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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(176)

 

 浩之が何をしようとしているのか、英輔にはすぐにわかっていた。

 浩之が脚をふんばった時点で、何をやろうとしているのかがわかったのは、経験からだ。柔道の試合でも、この格好になってしまえば、これ以外に抜ける方法はない。

 しかし、自分がつかまっているのは、腕なのだ。

 柔道の試合では、体勢が下になった相手に絞め技を受けたときに、同じ逃げ方をするのだが、そのときは相手は胴体に脚をまわしているはずであり、持ち上げるのは簡単だ。

 だが、それが腕となれば、そう簡単に持ち上がるものではない。身体の末端に体重がかかればかかるほど、持ち上げにくいのは当たり前の話だ。

 むしろ、外れかかっている手のフックが、持ち上げるまで持つともおもえない。それしか手がないと読んだのだろうが、無謀な作戦だ。

 そう思って、英輔はそのまま浩之の腕を伸ばすのに神経を集中したのだ。

 だが、身体が浮くのを感じて、その選択肢が間違っていたことに、ようやく気付いた。しかし、気付いても、腕を放すわけにはいかなかった。英輔にとっても、これは最後のチャンスなのだ。

「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 浩之の気合いの声と共に、英輔の身体が持ち上がる。腕を取る体勢では、重心を移動して邪魔もできない。そもそも、十分に持ち上げにくいところに重心はあるはずなのだ。

 英輔は、しかし、腕を放せなかった。

 柔道の試合では、持ち上げられた時点で、試合が一時中断する。その経験が、反対に英輔の瞬間的な判断を鈍らせた。

 何故相手を持ち上げた時点で試合が止まるか。それは、その体勢から投げられるのが、非常に危険だからだ。

 柔道の技にはあまりない「高さ」というものを、持ち上げることによって生んでしまう。それが、必殺となりえるからだ。スポーツと化した柔道では、持ち上げた相手を投げるのは、禁じ手とされている。それだけ、危険な技だからだ。

 英輔がそのことに気付いたときには、すでに浩之に肩車をされたほどの高さまで持ち上げられていた。

 とっさに、英輔は浩之の体勢を崩そうとした。重心を動かして、浩之をそのまま押しつぶすように倒そうとしたのだ。

 だが、浩之はそれではピクリとも動かなかった。いかに英輔が投げられないことに長けていても、自由の利かない形で持ち上げられた状態では、その効果は半減だ。

 崩そうとした時間は、わずか一秒ほどだった。英輔は、それを無理と判断した時点で、浩之の腕から手を放した。

 そして、自分から浩之の身体を蹴って、距離を取りながら脚から落ちようと試みる。

 しかし、それを阻止するように、浩之の手が、英輔の脚を掴んでいた。どうやっても、英輔の身体は頭から落ちるしかない体勢だ。

 ならば、と英輔は、腕を伸ばして受け身を取る体勢に入っていた。

 ここで本当に恐かったのは、浩之に力でマットの上に叩き付けられることだった。もともと、高さに関しては、英輔とて言うほど受け身の効果を発揮できないのだ。それに、浩之の力という勢いがついた場合、タイミングを失敗して、最悪、受け身が取れない可能性があった。

 だから、浩之から距離を取るように逃げたのだ。ダメージを完全に消せるとは思わないが、身体が自由なら、受け身を失敗することはない。

 投げられることは、柔道家にとってはそんなに恐いことはないのだ。受け身でダメージを消せば、どうとでもなる。

 だから、腕を広げて、あごを引いて、受け身の取れる格好になったときに、英輔は何の心配もしていなかった。

 英輔には見えなかったのだ。浩之の腰が動くのを。

 英輔を持ち上げた浩之は、英輔を叩き付けるようなそぶりなど見せず、逃げようとする英輔の片脚を掴むに止まった。

 そして、英輔の落下に合わせて、腰をひねっていた。

 英輔の身体で隠れた浩之の下半身が、動く。

 ズバシィッ!

 打撃音と共に、英輔の身体が、横になって、右肩から落ちた。

 落下のスピードはほとんど消されており、マットに落ちたときも、どさり、と重い音がしただけだった。

 しかし、英輔は立ち上がってこない。浩之に背中を見せるように倒れたまま、隙だらけの姿を見せていた。

 これならば、いかに組み技の実力に差があろうとも、浩之の方が有利な状態だ。

 だが、浩之も、背中ごしに倒れた英輔を見るだけで、追撃しようとはしなかった。

 静まりかえった体育館の中の人間にも、何が起こったのか、分かるレベルでの攻撃だった。浩之の攻撃は、そんなにスピードはなかった。

 しかし、英輔には、それを避ける術も、逃げる術もなかった。

 肩を押さえたまま、浩之は荒い息を続けている。しかし、その顔には、達成感が見て取れた。

 ……できた。

 ぶっつけ本番の技だった。修治からやり方は習ったし、一度手加減された技を受けたが、想像以上の威力だった。しかし、こんな技が、まさか使えるとは、やった本人である浩之にさえ、信じられなかった。

 頭からマットに落ちようとしている英輔の頭を、下からすくい上げるように、蹴り上げたのだ。

 浩之が放ったのは、変形のローキック。

 しかし、英輔に当たった箇所は、頭部。

 まさに、必殺の技だった。逃げるどころか、見ることもできない場所から、落下する力も含めた上で、通常は頭部に当たることのない、威力の高いローキックが入ったのだ。

 修治のような怪物ならともかく、浩之にこんな非現実じみた技は、使えるものではない。それを現実のものとしたのは、二つの要因からだ。

 一つは、相手の身体が高くまで持ち上がっていたこと。これによって、浩之は狙いを定めることができた。

 もう一つは、英輔が距離を取りながらも、浩之が英輔の脚をつかんだこと。これにより、丁度振り子のように、浩之の足に向かって、英輔の身体が落ちて来たのだ。

 ローキック自体は、体勢が悪いこともあって、いつもよりも威力が衰えていたように感じたが、落下の力と、英輔が打撃が来ることを予測できなかったことの方が、それを上回った。

 英輔の闘志をも、そのローキックは刈り取った。

 浩之も、確信した。自分は、勝ったのだと。

 観客や審判も、どんな技が入ったのか見えた。しかし、信じられないものを見た後で、審判でさえ、あっけに取られていた。

 だからというわけではないが、一番最初に我に返ったのは、いや、我に返ったわけではないのだろうが、むしろ感極まったからこそ出た。

「センパイッ!」

 葵の、嬉しそうな浩之を呼ぶ声だった。

 浩之は、その声に反応して、振り返った。嬉しそうな葵と、葵の横で、出遅れたと顔をしかめている綾香の印象が、浩之の目に強く残った。

 審判も、そこでやっと我に返った。そして、英輔にかけより、もう、その瞬間には、手をあげて、宣言していた。

「それまで!」

 ワッ、と、遅ればせながら、体育館に、割れんばかりの歓声があがった。

 そして、それよりも遅れることしばし。

 浩之は、自分が勝ったことに対して、喜びの声をあげて、飛び込んできた葵と抱き合っていた。

 

続く

 

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