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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(184)

 

 強がっているのか、それとも、それぐらいではまだ負ける気はないのか、桃矢は鋭い表情を崩さなかった。

 腕には、それなりのダメージが残っただろうが、KOされるまでにはほど遠いはずだ。

 そう考えれば、ダメージを殺しきれないと思ったからこそ、後ろに飛んだのかもしれない。鬼の拳にこだわる以上、さっきの攻防は意地の張り所ではあったはずだが、勝ちを狙っているのならば、正しいように思えた。

 桃矢を下がらせた寺町はというと、右腕を上に構えたいつもの構えで、どこか満足げな顔をして、桃矢を見ている様子はなかった。

 威力どうこうよりも、寺町は打ち下ろしの正拳を全力で放てて気持ちいいのだろう。そういうバカだ。

 もっとも、桃矢を倒すためには、その全力を、今度は嫌と言うほど使わなくてはならないのだろうが。

 少なくとも、寺町の打ち下ろしの正拳突きの威力は、桃矢にも十分伝わったはずだ。そして、プレッシャーは、必ず桃矢の心を攻撃する。

 まだ、桃矢にはその兆候はない。だが、それはわからないうちに、忍び寄ってくる恐怖なのだ。だからこそ、寺町は今まで勝ち残って来たのだ。

 桃矢が、腕のしびれが取れたのか、また構えを鬼の拳に変える。

 しかし、寺町も、桃矢が構えを解いている間に攻撃すればいいものを、悠長に待っているのだから、困ったものだ。

 浩之なら、絶対に攻撃していた。そうしなければ、勝てない相手だ。いかに、心技体が全てそろっているわけではないと言っても、それでさえ、寺町と同等か、それ以上の強さを持っているのだ。余裕を見せている暇はないと思うのだが。

 そういう部分が浩之にないでもないので、人の事は言えないのだが、寺町の場合は、それが徹底している。し過ぎている。

 さっきまで打ち下ろしの正拳を使わなかったのは、作戦としても考えられなくもないが、腕にダメージを与えておいて攻撃を止めるというのは、作戦などとは言えない。

 桃矢が構えを取ると、待ってましたとばかりに、寺町は視線を桃矢に向けた。

 組み技もかなりのレベルで使えるのに、鬼の拳にこだわる桃矢と、チャンスに手を出さず、わざわざ相手を待つ寺町。

 二人が似ているとは、とても思えないが、どちらがバカなのだろうか、と疑問に思ってしまう。いや、バカなのは完全に寺町なのだろうが。

 むしろ、どちらがより相手をなめているのか、そちらの方が気になる。

 お互いに、相手のことをなめているとしか言い様のない行動を、どちらも取っているのだ。お互い様と言えばそうなのだが、一つだけ、わかっていることがあった。

 寺町は、相手が誰であれそういうスタンスを取るが、桃矢は、寺町相手だからこそ、そういう行動を取っているのだということだ。

 桃矢が、すっ、と前に出た。フェイントなのかはわからなかったが、寺町は前に出ない。後の先、相手を先に動かして、それを見て先手を打とうとしているのだろう。

 宙に浮くように、実際のところは、足は地についているのだが、重さを感じさせない動きで、桃矢が距離をつめる。

 長身の桃矢が腰をあげた様子は、かなり寺町には大きく見えるはずだ。もちろん、寺町なら、目標が大きくていいとぐらいしか思わないのだろうが。

 いきなり、桃矢の身体が下に沈んだ。下に円を描くように、桃矢の巨体が、寺町を下から襲いかかった。

 身体を大きく見せておいて、地面を這うような動きに変えることにより、一瞬目の前から消えたように見させたのだ。

 寺町は、それが見えていたのか、それともカンで放ったのか、下に向けて打ち下ろしの正拳を打っていた。

 ビュンッ!

