを落としたが、それでも浩之も英輔も下がろうとはしなかった。もし、ここで下がってしまえば、負けるとでも思っているように、意地でも攻撃の手を止めないつもりだ。

 だが、それから十秒もしないうちに、ののろのろとした動きでも何とか動いていた二人は、あっさりと動かなくなった。

 お互いに、牽制しあっているわけでもないのに、五秒ほども、近い間合いで、動きが止まった。酸素欠乏で、動けなくなったのだ。

 得るもののなかった攻防だったが、その動けなくなった数秒で、お互いそれに気付いたわけではないのだろうが、やはり緩慢な動きで、距離を取る。

 しかし、緩慢、と言っても、それは格闘家から見ればの話だ。素人から見れば、五秒ほどの空白の時間以外、二人はフルに素早く動いているように見えた。だが、息を切らし、動きの鈍くなった二人は、それでも反射神経や動体視力は落ちたわけではなく、まるで水の中で戦っているような気分だった。

 浩之のスピードの落ちた打撃を受けるほど、英輔の動きはおちていないし、英輔の組み付きを許すほど、浩之の判断力は落ちていない。

 結局、お互い、後一手に欠けることだけが、この攻防の出した唯一の答えだった。

 どうして、こう危ない一手にかけなきゃならないんだろうなあ。

 腕を胸元に引き、背中も猫背になって、引き絞った弓の弦のように構えた浩之は、こんな最後の場面でさえ、どこかやる気なさげに考えていた。

 後一手に欠けるというなら、その一手を生み出さなくては、勝てないのだ。だったら、どんな手を使っても、生み出すだけだ。

 今更、策の通じる相手ではないのも重々承知だ。下手に策を練ると、それを読まれて、今度こそ負けることになる可能性は高い。

 かと言って、真っ正面から攻撃しても、どうこうなる相手でもない。

 八方ふさがりだが、それでも、英輔の動きを読んで、それに賭けるしか、浩之には手はなかった。

 英輔の攻撃は、だいたい予想できる。英輔とて、余裕がある状況ではない。格闘家、最後の最後になったら、今まで自分が築いてきたものにかける、そうでなくても勝手に身体が動くことを、浩之は今までの試合の経験でわかっていた。

 英輔が築いてきたもの。それは柔道だ。

 タックルなど、柔道の中では、質の悪い、相手の意表をつく技でしかない。柔道の技の本質は、例えどんなに投げられまいとしても、相手を地面に叩き付ける、「投げ」だ。

 英輔は、必ず投げで来る。

 そうとわかっているのなら、浩之にだって、いくらか考えられる手はある。

 柔道の投げは、そのほとんどが、衣服ありきの技だ。まず、それだけ浩之の方が有利ということになる。そうなると、つかみやすい手首などを掴もうとすることまで、予測できる。

 それまでをどう動いたとしても、英輔の行動はそこに集約するはずだ。そして、掴むのは、痛めている右腕の確率が高い。

 その後、どんな投げ技に入るかは、予測できない。体落としの可能性が一番高いのは間違いないが、英輔にとってみれば、どんな投げでも、渾身の投げが決まればそれでいいはずだ。ここは予測に入れることができない。

 つまりは、右腕、それも手首を掴まれる。この部分だけは、ほぼ間違いないということだ。

 何故なら、浩之が先に英輔に打撃を入れることができる可能性は、かなり低いからだ。正直、今の状態では、策があろうがなかろうが、浩之は英輔に打撃を入れるのは困難と読んでいた。

 しかし、右手首をつかまれるということがわかっているのなら、その限りはない。

 どんな技をかけるにしても、右手首を捕まえたからには、接近する軌道が決まる。そこに、一撃を入れることはできるはずだ。

 問題は、どの一撃を入れるかだ。痛めた右腕を掴まれて、それでも一撃必殺の威力が出せるかという不安もあるし、そもそも、掴まれた状態で、必要なだけのダメージをたたき出せるか、不安な部分もある。

 となると、使う技は、どうしても接近して使えるフックになる。

 これは、英輔にも読まれるだろう、と浩之は思っていた。近距離で、近づく軌道がわかっているのなら、選択する技はフックしかありえない。

 読まれた技が、通用するだろうか?

 否、今の状態で、読まれた技を、それでも無理矢理ねじ込むことは不可能。

 浩之は、あっさりと、フックという一番効率の良い、そして唯一であるはずの方法を頭から捨てた。いや、捨てたと言っても、まずはそれを置いておくことにしたのだ。

 掴んだ相手が、一番予測してない攻撃は何か?

 いや、攻撃でなくとも良い。予測できない動きは何か?

 浩之の頭は、すぐに答えをはじき出した。

 接近だ。自分から接近してやればいいのだ。そこからの打撃は、肩が残っている。

 接近した相手を肩ではじき飛ばす方法を、浩之は習っていた。剣道でよく見られる動きらしい。これならば、次の攻撃に移るだけの腕の動きも確保できる。

 肩を入れて、さらに接近してのフック。これなら、予測できないはずだ。

 予測できない、という考えは、英輔に対しては危険であるのは承知で、浩之は、この戦法を使う決心をした。

 問題があるとすれば、痛めた右肩でぶつからないといけないということだ。それは苦しいが、しかし、迷っている暇はない。

 浩之は、脚を入れ替えると、今日初めて、右半身の構えを取った。

 

続く

 

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