作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(185)

 

 寺町は、ダメージの消えぬまま、桃矢に向かって走り込んでいた。

 これには、さすがの桃矢も意表をつかれた。守りにまわればジリ貧になるのはわかるが、だからと言って、最低限動けるまではダメージを消さなければ、攻める意味などないのだ。それすら無視して、寺町は突っ込んできたのだから、桃矢が驚くのも仕方のない話だ。

 そう、寺町は、まだ最低限動けるまでに回復していない。スピードもなければ、いつもの気迫さえなりをひそめていた。しかし、だからこそ、桃矢の隙というもに細いナイフのように入り込んだ。

 驚きつつも、桃矢は守りをかためる。それは、選択肢として間違っているのに、次の瞬間には気付くだろうが、しかし、寺町にとってみれば、その今の瞬間さえあれば良いのだ。

 ズバンッ!

 いつもの技に比べれば、かなり迫力に欠ける打撃音が響き、桃矢の身体が後ろに流れる。

 遅い打撃だったが、しかし、ガードが間に合わなかったのだ。

 寺町の打ち込んだ技は、右の前蹴りだった。しかし、この技は、一番桃矢の意識の外にある技だったのだ。

 寺町の主戦力は、何と言っても打ち下ろしの正拳、それは、右にしかない。だから、どうしても打ち下ろしの正拳を打つために、寺町は左半身に構えて、右拳を後ろにしておかねばならないのだ。でないと、その威力は出ない。

 だから、右拳は、いや、右側全ては、なるだけ使いたくないのだ。身体が前に出て、しかも隙の大きな右前蹴りなど、愚策中の愚策。

 しかし、愚策だからこそ、策について頭のまわる桃矢が、避けることができなかったのだ。スピードも遅く、コンビネーションに含まれるわけでもない技を、寺町は当てたのだ。

 だが、これは考えようによっては、桃矢に有利な話だった。

 それがあるとわかっていれば、そんなに恐い技ではないのだ。桃矢の技に対する意識は分散されるが、そのかわり、寺町はこの試合中に、二度と右前蹴りなどできなくなった。しかければ、簡単に返されるのは目に見えている。

 だからこそ、その技は桃矢を倒すために使うべきだったのだ。こんな、ピンチを切り抜けるために、大事な技を消費してしまうことは、決して寺町にとっては有利な話ではない。

 しかも、一撃入れたところで、そこは打撃用に鍛えられているであろう腹筋だ。さらに言えば、たった一撃で稼いだ時間では、満足に動けるまで、寺町のダメージは消えないだろう。

 桃矢も、自分にダメージがあったことに一瞬驚いたようだが、しかし、動きには何ら支障をきたさなかったのを瞬時に判断して、寺町の懐に潜り込んだ。

 寺町は、それを防ぐ方法を持っていなかった。逃げようにも、フックのダメージはまだ寺町の脚を十分に動かせなくしている。

 しかし、桃矢は一瞬、攻撃を戸惑う。そして、わざわざ一歩後ろに下がりながら、フックを放つが、一歩下がった時間が、寺町をさらに一歩下がらせて、フックを空振りさせた。

 空振り一つで隙のできるような桃矢ではなかったが、飛び込むことに少し躊躇したのを、浩之は見逃さなかった。

 しかし、それが何故なのか、浩之にはわからない。こんなチャンスはないように思うのだが、桃矢は攻めあぐねているようだった。

「うまいわね」

 綾香が、目をほそめて、どちらのことを言っているのかはわからないが、そう評価した。

「どっちがだ?」

「バカの方よ」

 誰がバカなのかは、主観客観で色々違うような気もするが、寺町の方というのだけはわかった。

「何かやったのか?」

「前に出たのよ。面白いじゃない。ダメージがあるのに、あれで前にでる? ま、桃矢があの構えから、フックができたからこそ、そんな選択をしたんだろうけど」

 綾香の言っていることは、浩之にはさっぱりわからなかった。

 試合場では、寺町が、ふらふらと左右にゆれている。ダメージからではない。動いて桃矢の目標を絞りにくくしているようだった。

「攻めるのは無謀かな、とか思ったけど、気迫が桃矢を迷わせたわね。ま、あれはちょっと運がよかっただけだろうけど、後のはうまかったわ」

「後?」

「桃矢を、わざわざ懐に入らせてから、一度一歩下がらせたでしょ。あれよ」

 桃矢が、寺町の懐に潜り込むように入ったのに、何故か一歩下がったのはわかった。その理由が、綾香にはちゃんとわかったというのだ。

「わかってしまえば簡単な話だけどね。倒れるように、前に出たのよ」

「そんな簡単なことで、桃矢の攻撃をさばけるもんじゃないだろ」

「そうでもないわよ。まさか、鬼の拳相手に、守るのに懐に入らせるとは思わないでしょ」

 しかし、浩之にはどうしてもわからない。そもそも、動きの鈍っていた寺町に、そんな避け方ができたとは、到底思えない。

 首をかしげる浩之を見て、綾香は説明をしてくれた。

「寺町のは打ち下ろしの正拳だから、基本的に長距離じゃない。でも、桃矢のそれは、フックも打てるのよ」

 確かに、器用に上に構えた拳を、巻き込むようにしてフックを放っている。むしろ、フックしかこの試合では見せていない。

「桃矢の鬼の拳は、フックしか打てないのか?」

「そうじゃないと思うけど、桃矢はフックが使えるのなら、そっちを選ぶと思うわ。フックじゃないと、技をつなげられないじゃない」

「ジャブは、あれでは使えないですしね」

 やはりまだ意味のわからなかった浩之のために、綾香の言葉に、葵が付け加えた。

「……ああ、なるほどな」

 やっと、浩之にも納得がいった。

 桃矢は、鬼の拳の構えから、色々器用にこなすが、しかし、ジャブが使えるわけではない。威力を上げるのには十分な効果はあるが、ジャブを打つには、あまりにも理からかけ離れた構えなのだ。

 だから、桃矢は最初からストレートを打つことはない。何故なら、ストレートは一発で終わり、何かの技の後につなげるならまだしも、コンビネーションの最初に使うものではないのだ。

 しかし、フックは返す刀で、反対の腕を振るうこともできるし、フックを後ろに逃げた相手を、ストレートで追い打ちすることも可能だ。

 だから、寺町は桃矢が必ずフックを使うと読んだ。つまりは、それだけの間を攻撃もせずつめると読んだというわけだ。

 読めば後は簡単、それに合わせて前に出て、間合いをつぶす。鬼の拳を使っている桃矢には、打撃よりもさらに奥に入った寺町に打つ技がなかったのだ。

 そうやって、桃矢の心のバランスを崩してから、今度は後ろに逃げる。普通なら追い打ちをしてくるかもしれないが、しかし、寺町の動きに翻弄された桃矢には、追い打ちをかけることができない、という結果を生んだのだ。

 その間に、逃げるだけでも、寺町はダメージから回復していった。

 北条鬼一の作った技で、あわやというところまで追い込まれながら、寺町は、それすらあっさりとさばいた。

 その神経の図太さと、とっさの判断は、バカはバカでも、格闘バカの、まさに真骨頂。

 桃矢の歯ぎしりの音が聞こえてくるような、攻防だった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む