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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(175)

 

 英輔の、渾身であるはずの回し蹴りをかいくぐった浩之は、しかし、背筋に走る悪寒に、わけもわからず動いていた。

 そう、自分でもどうしてそんなことをするのかわからないままに、英輔に打撃を打つかわりに、英輔の軸足を手で刈っていた。

 組み技に持っていく気がない以上、浩之がそんなことをする必要はないはずなのだが、身体が勝手に動いていたのだ。

 そして、これこそ驚くべきことだが、英輔は簡単に脚を刈られた。いかに回し蹴りの後だとは言え、英輔にしてはあまりにも無防備過ぎた。

 意識が、脚の方に向いていなかった証拠だった。つまり、英輔は、何かしら他のことに意識を向けていたということだ。

 掴んだままの腕がひねられるのを感じて、浩之はその予感が正しかったのを確信した。そして、自分の動きが、そう動いた根拠はともかく、正しかったこともわかった。

 浩之の右腕を掴んだまま回し蹴りを放った英輔は、浩之に回し蹴りをかいくぐらせ、そのまま浩之の腕を脚で挟んで固定し、関節技をかけようとしたのだ。丁度、脇固めをかけるのに、脇に相手の腕を差し込むのではなく、股に相手の腕を差し込むようにして。

 しかし、浩之は、意識ではく感覚でそれを察知し、英輔の残った脚を刈った。そのまま残していれば、関節技が完璧に決まったところだった。

 だが、英輔は倒れながらも、素早く体を入れ替えて、そのまま浩之の腕を放さなかった。

 またもや考える間もなく、浩之は右手と左手をフックしていた。

 倒れるままに英輔は浩之の下に入り込み、そのまま腕を取ろうとしていたのだ。浩之の反応が一瞬早かったので極めることはできなかったが、流れるような動きだった。

 英輔の背中がマットにつくころには、浩之もそれに巻き込まれるように、膝をついていた。

 英輔の体勢は、浩之の右腕を両脚で挟み、両手でそのまま浩之の腕を伸ばそうとしている格好だ。

 総合格闘技では、必殺とも呼ばれる、腕ひしぎ十字固めに入ろうとしたのだ。

 浩之は、それを両手をフックして逃れた。腕が伸びきらない限り、技としての効果はない。

 しかし、浩之の肩には、すでに激痛が走っていた。

 今の浩之では、腕を引っ張られるだけでもかなりの苦痛をともなうのに、英輔は、そこからさらに両脚の力で、浩之のフックを引きはがそうとして、浩之の身体に大きな負荷をかけていた。

「ぐっ!」

 技もかかっていないのに、浩之はたまらず声をあげた。しかし、それは押し殺した声であり、観客達には届かなかった。それでも、英輔には聞こえただろうし、それを聞いた英輔は、勝利を確信しただろう。

 今は何とか耐えているが、この体勢から、逃れる術はなかった。審判が止めてくれるのを、気長に待つしかないのだ。しかし、エクストリームの審判は、これぐらいでは止めることもないだろうし、そもそも、英輔にとっては、大きなチャンスなのだ。停滞もしていない以上、審判が止める理由がない。

 ぎり、ぎり、と、一ミリ一ミリ、浩之の手のフックがはがれていくのを、浩之は感じていた。しかし、握り直すような時間はない。放したが最後、腕ひしぎ十字固めは極まる。極まってしまえば、ギブアップしないことはできないし、よしんば耐えられたとしても、間違いなく腕の靭帯が切られる。

 英輔は、その点、安心できないことに、徹底している選手だ。普通なら躊躇するような技も、それを許された戦いならば、まったく躊躇しないだろう。

 極まったら、さっさとギブアップだよなあ。

 意地とかそういうもので、どうこうできる話ではない。靭帯が切られれば、格闘家としての人生は終わりだろうし、一般生活だって支障があるかもしれない。我慢しても切られるものなら、我慢するだけ無駄だし、切られるぐらいなら、切られない方を選ぶべきだろう。

