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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(178)

 

 寺町の強さは、坂下も認めるところではあるのだが、寺町はどうしても戦いに入れ込みすぎる部分があると思っていた。

 気合いが入っているのはいいことだし、寺町の場合、不思議と空回りをすることがないので、それはそれで一種の才能かとも思ったのだが。

 そんな寺町にしては珍しく、何故かどこか気の抜けている様子で、試合の始まるのを待っていた。

 普通なら、決勝にもなれば、試合にも支障が及ぼうかというほどの運動で身体を温める選手の多い中、寺町だけは、落ち着き過ぎていた。

「部長、準備しなくてもいいんですか?」

 見かねた中谷が、指摘するほどだ。身体を温めておくのは、試合開始から自由に身体を動かすのには必須であるし、怪我も起こり難くなるのだ。まったく準備運動をやろうとしない寺町のことを心配しても不思議ではない。

「準備? ちゃんと試合着にはなっているんだ。準備は終わっているだろう。それよりも、何度も言ってるだろうが、主将と呼べ、主将と」

 どちらにしろ、今の寺町には、浩之との戦いの間に見せた、狂気じみたものも、狂喜じみたものもない。

 というより、やる気がまったく感じられない。格闘バカの寺町が試合を前にしてこんな調子であるのは、異常というしかないだろう。

「いいかげん、やる気だしたら?」

 寺町の気持ちは少しはわからないでもないが、試合は試合。坂下も、そんなやる気のない寺町にハッパをかけてみる。

「と言われても、せっかくの面白そうな相手は、もう試合を終わらせてしまったですし、次の相手はこれと言って戦いたい相手でもないですし」

 面白い相手、というのは、浩之に倒された英輔のことだ。

 しかし、浩之と英輔の試合は、その試合内容も、決めた技も見所のあるもので、坂下なども、けっこう気分が高揚しているのだ。今なら、格安でケンカを買うだろう。

 言わば、ケンカの売り買いが大好きな寺町が、あの試合を見て血が沸き踊らないわけがない。にも関わらず、寺町に火がつかないのは、次の相手の所為だ。

 北条桃矢。「鬼の拳」北条鬼一の息子であり、浩之がギリギリで勝てた英輔を、二ラウンドで倒した猛者。

 実力から言えば、寺町が喜んで戦う相手であるはずだった。事実、その強さは、坂下から見ても強いと思うほどだ。

 だが、これも坂下が感じていることだが、桃矢には、格闘家として足りないものがある。

 技術や身体能力は、確かに飛び抜けたものがある。浩之ならば、一ラウンドも持たずに倒されるかもしれない。

 だが、本当の試合になったとき、最後に立っているのは、浩之であり、おそらく寺町であろうと思わせる。

 言ってしまえば、桃矢には「心」がないのだ。

 心、技、体、と言われるように、格闘技にはこの三つが重要であり、桃矢は後の二人は持ちすぎるほど持っているというのに、最初の心が足りない。

 しかし、それがなくとも、寺町よりも強いのでは、と思わせるほどに、桃矢の技や体は素晴らしいものがあるのだ。それが証拠に、結局桃矢は決勝戦まで勝ち進んできた。

 一試合目に、浩之の兄弟子であり、綾香と互角に戦ったという怪物、修治に当たらなければ、ここまでぼろを出すこともなかったのかも知れないが。あの試合が、桃矢のバランスを崩したのは間違いなかった。それでもここまで勝ち進んでくる強さは、十分見るものがあると思うのだが、寺町はそれでは満足できないのだろう。

「あんま油断していると、足下すくわれるよ」

 坂下は一応、忠告はしておく。技術のある桃矢なら、強くとも、大雑把なところがある寺町を手玉に取ることもできるだろうと思ったからだ。

 しかし、寺町の反応はそっけなかった。

「そう言われても、足下をすくわれても、面白くも何ともないですし」

 それは足下をすくわれるのが楽しい人間などいないような気もするが、寺町が言っているのは、そういうこととは真反対の意味だ。

 足下がすくわれることによって、試合が面白くなるのなら、いくらでも足下をすくわれるつもりなのだ。

 足下をすくわれて、桃矢が有利になったとしても、それですら格闘バカである寺町が喜ぶほどのものにはならない、と寺町は感じているのだ。

 試合をやらなければ二位になるが、帰っていいと言われれば、寺町は帰ってしまいそうな調子だ。実のところ、準決勝を勝った時点で、本戦への切符は手に入れているのだ。このまま帰ったとしても、何らこまらなかったりするのだが、坂下はそんなことまで知らないし、そもそも、知っていたとしても、そんないい加減なことを許すつもりもない。

「はあ、どうせなら、英輔選手と戦いたかったものだ。せっかくいい相手がいるのに、全員と戦えないというのは、おしい話だよなあ」

「部長、無茶苦茶言ってますよ」

 普通ならばリップサービスでもない限り言わない言葉だが、寺町はそれを本気で言う辺りが、寺町たる所以だった。

「それに、相手に失礼ですよ。桃矢選手は、決して遊んで勝てるような相手ではないんですから、もう少し気合いを入れて下さい」

 試合がはじまれば、それでも少しはやる気を出してくれるだろうが、何せ一筋縄でいかないほどのバカである寺町だ。いくら言ったところで、言い過ぎにはならない。

「いいんだよ、聞こえて少しは気合いを出してくれればこちらとしても……ありがたい」

 そう言う寺町の目線は、中谷にも坂下にも向いていなかった。その先には、寺町を鋭い表情で睨む桃矢の姿がある。

「あ……部長、わざと聞こえるように言いましたね?」

「当然だろう、聞こえないと言っても意味のないことだ」

 これで寺町の方には相手をバカにしているつもりがないのだから、迷惑な話だ。

 もちろん、バカにするつもりがあろうがなかろうが、桃矢を挑発しているのは間違いなく、当然悪気がないと言って、桃矢が許すとは思えない。

 まあ、これも寺町なりの試合の楽しみ方なのかもしれないが、坂下はともかく、ほとんど付き人状態の中谷などにとってみれば、迷惑この上ない。

 桃矢の刺すような視線を、寺町は余裕の笑みを持って受ける。相手が怒れば怒るほど、寺町にとってみれば、楽しい試合ができると思っているのかもしれない。

 ふいに、桃矢は視線を外し、構えを取る。

 準備運動か、と思いきや、その構えは、両腕を上に構えた、桃矢の父親であり、「鬼の拳」の異名を取る怪物、北条鬼一の構えだ。

 桃矢にとってみれば、一番の挑発なのだろう。寺町は、片角ながら、当の北条鬼一に、その拳をほめられたのだから。

 その両角の構えを見て、寺町は、少し満足げに笑った。

「少しは、やる気が出てきたな」

 それは、桃矢に向かって言っている言葉なのか、それとも自分自身に対する言葉なのか、判断はつかなかったが、さきほどよりは、楽しそうに、単純なりにも、凶悪な笑みを浮かべた。

 

続く

 

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