 しかし、目標を失っていた打ち下ろしの正拳は、いつもの威力のある音も出さずに、空を切った。

 寺町は、下に向けて放っていたが、桃矢はさらに、その下をくぐったのだ。いかに寺町の打ち下ろしは広い範囲をカバーするとしても、動きが正拳突きであるだけに、どうしても下に対する射程は限られたのだ。

 わかっていれば、それでもどうにかなったのかもしれなかったが、桃矢の動きは速く、そして寺町の読みの外の動きだった。

 事実、横から見ていても、気持ち悪いぐらいの動きだった。桃矢の身体は、地面を這うように動いたのだ。しかも、手をついていない。

 腕だけは、鬼の拳の構えを崩さなかった。まさに、脅威の足腰だ。

 起きあがる勢いを乗せて、鬼の拳のまま、桃矢の右拳が、フックのように寺町のあごを狙う。

 それを、寺町は打ち下ろしの正拳を放った腕を引くことも忘れて、後ろに避けていた。フックになった以上、後ろに下がる動きには対処できない。

 しかし、その動きは、桃矢の予測した動き、そのままだったのだ。

 くの字に曲がったままの桃矢の右腕が、空振りしたと思ったときには、伸ばされたままの寺町の右腕に絡んでいた。

 気付いたときには、すでに遅かった。寺町があわてて振り払おうとしたが、がっちりと桃矢の腕は絡んでいた。引いても、抜けるものではない。

 しかも、このポジションは、寺町にとっては最悪のポジションだった。右腕同士をからめながらも、桃矢の身体は、寺町の背中を取るような格好になっていたのだ。それも、下から起きあがるときに、そういう位置になるようにしたからなのだが。

 寺町は、桃矢に向かって、無防備な後頭部を晒すことになる。

 桃矢の腰が、回転する。寺町の右腕を軸にするように、桃矢は全身の力を左拳に乗せて、上から落ちてくるようなフックを、寺町の後頭部に打っていた。

 気付いたときには、すでに遅かった。寺町の後頭部に、吸い込まれるように桃矢の拳が入る。

 その技は、鬼の拳、北条鬼一が好んで使う、「馬射」だ。一撃目で決めると見せかけ、実際は馬(逃げ道)を射殺し、そして動けなくなった相手に、必殺の一撃を入れる。

 ただの猿まねではない、必殺の効果を持つ技を、桃矢は実践してきた。

 拳が入ると同時に、寺町が吠えた。

「がああああぁぁぁぁぁっ!」

 ガコンッ!

 硬いものを殴るような音と共に、寺町の頭が下にはじき飛ばされていた。

 一瞬、バランスを崩しそうになった寺町の身体は、しかし、そのまま力を取り戻し、脚をふんばるようにして、体勢をたち直すと、跳ね飛ばした桃矢の方を見た。

 打撃が、寺町に効いていない訳ではない。事実、少し足下がおぼつかない。しかし、予測したよりは、よほど軽傷であったし、打撃音も、思ったほどではなかった。

 桃矢は、距離を取っていた。いや、寺町に、無理矢理距離を取らされていた。

 あの一瞬、寺町は、引ききっていな腕に全力を込めて、打ち下ろしたのだ。絡まった腕を巻き込んだだけではあったが、まさかここから来るとは思っていなかったのと、打撃を放ったことによって注意がそちらに向かった桃矢は、そのまま腕を引き抜かれた、というよりも、勢いのまま投げられたと言った方が正しい。

 だから、桃矢が後ろに下がった格好になって、必殺の一撃の威力が弱まったのだ。完全には消しきれなかったどころか、寺町でなければKOされていたかもしれないが、しかし、そこにいるのは寺町であり、ちゃんと自分の脚で立っていた。

 まさか、そこから跳ね飛ばされるとは、と桃矢の顔に驚愕が浮かんでいる。おそらくは、それで決めるはずだったのだろう。北条鬼一の技を使うということは、桃矢にとっては決めなければならない場面だったはずだ。

 その驚きが、桃矢の心にほころびを作った。そして、作ったとしても、桃矢も引き下がるわけにはいかなかった。

 しかし、ダメージは十二分にあった。簡単に回復するものでもない。通常の打撃の直撃ほどの効果はあったのだ。ここで攻めれば、勝てる。そして、桃矢はそれを躊躇するわけがなかった。

 しかし、驚愕が作ったそのわずかな時間の間に、寺町は最低限のダメージを消し、そして、無謀にも、桃矢に向かって、自分から走り込んでいた。

 

続く

 

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