「センパイ、がんばって!」

「浩之!」

 葵と綾香の声も聞こえる。それはせっぱ詰まった声であり、綾香の口から、助言らしきものさえないということは、こうなってしまうと、後は耐えるしかないということか。

 そんなことを考えている間にも、浩之の腕のフックは、少しずつ甘くなっていく。だが、浩之にはそれをどうすることもできない。

 ふと、英輔の方に目をやると、英輔が、闘志をむき出しにして、浩之のことを睨んでいた。このほぼ決着はついただろう状況においても、英輔はまだ油断などしていないのだ。

 それは、油断しないことが正しいのはわかる。しかし、それだけなのか?

 英輔が油断しないのは、今がまだ油断してもいい状況だからではないということだ。裏を返せば、油断すれば、まだ結果はわからないということだ。

 まだ、この状況をひっくり返すことが、できるということだ。

 浩之は、今の自分の状況を分析した。英輔に痛めた右腕を取られ、しかも英輔は倒れている状況で、打撃を使うことはできない。

 しかし、両腕と、ほぼ固定されている頭以外は、まだ動く。

 脚も腰も、今は何の負荷もかかっていない。つまり、動ける。

 肩の激痛は、激痛であろうとも、我慢できる。いや、どうせ我慢せねば勝てないのだ。どんな痛みでも、勝てるのなら、我慢する。

 例え、決着が決まる一瞬前であろうとも、英輔が油断などしないのはわかっている。それでも、浩之は、その態度に無理矢理にでも理由を作った。

 ここから、逆転するためには、ささいな勇気さえ、必要だったのだ。

 じっとしていても負けるだけなら、動いて、勝ちの可能性を生む。

「ぐぅっ!!」

 力を入れた瞬間に走る激痛に、しかし、歯をくいしばって耐える。

 英輔は怪訝な顔をしているだろう。今は、何とか耐えて、英輔が違う技に移行するか、審判が止めるまで時間をかせぐ場面であるはずの浩之が、動こうとしているのだから。

 英輔は、もちろん違う技に移行する気はない。そのまま腕力で浩之の手のフックを外し、技をかけるつもりだった。

 だから、英輔は、ほんの少し、恐怖を感じていた。まだ、浩之に何かできることがのこっているのでは、と。

 そして、浩之は、まだ何かするつもりだった。

 浩之は、脚を倒れた英輔の方に近づけた。そして、大きくスタンスを開く。力を入れやすいようにだ。

 浩之が何をするか、英輔はそれだけでわかってしまった。その経験があるからだ。だが、英輔はここで腕を放すわけにはいかなかった。それこそ、浩之の思うつぼだったからだ。

 浩之は、そのまま中腰に立ち上がる。腕は取られているものの、下半身は自由なので、それぐらいはできた。

 そして、浩之はボロボロの身体に、気合いを込めた。

 ぐぐっ、と浩之の上半身が持ち上がる。英輔の身体は、それを阻止するように、身体をマットの上に投げ出そうとするが、技をかけている体勢では、重心を下に持っていくことが難しい。

 英輔は、かわりに腕に力を込めた。持ち上がる前に、腕を取ってしまえば、それで英輔の勝ちなのだ。フックはだいぶ甘くなっている。もう少しで、腕を取れるのだ。

 だが、浩之は、さらに身体に力を込める。

「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 通常よりも力を出すために、浩之は雄叫びをあげた。自分の限界を超えて、声と一緒に、力を、吐き出す。

 英輔の身体が、ゆっくりとマットから浮く。

「おおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 気合いを入れて、浩之はさらに英輔の身体を持ち上げ、英輔の身体を、マットから引き上げた。

 そして、そのまま、英輔の身体を、肩車でもしているかのような高さまで、持ち上げた。

 

続く

 

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